#9 魔王惨禍

 俺がダットさんに守るよなんて言ってしまったのは、罪悪感のせいだけじゃない。

 年齢的には美海ミミ……うちの姪っ子と同い年くらい……それできっと重なっちゃったんだと思う。

 とはいえ、貴族に目をつけられて、これからどうする……後悔はいつだって口に出してしまってから。


 しかも俺が何かしでかしたら、チョウヒさんに迷惑が……ああ、思い出してしまった。

 治安本局を立ち去るとき、治安省の副大臣であるヒアルロン様が、「素敵な婚約者ではないですか」とか言っていたのを……。

 あの場では理由も聞かずうまく話を合わせたけど……もしもチョウヒさんが俺を守るためにそんな嘘をついてくれたのだとしたら、俺がそのチョウヒさんを差し置いて、ダットさんに「守る」とか言っちゃうのも問題あるよな?


 俺は何を安請け合いしてんだ……だが時既に遅し。

 ダットさんは救いを見つけたと言わんばかりの表情で、四つん這いでバタバタと俺の方へと近づいてきた。

 そのまま俺の左膝の上にまたがってしがみついてきた。

 何度も男に触られてしんどい思いをしていきているはずの彼女が、同じ男である俺にしがみついてくるだなんて、あの貴族への恐怖や嫌悪はよっぽどのことなのだろう。


「ダット」


 不意に、チョウヒさんが声を出し、俺の背中から頬を剥がした。

 語気は強くはっきりとしている……どうやら放心状態から解放されたようだ。


「あなたは、うちの……ゴクシ家のお抱え運転手なのよ。衛兵に捕まっている犯罪者の讒言ざんげんなどには耳を傾けず、もう行きなさい」


 チョウヒさんの言葉が辺りに響くと、コウは一瞬、黙る。

 そこへ、見覚えのある恐竜車――俺が昨夜、地球人ギルドから治安本局まで護送されたときの丈夫そうな檻付きのやつ――がやってきて、コウを押し込んで去ってゆく。

 そこまで凛としていたチョウヒさんが、空気が抜けたように再び俺の背中へともたれる。


「ドキドキしたぁ……ノリヲさんが一緒じゃなかったら、あんなこと言えなかったかも」


 この雰囲気は……チョウヒさん怒ってない感じ?


「いやいや、チョウヒさん格好良かったよ」


 俺が居るとか居ないとかじゃなくて、本当に格好良かった。

 背中からくふふと噛み潰した笑いが返ってくる……チョウヒさん、本当にいい子、いや、いい人だ。人間として尊敬できる。

 地球人ギルドで公式パーティ前に受けた説明では、召喚者と折り合いが悪い地球人が少なくないこととか、なんならこのまま地球人ギルド側で保護という手段も取れますよって案内されたからな。


「あ、あのっ……オレのこと助けてくれて、マジでありがとう……です」


 ダットさんも俺に張り付いていた状態から上体を離し、俺のことを見つめる……顔が近くて今更ながら緊張する。


「これから、よろしくね。さっきは名乗っていなかったけど、チョウヒ・ゴクシよ」


「え、雇ってくれるのって……マジで?」


「もちろん」


 うん。実は俺もその場しのぎのブラフかもって思っていたのは内緒。

 ダットさんが俺をじっと見上げる。

 俺が静かに頷くと、ダットさんはようやく俺から離れ、運転席へと戻った。


「どこに向かえばいいんだ?」


「ちょ、ちょっと待って……で、でも、今日は歩きたい気分、かもなぁ……」


 突然急降下するチョウヒさんの声のトーン。

 ああそうだ。アレを解決しなければな……俺はニッさんの体にのりしろを探した。揺れのことをイメージしながら。


「チョウヒさん、大丈夫だよ。ダットさんは心配ごとが無くなったから、きっと本来の実力を出せるようになったと思うよ」


 俺にしか見えない海苔を腰につけたニッさんは、驚くほど滑らかに、軽やかな走りで街を駆け抜けた。




「すごいっ! これならいつまでだって乗ってられる!」


 ご機嫌のチョウヒさんが指示した場所でニッさんが静かに停まる。

 海苔を貼る前のロデオ状態とは雲泥の差。


「で、チョウヒ様、これからどこへ向かえばいいですか?」


「様はやめてちょうだい。そこの大きな門に背中を近づけるって可能?」


「はい、チョウヒ……さん、こうですか?」


「うん。それで大丈夫」


 チョウヒさんが手を伸ばして触れたのは、重そうな金属の門……ゴルゴサウルスの背に乗ってなお高さを感じるレンガ塀に囲まれた広大そうな敷地に設置されている。

 それが、甲高い金属音を軋ませながらゆっくりと内側へと開く。

 目の前に広がっているのは、荒れ果てた……かつては大庭園だったと思われる草むら。


 ニッさんの背の上だからこそ見渡せるその草むらは、俺が通っていた中学校の校庭よりも広い。

 そしてその奥に見える赤レンガ造り三階建ての立派な建物は、窓こそ割れていないものの、この景色の中においては圧倒的廃墟感。


「早く入っちゃって。少し経つと自動で閉まるから」


「は、はいっ!」


 チョウヒさんの指示のもと、草むらを踏み分けるニッさんが到着したのは、あの三階建からはちょっと離れたこじんまりとした……いや、あの三階建と比較するからそう見えるだけで、俺が住んでいたアパートよりも広い容積がありそうな、これまたレンガ作りの平屋で、その端は外に面していると思われる外周の壁と一体化している。


 ニッさんから降りた俺たちは、チョウヒさんに続いてその平屋の中へ……ああ、この見覚えのある廊下!

 俺が召喚された本の部屋があったのはこの建物だったのか。

 そう言えば、パン屋さんも、長く高い壁の中に埋め込まれたみたいにちょこんとあったっけ。


「ダット、どうしたの? あなたも入りなさい」


「い、いいのか? オレが、ご主人様と同じ建物に入って」


「何言ってるのよ。あのときは貴族としての威厳を見せるためにああいう態度を取ったけど、あなたは……そう、私の妹みたいなものよ。ほら、入って」


 チョウヒさんがダットさんの手を引いて中へと招き入れる。

 すぐにダットさんの瞳が涙に溺れた。


「この髪と瞳の色、故郷はマムラカ王国の方? こんな遠いところにその歳で一人ってことは、移民?」


 ダットさんは頷く。

 ああそうか。チョウヒさんもずっと一人で頑張ってきたから……。


「十年前……オレがまだ三歳のとき、オレと家族が住んでいた町が魔王に襲われたんだ。オヤジはオレを連れて町の外に居て、町が燃え始めたから慌てて戻ろうとしたらしいんだけど、町から逃げてきた人に止められて……オレもいたしオヤジは泣く泣く逃げたんだって」


「三歳で狩り?」


 思わず話をぶった切ってしまった。


「あー、オレの天啓が【戦竜操縦】だったおかげか、オレと一緒だと戦竜が言うことをよく聞くからって、よく連れてかれてたんだ」


「なるほど……遮ってごめん。続けて」


「それからしばらくして、魔王討伐の知らせを聞いて町に一度戻ったら、みんな死んでいた。しかも当時の領主が酷い奴で、復興費用をケチって蘇生費用を出してくんなくて、金持ちの生き残りから順番に蘇生ってことになって……結局貧乏人は、蘇生の費用を準備できる前に死体が腐っちゃって……オヤジは皆を埋めて、故郷の町を捨てたんだ」


 そうか。死んでも生き返るとは言っても、死体の状態によっては蘇生できなくなっちゃったりするのか。


「オヤジとオレは、オウコク王国に移民として受け入れてもらって……オヤジは冒険者としてずっと生計立ててたんだけど、五年前、野良の魔物にやられちゃって……オヤジと、ニッさんの母親竜はオレたちを必死に逃がしてくれて……それっきりだ。オヤジの友達も手伝ってくれたんだけど、オヤジたちの死体は結局まだ見つかっていない。そんで、オレの年齢では冒険者ギルドに加入させてもらえなくって……ずっとタクシーをやっていたんだ」


 一呼吸おいたダットさんを、チョウヒさんはぎゅっと抱きしめた。


「ダット、私のことは今日からおねえちゃんと呼びなさい」


「はい……チョウヒ……ねえちゃん」


 そんな尊い光景を傍らで眺めていた俺は、その感動シーンに素直にひたれてはいなかった。

 チョウヒさんの父親も、ダットさんの家族も、魔王のせいで命を落としている。

 あの原初の女神ナトゥーラが言った「魔王の影を追え」という言葉……俺がそれをしようと思ったら、この二人を危険な目に合わせるかもしれないし、それ以前に彼女らに悲しい記憶を再び突きつけることになるんじゃないだろうか。

 あの女神には申し訳ないけれど、俺は魔王の影という危なさげなモノに近づくよりは、この二人を守ることを優先したい。




 その後、三人で白パンを食べ、俺の肉体をチョウヒさんの魔法で回復してもらい、俺とダットさんの当面の服を買いに行き、戻ってきてから建物内の使われていない部屋を掃除した。


 この建物は通路を挟んで両側に部屋がある。

 外観はレンガ造りだが、内装は化粧石と漆喰とで綺麗に整えられている。

 通路北側は壁側から改修された白パン屋店舗、台所、洗面所とその奥の風呂場、トイレ、メイド服とチョウヒさんの私物部屋。

 通路南側が壁側から物置、小さな食堂、チョウヒさんとダットさんの部屋、俺にあてがわれた部屋、地下通路のある部屋、本棚部屋。

 俺が使っていいと言われた部屋にはベッドの他、そこそこの大きさの机と椅子、それから本棚があり、何冊ものノートが立てかけられていた。


「ここはもともと使用人が使っていた建物なんだけどね、私とソダテノカーだけになったときに、こちらに住むようにしたんだ。で、この部屋は、ソダテノカーが召喚した地球人が使っていた部屋」


 ん?

 俺の前に地球人を召喚していた?

 詳しく聞こうとしたとき、俺の「魔力身分証」が点滅した。


『地球人ギルド(公式):通知』

『(個別):』

『ノリヲ 肉体:41/41 精神:49/49』

『チョウヒ 肉体:40/40 精神:39/50』


 通知?


「待って、冒険者ギルドから通知……え、魔王が出現?」


 チョウヒさんの声が、やけに耳に残った。






● 主な登場人物


・俺(羽賀志ハガシ 典王ノリヲ

 ほぼ一日ぶりの食事を取ろうとしていたところを異世界に全裸召喚された社畜。二十八歳。

 恐らく俺を治安本局から助けるためだろうが、チョウヒさんが俺みたいなオッサンを婚約者だと言ってくれたの本当に申し訳ない。


・チョウヒ・ゴクシ

 かつて中貴族だったゴクシ家のご令嬢……だった黒髪ロングの美少女。十八歳。俺を召喚した。

 大画面に自分の裸体を晒した俺をあろうことかかばってくれたらしい。しかも婚約者とか……本当に申し訳ない。


・ダット

 ゴルゴサウルスをタクシーにしている御者。銀髪ショートボブに灰色の瞳。背が低いオレっ娘。十三歳。

 俺が海苔を剥がしたせいで、貴族と対立させてしまった。本当に申し訳ない。ゴクシ家のお抱え運転手になった。


・ニッ

 ゴルゴサウルス。体長は十メートルくらいありそう。ヘッドライトの効果がある眉毛型の魔法具を装備している。

 ニッさんの「揺れ」ののりしろを探して海苔を貼ったら全く揺れなくなった。


・コウ・ドバッグ

 ドバッグ家の三男坊。貴族。ダットさんのタクシー業務不調につけ込んで、卑猥な行為を繰り返していたソバカス小太り男。

 中世ヨーロッパ貴族コンセプトのビジュアル系みたいな格好で、ヅラっぽい金髪カールを頭に乗せている。逮捕された。


・ナトゥーラ

 最高のプロポーションの全裸に、卑猥な感じに六枚の海苔を貼り付けた、原初の女神。

 海苔は現在、犯罪者みたいに両目を隠すのに一枚、チョーカーみたいに細長く首に一枚、両乳首部分にそれぞれ一枚ずつ、へそ部分に一枚、股間に一枚。

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