#11 なんだよ、海苔の王って
どうして、こういうときって、何も悪いことしていないのに慌ててしまうんだろう。
たまたま通りかかった女子トイレの中から聞こえてきたすすり泣き。聞き耳立てていたわけじゃない。確かにちょっと気になってわざわざ近くまで来たのは俺の方だ。でも、それだけ。
なのに、勢いよく開いたドアに慌てた俺は、みっともなく足を滑らせてしまった。
「大丈夫ですかっ?」
尻もちをついた俺に駆け寄ってくれたのは、いかにも秘書っぽい感じの眼鏡美人。ただ、瞳が真っ赤。泣いていたのはこの人だろうか。
黒髪を後ろでアップにまとめ、ピシッと決めた薄いグレーのパンツスーツ、白いブラウスは胸元が窮屈そうで……この人も地球人なのだろうか……サブトンさんのときも思ったんだが、あんな感じの良い人や、こんな綺麗な人が、地球で「自分の居場所がない」って感じるようなことって……。
「は、はい。ちょっと驚いてしまって」
「あなた……もしかして、噂のノリヲさん?」
再び昨日の失態を指摘されるパターンかと身構えたが、彼女から出てきたのは二の句ではなく、大粒の涙。
「す、すみません……今日、ちょっと私ダメで……ちゃんと仕事しないといけないのですが」
俺は立ち上がり、ポケットからハンカチを取り出して渡す。
何があったのか気になるところだが、さっき魔王の状態異常の体験談を読んだばかり。もしもデリケートな悲しみだとしたら、初めて会ったどこの馬の骨ともわからない俺ごときが踏み込んでいい領域ではないだろう。
「お気にならさずに」
「……本当に……申し訳ありません……」
眼鏡を外し、ハンカチを顔にあてた眼鏡美人さんの涙は止まる気配がなさげ……まさか、状態異常?
「本当はあなたを連れて行かないといけませんのに……」
ん?
まさか俺がずっと待たされているのはこの人のトラブルのせい?
参ったな……早く用事を終わらせて、チョウヒさんたちに合流したいのに……あ、
「あの……一時的に涙を止めるだけならできるかもしれません……ただ、後でもう一度、解除する機会をいただくことになりますが」
眼鏡美人はハンカチを外し、眼鏡をかけた。
俺を値踏みするようにじっと見据えている。
「あんな可愛いフィアンセが居るのですから、ナンパではありませんよね? もしかして、そのような天啓をお持ちなのですか?」
「あ、はい。そうです」
自分の天啓を慌てて再確認する。
『天啓:【秘■共感】』
天啓は【】内の言葉からイメージできる魔法的能力だと言うが、俺は自分の天啓を知る前からこの
「魔力身分証」を得てから何度もこの【秘■共感】というのは確認しているが、この秘密の
ただ、天啓について疑問を持ったら使えなくなるとも地球人ガイドに書いてあったから、深く考えないままでいたが……。
「……じゃあ、お願いしてもよろしいですか?」
「わかりました」
眼鏡美人の、この涙に関わる部分だけに
彼女は驚いた目で俺を見つめる。その瞳にはもはや赤さもない。我ながら
「……不思議ですね。心に、ぽっかりと穴が空いたような感じですが、そのことを冷静に受け止められています。ありがとうございます……あ、私の名前はアマツです。地球での名前は
「よろしくお願いします、アマツさん。ご存知かと思いますが、俺はノリヲです。あの、ザブトンさんもそうでしたが、皆さん、地球人と会ったときは地球での名前を名乗るのが礼儀とかだったりするのでしょうか?」
「ああ、違います。私たち地球人ギルドの職員は、ゲンチへ召喚された方々の不安を取り除くためにあえて名乗っているだけです。こちらへ来る方の中には、地球でのことを思いだしたくない人も少なくないので、登録名だけ告げていただければ十分ですよ」
アマツさんはプロフェッショナルな微笑みを見せると、階段を降り始めた。
俺もそれに続く。
地球でのこと……確かに自分のこの名前は昔から好きじゃなかったな。
海苔屋の五代目だから「海苔の王様って名前にしたい」と名付けられ、小さい頃からずっとイジられてきた。それだけ我慢して迎えた高一のとき、二つ上の姉ちゃんが妊娠した。そしていつの間にか、姉ちゃんの相手が婿養子になって五代目を継ぐという話になっていた。とんだイジられ損だ。
姪っ子は可愛かったが、うちの海苔屋はそんなに広くはなかった。俺が家を出ざるを得なかった。それに今どき、海苔屋が儲かるわけでもない。仕送りもほとんどなく、俺の大学生活はほぼバイトで終わった。
そんなことを考えているうちに、大会議室へと到着する。
中にはトト支部長と、若草色の制服……おそらくゲンチの偉い人が二名、それから衛兵が八名、残りのスーツの人たちは地球人ギルドの方々だろうか。
この部屋のものと思われる長机やパイプ椅子は壁際に片付けられていて、部屋の中央には立ち飲み屋の酒樽テーブルみたいな円柱状のテーブル。その上に布が敷かれ、ボーリングのボールくらいの大きさの乳白色の玉が置かれている。
地球人ギルド登録時に触れた『
「随分遅かったな。何か企み事でもしていたのか?」
若草色制服の片方が不機嫌そうな表情でアマツさんと俺とを見つめる。
「すみません。トイレに行ってて……」
アマツさんが何かを言う前に俺がそう言って頭を下げた。これなら俺のせいに見える上に嘘も言っていない。
不機嫌さんは舌打ちをして顎で玉を示した。
すかさずもう一人の若草色制服さんが、柔和な表情――目は笑ってはいないけど――で、説明をしてくれる。
「こちらの玉に手を触れ、ご自身の天啓のご説明をしていだくだけです。既にご存知かもしれませんが、魔王が復活いたしました。通常であれば各国選りすぐりの勇者で構成された少数精鋭で魔王討伐に赴くのですが、今回は事情が……七魔王封印から560年、初めての魔王二体同時出現となるのです。最善の手を尽くすべく、ご自身の才能にまだ気付いていらっしゃらない人材を発掘できれば……との試みなのです」
……魔王が二体?
それって相当ヤバいんじゃないの?
となるとグズグズしてる暇はない……俺は乳白色の玉に触れ、説明を始めた。
「えっと、俺の天啓は、相手が秘密を持っていることがわかるっぽいです。ただ秘密の内容まではわかりません」
この玉はなんだろうな。嘘発見器みたいなやつかな……だが実際のところは嘘も何も、俺にもよくわかっていない能力なんだよな。
「ふむ。【秘密共感】か。尋問には役立ちそうだが……中途半端だな。もういいぞ」
不機嫌さんが玉を向こうから覗き込んで鼻で笑う。感じ悪いが偉い人っぽいので我慢だな。地球でも大手企業さんの偉い人でこういう人いらしたし。
だがそれよりも俺は【秘密共感】と言われたことの方が気になる。
もしかして
「今のが最後の一人ということはこれで全員か……めぼしいのは居らんかったな。まったくの無駄足か」
不機嫌さんが衛兵に指示を出すと、六人の衛兵が飛んできて玉を丈夫そうなケースへと収めた。
そして、ケースを持ったその六人と一緒にとっとと出ていってしまう。
あとに残された目が笑っていないさんは、軽く会釈をしてから一言だけ詫び、残り二名の衛兵と共に帰っていった。
「ノリヲさん、ご協力ありがとうございます。地球人ギルドの職員一同に成り代わってお礼申し上げます」
トト支部長が頭を下げてくださる。
「いえ……魔王については地球人ガイドを読みましたから……ピリつくのもわかります」
「でも本当に異例の事態のようですので……本日はもうお帰りいただいて結構です。ただ、避難指示が出た場合には早急に従うようお願いします」
「ありがとうございます」
よし、ではようやくチョウヒさんたちのところへ……と、大会議室の出口から出た俺の袖を誰かに引っ張られた。
アマツさんだった……あー、
早速剥がそうとしたところ、アマツさんが顔を近づけてきて「ここじゃなく、上で」と小声で告げる。
そうだよね。ここでまた泣き出してしまうわけにもいかないよね。
二人して、俺が最初に居た四階の小会議室へと戻る。
ここへ来るまで人目を避けてきたせいか、変に背徳感のようなものを覚えてしまう。
とっとと剥がしてここを出よう……と思っていたのに、
「お願いします……もう少しだけ、いてくださいませんか……」
俺がここに留まっているのは、そんな風に頼まれたからではない。
ましてや助平心でもない……そりゃ真面目な話、恋愛のパートナーという点で見れば、十八歳ゲンチ人の美少女チョウヒさんよりも二十六歳地球人の眼鏡美人アマツさんだとは思うよ。でも違う。そういうことじゃない。
俺は理由を……この感情の名前を知っている。
元カノに指摘されたとき、本当にそうだと感じたから……ああ、俺……相変わらずダメなままなんだな。
● 主な登場人物
・俺(
ほぼ一日ぶりの食事を取ろうとしていたところを異世界に全裸召喚された社畜。二十八歳。
魔王が出現したし、コウが釈放されたらしいし、不安でいっぱい。
・チョウヒ・ゴクシ
かつて中貴族だったゴクシ家のご令嬢……だった黒髪ロングの美少女。十八歳。俺を召喚した。
大画面に自分の裸体を晒した俺をあろうことかかばってくれたらしい。しかも婚約者とか……本当に申し訳ない。
・ダット
ゴルゴサウルスを操る御者。銀髪ショートボブに灰色の瞳。背が低いオレっ娘。十三歳。ゴクシ家のお抱え運転手。
俺が
・ニッ
ゴルゴサウルス。体長は十メートルくらいありそう。ヘッドライトの効果がある眉毛型の魔法具を装備している。
ニッさんの「揺れ」の
・コウ
ドバッグ家の三男坊だった性犯罪者。ダットの弱みにつけ込み卑猥な行為を繰り返していたソバカス小太り男。
・アマツ
女子トイレですすり泣いていた人。地球での名前は
・トト支部長
地球人ギルドのオウコク支部長で、触れた相手の記憶を映写する【記憶映写】という天啓を持つ。
ジェントルなダンディ。
・若草色制服の偉そうな人たち
不機嫌な人と、目が笑っていない人。偉そうにしている人って実際に偉い人が多いので困る。
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