#12 クソ勇者

 元カノ……望都歌モトカと知り合ったのは、社会人二年目になりたての合コンで。


 彼女の目には、俺は「優し」くて「世話焼きな」人と映ったみたいで、彼女の方からアタックしてきてくれた。

 でも、それは「私の勘違いだった」と別れるときに言われたけどな。

 俺は「優しいんじゃなく、誰にでもいい顔しているだけ。頼まれたら優先順位も考えず頼まれただけ引き受けて、結局どうにもならなくなって迷惑かけて。私とのデート、何回潰した? 本来はノリヲがやるべきじゃなかった仕事で。私さ、最近気付いたの。何でノリヲはそんな必死に八方美人しているんだろうって。何を怖がっているのって」……怖がっている、その言葉が程よく腑に落ちた。だから一言一句違えずに覚えている。


 そうだな。

 俺は怖がっていたんだ。ずっと。


 我慢して我慢して言われた通りに頑張って、でも、あっという間に「跡継ぎ」というハシゴを外されて、それどころか実家に居場所がなくなって。友人たちが遊んでいる間にバイトをしなきゃ大学という居場所を奪われそうだったし、それで留まった大学でも俺の要領の悪さのせいなのか、いつも留年に怯えて勉強も必死にやっていた。

 頑張らないと自分の居場所がなくなる、頑張っても自分の居場所がなくなることもある……そんな想いが俺の無意識に染みを作っていた。

 だから、俺に居場所を、必要としてくれる人を、大切にした……そう思っていた。

 でも望都歌に気付かされた。餌をくれそうな相手に見境なく尻尾を振っていた犬みたいなもんだったって。

 目の前に困っている人を見つけたら助けようとするのは、善意じゃなく、怖いから。嫌われるのが、飽きられるのが、必要とされるということにしがみついていただけ。

 ゲンチに召喚されたとき、地球に居場所がない人が呼ばれやすいって聞いて、やっぱりって思った。


「ノリヲさん……私のために、私のキナコのために泣いてくれてるの?」


 泣いているのか、俺……みっともないな。

 しかもさ、アマツさんに気持ちを寄り添わせているってわけじゃない。自分が情けなさ過ぎるだけ。


「優しいんですね。私、ノリヲさんのこと、若い子好きでスケベなゲスとか酷いこと思ってました。でも今はわかります。ノリヲさんに話を聞いていただいてると……安心するんです。不思議となんでも話せるというか……きっと婚約者の方も、そういう温かさをノリヲさんの中に見つけたのでしょうね……あ、私ばかりしゃべってますね」


 そうじゃない。そうじゃない。そんないいもんじゃない。

 「なんでも話せる」んじゃないんだ。俺が海苔を剥がしたから、心に留めていたものを、秘密を、さらけ出しているだけ。それを勘違いしているだけ……チョウヒさんだって、きっとそう。

 優しいと言われると、望都歌の別れ際の悔しそうな怒り顔を思い出す。

 本当の俺は、そんなありがたいことを言われる資格はない。


 首を横に振る。

 否定したいのは、俺自身。

 いっそ自分そのものに海苔を貼ってしまおうか。


『(個別):通知』


 通知が来て、涙を拭う。

 我に返ってすぐに再生する。


『ごめんなさい。私、これから緊急の依頼で町の外へ探索に出なきゃです。なのでダットは地球人ギルドに向かわせます。申し訳ないけど、二人で帰宅していてください。ダットに門の鍵を開く魔法具を渡しておきます。突然で本当にごめんなさい……でも、帰ったときに人がいるって、私、ちょっと頑張れそうです』


 チョウヒさんの声。

 新しい「お願い」が届いて、動かなかった足が動くようになった。


「アマツさん、俺、もう行かないとです」


「あ、はい……今日は本当にありがとうございました。とてもつらかったのが、少しですが向き合うことができました。このお礼はまた今度させてください」


「お気になさらずに……アマツさんも、無理しないでくださいね」


「ありがとうございます」


 小会議室を出てすぐ、男子トイレに寄り顔を洗う。

 それから一気に一階まで下り、人影まばらな受付フロアを抜け、地球人ギルドを出た。


 五分と経たず、ダットは無事に地球人ギルド前へと到着した。

 ニッさんの眉は確かに光っている。


「ノリヲあんちゃん、乗って」


「ああ。ありがとな」


 地球でのことも望都歌の言葉も今は忘れよう。

 釈放されたコウがいつ襲ってくるとも限らないのだし……と気を張り詰めていたせいか、チョウヒさんの屋敷に戻り、ちょっと休憩のつもりで……俺はいつの間にか、自分のベッドで寝てしまっていた。

 夕飯も食べずに……ダットはちゃんとご飯食べたのか?


 様子を見に行こうと起き上がろうとして、俺が布団ではなくダットをかけていることに……俺の左脚が抱き枕になっていることに気付く。

 チョウヒさんのものなのか大きめのキャミソールを着て、風呂に入ったのかなんだかとても良い香りがする……この香り、白パンに感じた香りに似ているな……じゃなくて。

 一応年頃の女子なんだし、こんな格好でおっさんのベッドに潜り込むなんて……もしかして父親に重ねているのか?


 ダットは今の美海ミミと同じくらい育っているけど、美海もちっちゃな頃はこんな風に懐いていたっけな。

 姉ちゃんも俺のこと気にして作ったおかず持って美海連れて、俺の安アパートにちょいちょい来てくれた時期もあったし。


 それにしても……肩紐こんなにずり下げて……。

 ダットの肘まで下がっていたキャミソールの肩紐を肩まで戻そうとつまんだ、まさにそのタイミングだった。俺の部屋の扉が勢いよく開いたのは。


 チョウヒさんだった。

 しかも泣いていた。

 俺は自分の手を見る。俺のベッドで俺の左脚にしがみつくダットの肩紐をつまんでいる。


「いや、これは違っ」


 言い終える前に、チョウヒさんは全力で俺に向かって走ってききた。

 引っ叩かれると目を閉じて歯を食いしばったとき、ひやりと冷たいものが俺にしがみついた。

 俺の耳に触れるチョウヒさんの頬も冷えている。


「チョウヒさん……どうしたの?」


「気持ち悪かった」


 ごめんなさい、という言葉が出てこない。決してその気はなかったけど、はたから見たら十三歳の女の子に悪戯しようとしている二十八歳案件。言い訳のしようもない。


「ノリヲさん、手を貸して」


 右肩は俺に抱きついているチョウヒさんの胸の谷間にすっぽり収まっている。なのでダットの肩紐を持っていた左手を、紐を放し、恐る恐るチョウヒさんの方へと運んだ。

 チョウヒさんは膝立ちへと体勢を変えると、俺の手をつかみ彼女自身の太ももへと押し付けた……ガーターベルトが千切れている?

 ちょっと待て、俺。

 さっきから自分の保身で頭がいっぱいで……チョウヒさんのことちゃんと見たか?

 メイド服のあちこちが擦り切れているし、ストッキングだって破れている。しかもあちこち泥で汚れている。


「触って……ノリヲさんの手で上書きして」


 チョウヒさんが導くまま、十八歳の少女の太ももを撫でているというのに、俺の体の中は煮え立つ怒りで熱くなっている。

 チョウヒさんをこんな目に遭わせた奴への怒り。そして不甲斐ない自分に、守ると心に誓ったのに何も守れていない俺自身に対しても。


「何が」


 あったの、と聞こうとして、それが、その聞く行為が、チョウヒさんをさらに傷つけてしまうのかもと口をつぐむ。

 チョウヒさんと俺との間にある右肩を引き抜くと、俺の右膝の上にチョウヒさんを座らせて、強く抱きしめた。


「……ノリヲさん、どうしよう……私、逮捕されるかもしれない」


「え?」


 なんで? もしも襲われたのならば、逮捕されるのは相手なんじゃ?


「私、勇者を攻撃してしまったかもしれないの」


 勇者?

 勇者じゃない奴が勇者を名乗ったら犯罪っていうのは知っているけど……それに攻撃だけで逮捕?


「んっ……ノ、ノリヲさん……そ、そんな奥までは触られてないです」


 チョウヒさんの鼻に抜けた息が俺の耳にかかる。

 んんんんんっ。ヤバい。何がヤバいって今、俺の股間はダットの顔のすぐ近くだってこと。これは父親代わりとして死んでも乗り越えねばならないところ……ラッカさんの「一緒に堕ちよう」を思いだし、なんとかスンと収めることができた。

 あっぶねぇ。


「チョウヒさん……詳しく聞かせてもらってもいいかな?」


 知らなければ対策も立てられない……いざとなったら、一生思い出さないで済むように海苔を貼る覚悟で、俺はチョウヒさんに尋ねた。




 全てを理解した俺は外へ出る準備を始める。目を覚ましたダットにも外出の準備をうながす。

 俺たちがニッさんに乗って屋敷の門から深夜の大通りへと出たとき、奴らはすぐ近くまで来ていた。


「いたぞ! やっぱり帰宅していたぞっ!」


 プロトケラトプスの恐竜車が二台……こいつらもニッさん同様に眉毛型の照明魔法具を装着している。


「あっちがジコハです」


 恐竜車の近い方の一台、御者席に腕組みした若い男をチョウヒさんが指す。


「チョウヒ・ゴクシ! 大事な任務を放り出して逃亡とは、なんたることだっ!」


 顔の作りこそ整ってはいるが、今ものすごく悪い顔をしているせいか、チョウヒさんの話を聞いたせいか、もう卑劣な性犯罪者にしか見えない……こんなクソ野郎が勇者だと?

 この国の勇者認定係は仕事していないのか?


「ダット、行って」


 小声で告げると、ニッさんが凄まじい加速で走り出す……が、全く揺れない。

 ジコハ一味も慌てて追いかけてくるが、スピードならニッさんの方が早い。

 しかし向こうは二台でうまく連携を取って挟み撃ちにしようとする。

 人影がほとんどない夜の町で図らずもダイナソーチェイス。

 ニッさんの走る地響きや、恐竜車の車輪の軋み、ブレーキ音、奴らの怒号……俺たちが駆け抜けたそばから町に明かりが戻り始める。

 やがて、扉や窓から顔を出す者や、馬に乗った衛兵たちが次々と現れた。

 脇道もあちこち塞がれ、俺たちは追い立てられるように見覚えのある広場へ……治安本局の前だ。






● 主な登場人物


・俺(羽賀志ハガシ 典王ノリヲ

 ほぼ一日ぶりの食事を取ろうとしていたところを異世界に全裸召喚された社畜。二十八歳。

 魔王の二体同時出現、ダットにセクハラしてた元貴族コウの釈放、チョウヒさんを傷つけた勇者ジコハ、大問題だらけ。


・チョウヒ・ゴクシ

 かつて中貴族だったゴクシ家のご令嬢……だった黒髪ロングの美少女。十八歳。俺を召喚した。

 冒険者ギルドで受けた依頼の果てに勇者ジコハに……ジコハ許すまじ。


・ダット

 ゴルゴサウルスを操る御者。銀髪ショートボブに灰色の瞳。背が低いオレっ娘。十三歳。ゴクシ家のお抱え運転手。

 俺が海苔を剥がしたせいで対立させてしまった貴族が貴族階級を失った。報復から俺が守らねば。


・ニッ

 ゴルゴサウルス。体長は十メートルくらいありそう。ヘッドライトの効果がある眉毛型の魔法具を装備している。

 ニッさんの「揺れ」ののりしろを探して海苔を貼ったら全く揺れなくなった。


・コウ

 ドバッグ家の三男坊だった性犯罪者。ダットの弱みにつけ込み卑猥な行為を繰り返していたソバカス小太り男。

 海苔を剥がしたところ、その犯罪的欲求が暴発し逮捕。現在はドバッグ家を放逐され、貴族ではない。


・アマツ

 女子トイレですすり泣いていた人。地球での名前は天津アマツ紗絵サエ。眼鏡美人の二十六歳。

 海苔で涙を一時的に封印してあげて距離が縮まったが、こんなオッサンとそんな距離にさせてしまって申し訳ない。


望都歌もとか

 元カノ。合コンで告られて、付き合って、痛いところを見抜かれてフラれた。

 望都歌の人生を俺なんかで無駄使いさせちゃって本当にごめん。


美海ミミ

 姪っ子。昔は懐いていた。現在は中学二年生。


・ジコハ

 冒険者ギルドからの緊急任務でチョウヒさんが組んだパーティーのリーダーにして勇者……らしいが、やってることはクソ性犯罪者。許さねぇ。

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