#19 夜のお楽しみ

「焦らずにゆっくり構えて」


「相手が痛がるとか考えるな」


「探り探りじゃなく腰を入れて一気に深く貫くんだ」


「初めてだって身構えちまうと失敗しやすくなるぞ」


 そう言われたって手も足も震える。

 まさか冒険初日の夜からこんな初体験をするなんて……いや、まだ済ませてないんだけど。

 ほんの数時間前、冒険者ギルドを出たときには、こんなことになるなんて夢にも思っていなかった。




 冒険者ギルドへ足を踏み入れた直後、俺は孤高姫の手を引き、最短距離でチョウヒさんの元へ。

 そして真っ先にチョウヒさんと孤高姫とを握手させたことで、チョウヒさんの機嫌はすぐに直った。


 日没を知らせるハンドベルが冒険者ギルドの入口で鳴らされる。このベルが鳴り終わるまでに出発手続きができれば、依頼放棄とはみなされない。

 もちろん、チョウヒさんは無事に依頼受諾を承認され、俺たちと孤高姫は連れ立って出発した。


 チョウヒさんとダット、冒険者としても人気が高いモーパッと孤高姫。それから一人だけ似合わないオッサンの俺。

 周囲から羨望やら不満やらハーレム・パーティと揶揄する声やらが聞こえる。

 いつも羨む側に居た自分が羨ましがられる側にいるという違和感を奥歯で噛み潰しながら、南大門へと向かう。

 しかしそれも大門をくぐって町壁の外へと出ると、遠ざかる喧騒とともに薄れた。


 沈む夕陽をニッさんの背中から右手に眺めつつ、黄昏の街道を進む。

 あまりの揺れなさにモーパッは驚いているが、チョウヒさんは最初にニッさんに乗ったときのように相変わらず俺にしがみついている。

 二人とも革鎧を着込んでいるが、鎧同士がぶつかり合う音もほとんどしない。

 小麦畑を渡る風が運ぶ土の匂いに混ざってチョウヒさんの髪油の香り。

 周囲は一面の農地で、その中に浮島のような小さな砦が点在し、やがて農壁と南農門とが見えてくる。

 後ろを振り向くと孤高姫は一人、ダチョウよりも大きなタレポという種類の鳥に乗ってついてきている。


「止まれ」


 南農門では身分証の提示が求められ、衛兵の詰め所内でチョウヒさんがギルドから渡された依頼証を兼ねた魔法具を水晶球のようなものへとかざした。

 衛兵はその後、俺たちの人数を数え、通行が許可される。

 南農門のすぐ外はちょっとした堀になっており、しばらく行くと森が広がっているのが見える。

 ニッさんと、モノミユ――孤高姫のタレポの名前――とが、目の上につけた眉毛のような魔法具を点灯させた。本当にヘッドライトのようだ。

 ちょうど午後五時の鐘が、はるか後方に響くのが聞こえる……ここから先が、本当の「外」だ。


「出発が夕方だから今夜は夜通し走ろうか」


 モーパッの提案を了承したチョウヒさんが、小さな声で伝えてとささやく。

 それを受けて俺が小声でパーティ内通知を行う。


『今夜は夜通し走るそうです』


 荷物の向こうでダットが右手を上げる。これはOKの合図。

 ニッさんには新しくタクシー鞍よりも大型の鞍を取り付けたので、乗客席と御者席との間には荷物置き場のスペースが増えた。食料や水をそこそこ積んでいるため、俺たちのいる場所からはダットの後頭部が半分しか見えない。

 後方からは、孤高姫が鳴らした笛の音が一回。これもOKの合図。

 実は孤高姫の希望でチョウヒさんたちとパーティは分かれているのだが、個別パーティ内通知の宛先を「全員」にした場合、どちらの個別パーティーにも通知を飛ばすことができる。これは複数の個別パーティでも「パーティ内通知」に使用する領域は共用してしまうというシステムのショボイところを逆手に取った裏技なのだそうだ。




 やがて陽は沈み、肌寒さを強く感じるようになる。荷物の中から毛布を取り出すと、荷物越しにダットへ一枚渡す。

 もう一枚をチョウヒさんに渡そうとすると、俺と一緒にくるまろうとする。俺は少し迷ったがそれを受け入れる。

 パーティ内で一組だけイチャついているように見えないだろうか。そしたら士気が下がったりしないだろうか。

 そんな俺の不安を打ち明けられないまま、街灯などない街道をひた走る。


 しかしニッさんの「揺れ」に海苔を貼っておいて本当に良かった。そうじゃなきゃ、周囲に気を配れるほどのゆとりはなかっただろう。


「この先に少し開けた所がある。夕方出発の連中が馬やら恐竜やらタレポやらをよく休ませている場所だ」


 モーパッの声が少し弾んでいる理由を、その時の俺はまだ分からなかった。


「俺たちも休んだ方がいいのか?」


「孤高姫がいいならそうしよう」


 通知を送ると、ダットは右手を上げ、孤高姫からも笛の音が一回だけ返ってきた。

 快適なドライブで俺たちはほとんど疲れていないが、ダットやニッさん、孤高姫たちはそれなりに疲れているのだろう。

 冒険者としての先輩であるモーパッが位置取りなどを細かく指示し、俺たちはそれに従う。


 モーパッとダット、チョウヒさんと孤高姫が、それぞれ連れ立ってトイレへと行く。

 チョウヒさんが戻ってきてじゃあ次は俺の番かと立ち上がったら、モーパッに止められる。

 そうか。孤高姫がまだ戻ってきてないか……ん? 遠くから何かが近づいてくる音……恐らく馬車?


「ようやくか。さぁて、夜のお楽しみが始まるぞ」


 いつの間にかモーパッの横には俺の握りこぶしくらいの石が幾つも積まれている。

 ダットとチョウヒさんは立ち上がり、ニッさんのお腹を覆う防具を取り外し始める……ちょっと待て。

 状況を把握できていないのは俺だけ?


「モーパッ、俺は何をすべきだ?」


「さすが会長ってやつだな。自分が今まで会った地球人の中では一番、勘がいい……が、そのままでいい……いや、もうちょっと自分に近づいてくれ。あと」


「あと?」


「自分に何かされても受け入れてくれ」


 モーパッがイタズラっぽい笑みを浮かべる。

 ダットとチョウヒさんは外した防具をしゃがんでいるニッさんへと立てかけ、二人してそのすぐ脇へと腰を下ろした。

 孤高姫はまだ戻ってこない……そんなことを考えているうちに、二台の馬車が到着した。

 別の冒険者集団かな? と振り向いた俺の頬にモーパッの手のひらが触れる……『加護:頑丈++』……その表示が浮かぶと同時、背筋がぞくりとして、身を固くしかけたとき、それが拒絶なのだという意識が脳裏をよぎる。

 モーパッの言葉を思いだし受け入れる方向へ意識を固めると、体の芯が温まった気がした。


『ノリヲ 肉体:41/41 精神:48/49』

 『頑丈:12(++)』


 加護を与えられた?

 ハッとして『最低限の盾』を構える。視界の隅ではダットとチョウヒさんとがニッさんの外した防具を盾のようにしてその陰に隠れている。


「盾で顔を覆え」


 モーパッがそう叫ぶより早く、俺はそうした。馬車から居りてきた奴らが突然弓を構えて放ったから。

 盾を構えた手に衝撃を受けて体がのけぞりそうになるが、不思議と持ちこたえられる。

 再び俺が盾の陰に顔を隠すまでの間に、モーパッの投げた石が、弓を構えていた奴らの頭部と腹部とを貫通するのが見えた。

 視界はすぐに盾の内側で覆われたが、瞼の裏にはまるでスプラッタ映画のような光景がスローモーションで焼き付いて離れない。

 その間にも、馬車があった方向から、バス、バス、という音に混じって人の呻き声のようなモノが幾つも聞こえている。


 モーパッがドンと右足を踏み鳴らす。

 両手には既に、独特な形の剣を構えている。半月より少し欠けた月を真ん中でポッキリ折ってそれぞれに柄を付けたような剣。長さは俺の腕よりも短いが、刃の厚みは剣と呼ぶのをためらうほどにある……まるで、何か巨大な獣の牙のような。

 次の瞬間にはモーパッの姿はなく、つい盾の隙間から片目だけ出して目で追ってしまう。

 モーパッの鎧は下に服こそ着ているもののパーティの中では唯一「異世界の女戦士」っぽく体を覆う部分が控えめの部分鎧。

 目立つ赤にカラーリングしているのは返り血が気にならないからと言っていたが、確かにあの戦い方はそうなのだろう。

 爪先に魔獣の牙を取り付けたゴツい足防具は、モーパッが軽く足を振り上げるだけで敵の手足が簡単に千切れ飛ぶ。

 一台の馬車が逃げ出したが、ほどなくして孤高姫に御されて戻ってくる……なるほど。孤高姫も奇襲を読んでいたってことか。


「生き残しは三人でいいんだな?」


 孤高姫がそう言うと、モーパッが頷く。

 熟練冒険者感のある二人は馬車の中からロープを見つけ出し、「生き残し」と呼んだ三人を縛り上げた。

 うち一人は右足を失っており、傷口もロープで縛ってはいるものの、妙に体を震わせている。


「うっかりもう一人殺しちまうとこだった」


 惨状の真ん中で、てへぺろな感じで軽く会話する二人。


「ここは近くに水場があるのが良いんだが、裏を返せば普通に動物も寄ってくるってことだ。ゴルゴサウルスが居れば小物は寄ってこないだろうが、これだけ血の匂いさせてるとね……とっとと済ませよう」


 何を? もう済んでいるのに?

 ……なんて安易に考えていた俺は覚悟が甘かった。

 三人を生き残らせたのは、俺たちに経験を積ませるため……そう、「殺す」経験を。


「いざってときにためらっちまったら己や仲間の命を失う。だからここで慣れておけ」


 無抵抗の縛られた人間を、涙目で俺たちを見上げる人間を、直接攻撃武器で殺す。

 新人冒険者ならば誰しもが通る……普通は鹿とか猪とかを使って行う儀式らしいのだが、今回はたまたま襲撃されたので……って……そういえばザブトンさんが、召喚された地球人のうち、冒険者になるのは二割ほどだって言っていた。そりゃそうだよな。

 冒険に出る、ということを俺は理解してたつもりでまったくわかっていなかった。


「焦らずにゆっくり構えて」


 モーパッの声が、初めて会ったときのように小さく聞こえる……違う。自分の心臓の音が耳の中を占領しているんだ。

 しかも眼の前のこの男の心臓の音を、俺はこれから止めるのだ。






● 主な登場人物


・俺(羽賀志ハガシ 典王ノリヲ

 ほぼ一日ぶりの食事を取ろうとしていたところを異世界に全裸召喚された社畜。二十八歳。

 殺人かぁ……ハァ……やりたくないなぁ……。


・チョウヒ・ゴクシ

 かつて中貴族だったゴクシ家のご令嬢……だった黒髪ロングの美少女。十八歳。俺を召喚した白魔術師。

 冒険者ギルドで再開してからなぜかずっと甘えられているというか、距離の近さを感じる。


・ダット

 ゴルゴサウルスを操る御者。銀髪ショートボブに灰色の瞳。背が低いオレっ娘。十三歳。ゴクシ家のお抱え運転手。

 真チョウヒさんファンクラブの中に、ダットも応援するクラブという内部派閥が生まれたらしい。


・ニッ

 ゴルゴサウルス。体長は十メートルくらいありそう。ヘッドライトの効果がある眉毛型の魔法具を装備している。

 ニッさんの「揺れ」ののりしろを探して海苔を貼ったら全く揺れなくなった。


・コウ

 ドバッグ家の三男坊だった性犯罪者。ダットの弱みにつけ込み卑猥な行為を繰り返していたソバカス小太り男。

 海苔を剥がしたところ、その犯罪的欲求が暴発し逮捕。現在はドバッグ家を放逐され、貴族ではない。


・モーパッ

 真チョウヒ様ファンクラブ副会長デッの姉。感嘆するほどの筋肉を持ちながら小顔で美人。

 三年前までは赤いあぎとの二つ名を持つ冒険者として活躍していた。今回の依頼に同行してくれる。


孤高姫ここうひめ

 本名マリーローラン・ニヤカーを隠して冒険者をしている。公衆の面前でコウに恥をかかされた被害者。

 コウへの復讐が目的のようだが、今回の依頼への同行を申し出てくれた。


・モノミユ

 タレポという種類の鳥で、人が騎乗できる。ダチョウのようなフォルムで空は飛べないが、走ると早い。

 体の大きさはダチョウより二回りくらい大きい。砂漠が多い地域では移動手段として馬より優れているらしい。

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