#7 海苔まみれの女神

 どのくらいの時間が経っただろうか。

 誰かに呼ばれる声がして目を覚ます。

 濃い霧の中に居るみたいに、なんだか周囲が霞んでいる。


(よくぞ戻った)


 戻った?

 なんだ? 幻聴か?

 でもゾワゾワするくらい綺麗な声。


(我が力の欠片よ)


 誰? 周囲を見回すが何も見えない。


(そなただ)


 その……女の人っぽい声は、俺の脳内に直接響いている。

 うわ、なにこの体験。ファンタジーっぽい!


(時間がない)


 時間……それはわかるけど、こっちは何もわからなくて……せめてお名前だけでも。


(■)


 頭の中に響いた言葉に、海苔がついていた。

 先程の一件があるせいで、海苔を剥がすという行為に抵抗感を覚える。


(どこまで暴くかは選べるはずだ)


 選べる?

 それは海苔を剥がす範囲のことなのかな?


(早く……■を……)


 その海苔へと手を伸ばし、端っこをつまむ。

 ……この力をちゃんとコントロールできるのならば、今日みたいな失敗はせずに……人を助けるためだけに使うことができる。

 俺は覚悟を決め、その海苔を丁寧に剥がし始めた。


 ん?

 海苔が何重かになっている。

 もしかしてこの剥がす枚数がコントロールなのかな。


(全てだ)


 全部まとめて剥がそうとすると劣化したガムテープかってくらい剥がしにくかったので、根気よく一枚ずつ剥がす方向で頑張ってみた。一枚ずつ丁寧にいけば、そこまで頑固でもない。

 急かされてはいたが、海苔を千切らず残さず綺麗に剥がすことを心がけ、ようやくなんとか全部剥がすことができた。

 その海苔の数、なんと八枚。


(よくやった……我が名はナトゥーラ……原初の女神である)


 ナトゥーラ……原初の女神?

 地球人ガイドに載っていた神様の中には名前がなかったような……。


(……嗚呼……我が力を奪いし欲まみれの神々か……)


 ん?

 もしかして俺、何かヤバいことをしてしまった?


(憂色を晴らせ……我が力の欠片よ……欺瞞は我ではなく今の世界よ……だがその功労……僅かだが我が力を取り戻した)


 霧の中に女性の姿が浮かび上がる……今まで見たことがないくらい完璧なプロポーション……で、全裸……その上、なんかすげー海苔だらけ。

 それも今まで見てきたような正方形の海苔ばかりではなく、長方形のも混ざっている。

 まず、犯罪者みたいに両目を隠す細長いのが一枚、首にはチョーカーのように薄く長いのが一枚、両乳首部分にそれぞれ一枚ずつとへそ部分に一枚は普通の海苔、極めつけは股間に一枚で、縦長。

 合計六枚の海苔が、なんとも卑猥な感じに貼り付いている。


(無礼な)


 すっ、すみませんっ!


(残る我が封印をも、解くのだ)


 え、そ、そんな。

 スタイルがナイスバディ過ぎる女神のお体に手を伸ばすどころか正視すらはばかられるし、それに海苔の場所が場所だけに、剥がすのをためらってしまう気持ちも湧いてくる。

 絶対に見えちゃマズいとこ、あるよね。

 それに剥がすことが正解なのかどうかもわからぬまま。


(案ずるな我が力の欠片よ……残りを解くは今のそなたには叶わぬ……他の欠片を探すがよい)


 他の欠片?

 それに俺も欠片?


(封印が解ければ……我が力もまた戻る……まずは名を取り戻した褒美を授けよう)


 うわ、眉間がムズムズする。


(魔王の影を追え)


 魔王……の影?

 疑問はほとんど解決できていないというのに、女神の姿が霧の中へ呑まれて消える。

 待ってください、と、伸ばした手に……温かいもの触れた。


「……ですか! 大丈夫ですかっ!」


 ハッと気付く。

 今まで目を開けていたと思っていたのに、たった今、目を開いた自分に驚いた。

 視界には、チョウヒさんの泣いてぐしゃぐしゃになった顔。

 温もりを感じた俺の右手は、チョウヒさんにぎゅっと握りしめられている。


「……チョウヒさん?」


「……ノリヲさん……良かった……生き返った……」


 生き返った?


「え? 生き返ったって……」


 チョウヒさんは俺の胸へと飛び込み、力強くしがみつく。

 彼女に触れているところから自分の凍てついていた体が雪解けしてゆくように感じられる。


 チョウヒさんの後ろにはトト支部長まで立っている……ここ、あの独房だよな?

 夢とか幻覚とかを見ているわけじゃないよな?


「どうやら運悪く誤解が重なってしまったようです。無実が成立した地球人に対し、死刑に等しい仕打ちを行うとは……ノリヲ様、私ども地球人ギルドからも正式な抗議声明を送ることと決定いたしました」


「あ、はい」


 話がよく見えないまま俺はチョウヒさんとトト支部長とに支えられ、螺旋階段を一段ずつ登る。

 その道すがら、トト支部長が説明してくれたのは、地球人とゲンチ人が結婚する際の注意事項など……どうしてこのタイミングでそんな話をするのか謎だったが、心も体も物凄く疲れていたため、俺は黙って聞き続けた。


 地上階へ戻ると、小豆色の壁……もとい、整列した衛兵たちがこの建物の正面玄関と思われる場所まで誘導路を形成していた。

 その誘導路の中央に、若草色の制服を着たおじさん。

 制服の形は衛兵とほぼ同じだが、体型はメタボだし、ヘルメットはかぶっていない。


「私が治安省の副大臣、ヒアルロンだ。この度は我々の調査不足により多大なる迷惑をかけた。抗議とは別に望むものがあれば、できる限り対処したいと考えている」


 なんだか偉い人に凄いことを言われた……でも、望むもの……なんだろう。今は温かいベッドでゆっくり休みたいというか……あ。


「あの……牢番をしていた二人……ラッカさんとグラさんについては、俺……私が不安で落ち込んでいたときに優しく声をかけてくれました。どうかあの二人には寛大な処置をお願いします」


 独房へ連れてかれるとき、ラッカとグラが罵倒されているのが聞こえていた。

 あの二人については100パーセント俺が悪くて申し訳ないのだが、せっかく助かったところで俺が原因ですとは言い出せない。

 ただ、冒険者を辞めてまで安定した職業として衛兵になった彼らが、今回の一件で職を追われるようなことになったら後味の悪さったらない。

 せめてもの罪滅ぼしが何かできれば……と、お願いしてみたのだが、ヒアルロン副大臣は笑顔でそれを約束してくれたし、整列している衛兵の人たちも表情が少し和んだような気がする。

 それどころか、自分がこんな目に遭いながらも衛兵への感謝を伝え、処罰の軽減を願ったということが副大臣の心に響いたらしく、俺が最後にモゴモゴ呟いた独り言「トイレ桶に蓋があると嬉しい」にまで前向きに検討すると約束してくれた。




 外へ出るともう日が昇っていた。

 振り返ると、そびえ立つ城壁と見紛う建物にはゲンチの言葉で「治安本局」と書かれた大看板。

 地球でいう警察的な役割をする所らしい。

 窓のなさがより威圧感を与える。


「ノリヲ様、この度は本当にお疲れ様でした。本日は帰宅してゆっくりと静養なさってください。あとこちらですが、お車代になさってください。では、私は仕事があるのでこのへんで失礼させていただきます」


 トト支部長は、小さいが軽くはない革袋を俺に手渡すと、足早に自前の馬車に乗り込み、行ってしまった。

 呆然としている俺の腕をチョウヒさんがぎゅっと抱え込む。


「一緒に、帰りましょう」


「うん……ありがとう」


 治安本局の前はちょっとした広場になっており、幾つかの道が放射状に伸びているのが見える。

 その広場の端に何台かの馬車と恐竜車とが停まっていて、その御者連中だろうか数人が集まって談笑している。

 だが俺の目はその中の一台……というか一頭に釘付けになってしまった。


 他のが四輪の客車を牽いているのに対し、体がひときわ大きいソイツだけは全く違った。

 背中に大きな鞍が付いているだけ。

 それに他の恐竜が見るからにおとなしそうな草食恐竜っぽいのに対し、ソイツだけは威風堂々とした肉食恐竜然の佇まい。

 ティラノか? それとも……あ、目が合った。


 ソイツは悠々と近づいてきた。

 鞍には小さな人影……ちょうど逆光でよく見えない。


「オレの戦竜タクシーを選んでくれてありがとう」


 少女のようでも少年のようでもある若い声。

 その戦竜とやらが頭をこちらへ近づけてきた……迫力があるなんてもんじゃない。生物として危機感すら感じた。

 疲労でぼんやりしていた頭がスッキリし、自分の鼓動がやけに近く聞こえる。


 戦竜はその頭を俺たちの間近に寄せたまま、胴体までも近くへと寄せ、おもむろに伏せた。

 それでもその背中は立った馬よりも高い。

 戦竜の若い御者は、鞍に設置されている跳ね上げ式梯子の留め具を外して倒し、降りてきた。

 第一印象通り背が低く、黒髪ばかり見るこの町では珍しい銀髪のショートボブ、そして瞳は灰色。

 そればかりか顔も可愛いし胸もわずかに膨らんでいる。オレっ娘という奴だろうか。


「お客さん、そいつは止めといた方がいいぜー」


 向こうの御者連中から野次が飛ぶ。

 見た目とか若いとか恐竜が肉食だからとかでイジメられているのか?

 しかし若い御者はそれを無視して笑顔を作る。


「オレはダット。この戦竜はオレの相棒でニッって名前なんだ。地球ではゴルゴサウルスって呼ぶみたいだな。よろしくなっ」


 ゴルゴサウルス!

 ティラノじゃなかったか……でも聞いたことある。

 恐竜は男子なら一度は通る道だから。

 ティラノサウルスよりちょっと小振りな……にしてもこの大きさか。頭の先から尻尾までは十メートル近くあるんじゃないか?


「よろしく、ダットさん。俺はノリヲっていいます」


 地球でタクシー運転手に名乗ったことはないが、わざわざ名乗られるとつい返答してしまう。

 それにしても……ゴルゴサウルスのこの眉毛、なんかすごい違和感あるな。

 ゲンチの恐竜って眉毛が生えてるのか?






● 主な登場人物


・俺(羽賀志ハガシ 典王ノリヲ

 ほぼ一日ぶりの食事を取ろうとしていたところを異世界に全裸召喚された社畜。二十八歳。

 チョウヒさんには本当に申し訳ないことをして投獄されて死にかけたっぽいが、無罪として解放された。


・チョウヒ・ゴクシ

 かつて中貴族だったゴクシ家のご令嬢……だった黒髪ロングの美少女。十八歳。俺を召喚した。

 大画面に自分の裸体を晒した俺をあろうことかかばってくれたらしい。俺のせいで本当に申し訳ない。


・トト支部長

 地球人ギルドのオウコク支部長で、触れた相手の記憶を映写する【記憶映写】という天啓を持つ。

 わざわざ独房まで迎えに来てくれたジェントルなダンディ。偉い人っぽいのにフットワーク軽い。


・ラッカとグラ

 元冒険者の衛兵たち。情報収集目的で剥がした海苔のせいで、まさかの事件に。

 俺のせいで本当に申し訳ない。せめて処罰が軽くなってくれればいいな。


・ヒアルロン

 治安省の副大臣。ゲンチの偉い人っぽいが、フレンドリーな感じだった。


・ダット

 ゴルゴサウルスをタクシーにしている御者。

 銀髪ショートボブに灰色の瞳。背が低いオレっ娘。やけに若く感じる。


・ニッ

 ゴルゴサウルス。体長は十メートルくらいありそう。なぜか眉毛がある。


・ナトゥーラ

 最高のプロポーションの全裸に、卑猥な感じに六枚の海苔を貼り付けた、原初の女神。

 海苔は現在、犯罪者みたいに両目を隠すのに一枚、チョーカーみたいに細長く首に一枚、両乳首部分にそれぞれ一枚ずつ、へそ部分に一枚、股間に一枚。

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