#8 恐竜の背中
「ん? ああ、それは眉毛じゃないぜ。ヘッドライトの魔法具だ。だから夜でも走れるんだぜ」
得意げなダットさん。
周囲からの注目を一身に浴び続けているのもアレだし、俺たちは鞍梯子を登り、ゴルゴサウルスのニッさんの背中にまたがった。
ダットさんの席と乗客席との間には手すりが付いている。跳ね上げた梯子を固定する装置にも手すりが付いている。
手すりには滑り止めなのか布が巻かれているが、それ以外は特に命綱とかもなく……にわかに緊張してきた。
チョウヒさんは俺のすぐ後ろにまたがり、ぎゅっとしがみついてきたりするもんだから、ドキドキが倍速になる。
「じゃあ、しっかりつかまっててくれよな!」
ニッさんが立ち上がると、その体高に加え、その上に鞍、さらにそこに座っている俺たちの背を考慮すると、視点の高さは地上から三メートルはある。
眺めはいいが、それを楽しめるゆとりはない。
「走行中はしゃべらないようにお願いなっ! じゃあ、いくぜっ!」
ニッさんが歩き始め、徐々にスピードが上がる。
さっきの野次の意味がようやく理解できた……あれはイジメなんかじゃなく、本気の忠告だったんだ。
俺はすぐさまチョウヒさんの両手をひっぱり、俺の腹のあたりでしっかりとつながせる。その手を片手で上から押さえ、もう片方の手で、全身全霊の力を込め、手すりにつかまった。
この速度、この高さ、これ落ちたら冗談抜きで危ないやつ。
必死だった。
君の手は死んでも離さないっての、まさにあれ。
俺がうっかり手を離そうものなら、最悪人死にが出かねない。
しゃべらないようにって言われたけど、そもそもしゃべるのなんて無理。
歯を食いしばった状態での激しい縦揺れがずっと続く。
景色が次々と後方へすっ飛んでゆくが堪能どころか手すりとチョウヒさんの手がそこにあることを確認するのがやっと。
尻もちょいちょい浮くし、脳も揺さぶられる……これ何の拷問だ?
……あれ?
いつの間にか、止まってる?
乗ってからのことが思い出せない……記憶もすっ飛んだか?
そして、ここはどこ?
二つの高い塀に挟まれた、幅広の通路。
少し先には大きな門があり、衛兵たちが通る人のチェックをしているようだ。
んんん?
よく見ると左側の塀、塀じゃなく建物だ。
少なくとも四階建てくらいの高さはあって、一階二階くらいの高さには扉も窓もない。
そして三階以上に幾つも見える窓は小さく、日本のお城の弓とか銃とかで狙ってくる穴を連想させるほど。
ダットさんはと言うと、御者席の上でこちらを向き正座している。
「ご、ごめん、ノリヲさん……オレ、行き先聞いてなかった」
「あ、そうだよね……こっちこそごめん。伝えそびれてて……チョウヒさん、住所って」
「……あ、うん……落ちてない……生きてる!」
返事になってない。
「……やっぱり、乗り心地良くないんだな。オレの天啓は【戦竜操縦】で、オレは全然落ちないんだけどさっ。他のお客さんからはクレームばっかりで……ニッさんの食事代稼ぐのも厳しくて」
ダットさんの額に
赤って何を意味するんだろう……確か赤魔術は火属性で、神様だとイグニス様だっけ。
この色がどういうモノなのかは剥がしてみないとわからないのかな……さっきの衛兵の一件が俺を躊躇させる。
まさかこんな半分子供みたいな子が、いきなりあんな風にはならないだろうけど。
「あっ」
ダットさんの表情が急に曇る……まだ
「ダットではないか! 性懲りもなく新規客を騙しているのか?」
突然声をかけてきたのは、すぐ近くの馬車からたった今降りてきた、中世ヨーロッパ貴族コンセプトのビジュアル系みたいな格好の小太り男。
顔にはソバカスがあり、若そうにも見えるが、見るからにヅラっぽい金髪カールを頭に乗せている。
「騙してなんかないやい!」
騙す? この子が?
さっき治安本局前広場で御者は連中の飛ばした野次が脳内再生される。止めたほうがいいっていうのは乗り心地ではなくやっぱり何かあったのか?
よし。これは自衛のためだ。
チョウヒさんのことは絶対に守らなきゃいけないから……と、俺がダットさんの
「お前ら! どうせ庶民だろっ! さっさとそこをどけ! 僕が乗るんだっ!」
なんだこの失礼な奴。
疲れているせいで俺も沸点が低くなっている……が、ぐっと堪える。
なぜなら庶民呼ばわりしてきたから。
地球人ガイドの内容を思い出したのだ。貴族には正当防衛できないとか、みだりに近づくなとかいうアレを。
「イヤだっ! オレはもうお前を乗せないっ!」
ダットさんが叫ぶ……これってもしや俺が
ダットさんが貴族に酷い目に合わされたりしやしないか?
「お前は客じゃないっ! 揺れる揺れるって言いながらオレの体に触るじゃないかっ! 服の中にまで手を入れてくるじゃないかっ! イヤだっ! お前にはもう触られたくないっ!」
えっ……もう酷い目に合っているじゃないか。
「ぼ、僕を侮辱したなっ! 証拠はあるのかっ?」
顔を真赤にして怒っている小太り金髪カールの額に
その
こちらはゴルゴサウルスの背中、向こうは数メートル離れた地面。牢屋のとき同様、手が届かない距離ではあるのだが……意識を集中すると、剥がせそうな気がする。
「いっ、いつも! 必ず! やらしい手で触ってるくせに!」
ダットさんはぐしゃぐしゃの泣き顔で叫んでいる……何を迷うことがあるんだ、俺は。
一呼吸も置かずに、小太り金髪カールの
「わ、悪いかっ! 揺れるそっちが悪いんだ! いや揺れるほどないちっぱい庶民の分際で! この僕がいくら揉んでやっても全然大きくならないじゃないかっ! その戦竜を僕によこせば妾にしてやると言っているのにっ! ああっムラムラするっ!」
小太り金髪カールは地団駄を踏みながら勝手に服を脱ぎ始めた。
周囲から幾つもの悲鳴が上がる。
いつの間にか人だかりに囲まれていて、中には衛兵の姿も何人も見える。
「今、悲鳴を上げたのはどいつだ! このドバッグ家三男、コウ・ドバッグ様に楯突く気かっ! そこの女っ! いいぞ! もっと悲鳴を上げろ! 僕は嫌がられるのを無理やり手篭めにするのが大好きなんだっ!」
もう既に半裸となったコウは、とんでもないことを口走りながら急に群衆の中の一人の少女へとつかみかかった。
白いニットのキャップと白ワイシャツ、黒いセーターをいわゆるプロデューサー巻きしたデニムパンツの少女。
サングラスをかけてはいるが、この距離からでも美人だと断言できる、何というかセレブ臭さえ感じる少女。
その少女は身をかわそうと下がったが、コウの手を避けきれなかったのは、あまりの人だかりのみならず、そもそもその美貌と同じくらい突出した双房がゆえだろう。
コウは、もう片方の手でも少女の胸ぐらをつかみ、叫びながら、ワイシャツを左右へと引きちぎろうとした。
「逃げるな庶民の分際で! お前らは黙って僕のオモチャになっていればいいんだよっ!」
ボタンが飛び、少女の年齢にそぐわないほどの立派な、いや凶悪な胸部が衆人環視の中、白日のもとにさらけ出されてしまう。
少女が慌てて押さえたおかげで唯一残されたブラジャーへとコウはなおも手を伸ばすが、その手首から、ぐしゃりと鈍い音が響く。
屈強な腕、強面のナイスミドル。
ナイスミドルは、つかんでいるコウの手首とさらに腕とを引き寄せ、そのままコウの体全体を半回転させて地面へと引き倒した。
「……ぐっ……だ、誰だっ! 庶民の衛兵ごときが……」
コウが途中で口をつぐむ。明らかに動揺している。
ナイスミドルは、見るからに衛兵ではない。
治安省の副大臣と同じ若草色の制服を着ているから。
「ほう……ドバッグ家の三男坊。君は私の娘に恥辱を与えたばかりか、我がニヤカー家まで侮辱するというのか?」
呆然とするコウから手を放したナイスミドルは、立ち上がると周囲の衛兵に連行するよう指示し、自分の着ていた若草色の制服を翻すように脱ぎ、娘と呼んださっきの被害少女に羽織らせた。
ナイスミドルが大声で誰かを呼ぶと、立派な馬車が人の波を割って近づいてくる。
二人はそれに乗り込み、あっという間に走り去ってしまった。
コウは衛兵に取り押さえられたままだが、突然思い出したかのようにこちらを向いた。
「おっ! お前らのせいだからなっ!」
罵詈雑言を吐き散らしながら、彼を抑え込んでいる衛兵たちの手から隙さえあれば逃れようともがき続けるコウ。
そんな迫力に呑まれたのか、ダットさんは震え始め、俺を見つめた。
すがるような、助けを求める瞳。
そもそもダットさんは、酷い目には合っていた。
だが、それでも貴族相手だからとずっと耐えていた……なのに、その耐え続けていたものを、俺のせいでぶちまけさせてしまった。
この世界で庶民が貴族に目をつけられるということがどれほどのことか、地球人ガイドを読んだ俺には容易に想像できる。
俺のせいだ。
俺が
「大丈夫。俺が守るから」
気がついたらそう言ってしまっていた。
● 主な登場人物
・俺(
ほぼ一日ぶりの食事を取ろうとしていたところを異世界に全裸召喚された社畜。二十八歳。
チョウヒさんには本当に申し訳ないことをしたばかりというのに、今度はダットさんにまで申し訳ないことを……。
・チョウヒ・ゴクシ
かつて中貴族だったゴクシ家のご令嬢……だった黒髪ロングの美少女。十八歳。俺を召喚した。
大画面に自分の裸体を晒した俺をあろうことかかばってくれたらしい。俺のせいで本当に申し訳ない。
・ダット
ゴルゴサウルスをタクシーにしている御者。銀髪ショートボブに灰色の瞳。背が低いオレっ娘。やけに若く感じる。
俺が
・ニッ
ゴルゴサウルス。体長は十メートルくらいありそう。ヘッドライトの効果がある眉毛型の魔法具を装備している。
物凄く揺れる。
・コウ・ドバッグ
ドバッグ家の三男坊。貴族。ダットさんのタクシー業務不調につけ込んで、卑猥な行為を繰り返していたソバカス小太り男。
中世ヨーロッパ貴族コンセプトのビジュアル系みたいな格好で、ヅラっぽい金髪カールを頭に乗せている。
・セレブ臭の美少女
白いニットのキャップと白ワイシャツ、黒いセーターをいわゆるプロデューサー巻きしたデニムパンツにサングラス。
とんでもない破壊力の驚異の胸囲を備えている。
・ナイスミドル
屈強かつ偉い人っぽい。セレブ臭の美少女の父親と思われる。ニヤカー家という貴族のようだが……。
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