#4 魔法を使える奴は狩られる

「ひゃぅ」


 思わず声が出た。聞かれてないといいが。

 シャワーのような水流の一斉掃射を尻で受け止めきったあとは送風。水も風もほんのり温かい。

 異世界トイレと魔法具とを初堪能した俺は、まとい直したシーツの隙間に地球人ガイドを隠して本棚の部屋へと戻った。


「おかえりなさい」


 俺同様にシーツを巻いていたはずのチョウヒさんは、再びメイド服へと着替え直している。

 まさかこのメイド服も怪しいメイド術とかで出してるんじゃないだろうな?


「ただいま」


 こんな言葉を言うのはずいぶんと久しぶりだ。

 こうやって、笑顔で迎えられるのも。


「チョウヒさん。さっきの同意するよ」


「本当?」


 念押しされると決意が鈍る。だってチョウヒさんは可愛い過ぎるし若すぎるし無駄にラッキースケベ過ぎたから……取り返しのつかない悪魔との契約みたいに思えてきて。

 俺が答えあぐねていると、チョウヒさんはおずおずと近づいてきて、俺の右手をぎゅっとつかんだ。


『パーティー申請が届いています』

『承認しますか?』

『はい』『いいえ』


 空中にまたメニューが浮かぶ。さっきのトイレのと同じように。

 浮かんだ言葉ごしにチョウヒさんの不安そうな表情。そのぐっと噛み締めている唇があまりにも痛々しそうで、俺は左手でチョウヒさんの頭を撫でた。


「これから、よろしく」


 『はい』に意識を集中すると、俺の名前の下にチョウヒさんの名前が表示された。


「私の、見て」


 ドキッとする。いやいやそうじゃない。

 まずは自分の登録名へ意識を集中し、自分の詳細をいったん閉じて、それからチョウヒさんの登録名へ意識を集中した。

 これ、集中のときに強く念じると、開閉とか反応とか早くなるんだな。


『(個別):』

『ノリヲ 肉体:38/41 精神:48/49』

『チョウヒ 肉体:40/40 精神:22/50』

 『器用:11』

 『筋力:8』

 『敏捷:10』

 『頑丈:11』

 『知力:12』

 『魅力:16』

 『知覚:12』

 『幸運:10(■)』

 『天啓:【■力鑑定】

 『刻印:<オウコク><銀行><税金免除(1)>』


 チョウヒさんの魔力身分証にも海苔が貼られているな。

 幸運についている海苔は、俺がさっき「魔力酔い」を封じたときの海苔と同じ雰囲気がある。

 「魔力酔い」についても地球人ガイドに載っているかな。

 ちなみに『(個別):』というのは、パーティーを組むと表示されるものらしい。


「ノリヲさん」

「チョウヒさん」


 二人ほぼ同時に互いの名前を呼んだ。


「ごめんなさい」

「ごめんね」


 また同時に声を出して、それから顔を見合わせて同時に笑って……笑っているのに、チョウヒさんの頬をひとしずくの涙がこぼれた。


「ど、どうしたの?」


「……ごめんなさい。こんな、誰かとこんな風に話をするのがとても……とっても久しぶりで」


 俺もだよ、という言葉を飲み込む。

 チョウヒさんの「一人」は俺なんかよりずっとずっと長かったのだから。


 堰を切ったように次々と涙があふれるチョウヒさんの頭をそっと撫でる。

 チョウヒさんは俺にしがみつき、声をあげて泣き始めた。

 こういうときは寄り添いなさい……元カノに言われたことを思い出し、チョウヒさんの小さな肩をふんわりと抱きしめ、鼓動と同じリズムで優しく頭を撫で続けた。


 <叡智召喚>……術者の求めるものを持った存在が召喚されるという「魔力階位7」の魔法……それがチョウヒさんの使った魔法らしい。

 どうして俺みたいに何の取り柄もないおっさんが召喚されたのかは不明だが、異世界召喚という理不尽なことに対して今は不思議と腹が立っていない。

 それよりもむしろ、必要とされることに対して妙な安堵すら覚えてしまっている。

 ひと撫で毎に募るチョウヒさんへの想い。その度にほんのり甘い香りが立つ……この香り、どこかで……。


「不思議……ノリヲさんには、何でも打ち明けられるの」


 チョウヒさんを抱きしめて髪を撫でている自分が急に恥ずかしくなる。

 だってこれは俺の実力じゃない。

 きっと海苔を剥がしたから。ズルをしているような気まずさに耐えきれなくなって、俺は無理やり話題を探した。


「あっ……でも白パン屋をしてるって……お客さんと挨拶とか日常会話とかしないのかい?」


「……常連のお客さんは……なぜか睨みつけてくる人ばかりで、会話も購入に最低限の以外はしてくれなくて……ノリヲさん、私、ちゃんとしゃべれてる? もう長いこと、まともな会話なんて」


「できてる! できてるよ! それにこれからはしゃべりたくなったら俺がいるから。いつだって、好きなときに話しかけてきていい。俺だってチョウヒさんと話したいこといっぱいあるし」


 そのときの、俺を見上げるチョウヒさんの笑顔の尊さったらなかった。

 それなのに。

 それから三十分も経っていないというのに、チョウヒさんが顔を合わせてくれなくなってしまった。


 かといって、俺の着ているシーツの裾を握りしめて手放す気配もない。

 加えて困ったことに、この三十分間の俺の記憶もほとんどない。


 確か……あのシーツも魔法具で創ることができるって話を聞いていて……それからそのシーツを餌にしている白スライムの話になって。

 そう。あのレア巨大白スライム。何がレアかっていうと、普通、白スライムは魔力を持っていないそうだが、あいつだけは特別で白魔石を所持しているって。


 チョウヒさんのお父さん、トメテクレルナオッカさんが捕獲してきたのを屋敷の地下で密かに飼っていたという。

 スライムは十分な餌さえ与えればその繁殖力はネズミやゴブリンを凌ぐという。

 普通の白スライムは白スライムしか分裂しないが、レア白スライムは、たまにレア白スライムを分裂する。魔石入りの奴だ。

 大きい方に餌をやっている間にその分裂した方を倒して白魔石を得る……それを日課にしていたおかげで、チョウヒさんは召喚魔法を使えるまでに魔力階位を上げた……でも「魔力酔い」のせいでなかなか成功しなくて……今回ようやく、そして初めて召喚できたのが俺だった。


 そうそう!

 それで俺も魔法を使ってみようって言う話になって……被害が少なそうな<属性生成>で白の「加護」を発動してみようって話になって……ダメだ。

 それ以上思い出せない。


「あの……チョウヒさん?」


「まだ、私の顔見ちゃダメです」


 声は怒ってない。というより、上ずっているようにも感じる。

 何で顔を見ちゃダメなんだろ……まさか!

 チョウヒさんが「魔力酔い」由来の状態異常で攻撃と回復を間違えた話を思い出す。

 俺が、こんな若い子の顔に傷でも付けてしまった?


「チョウヒさんっ!」


 俺の裾を持つ手をつかんだまま、チョウヒさんの顔が見える位置まで素早く回り込んだ。


 傷はない。綺麗な、可愛い美人。

 それでいて真っ赤。


 今日見た中で一番赤い。驚きと、微笑みと、恥じらいと、それから、名前をうまくつけられない温かい表情。

 チョウヒさんは潤んだ瞳で俺を見つめながら言った。


「ノリヲさんの責任って言葉……信じてますよ?」


 お、俺ぇぇぇ!

 記憶がない間の俺っ!

 いったい何をしたっ!




 疑問は解決しないまま俺は今、傾きかけた陽が一色に染めつつある街を見上げていた。


 チョウヒさんが外出用に着替えている間に、地球人ガイドを「魔力酔い」とか状態異常のとこまでは読めたので、魔石を飲んだことによる「魔力酔い」で俺が状態異常になって、それが原因でチョウヒさんがあんな態度になったんだろうなってところまではアタリをつけた……けれど夜になっちゃう前に出ようって慌ただしく出てきたので、地球人ガイドは本棚にいったん戻してきた。


 白パン屋の入り口から出て高い塀に囲まれた路地を抜けて出た大通り。

 中世の面影残るヨーロッパ、とでも形容すべきか。

 美しく印象的な夕暮れの見知らぬ街は、初めて見るというのにどこか郷愁を誘う。


 しかし肌寒い。

 いくら余計に巻いてきたとはいえ所詮はシーツ。どことなく隙間が空いているようでじわじわと冷えてくる。

 しかも靴の代わりに裂いたシーツを巻きつけていて、ふくらはぎから下だけまるでミイラだ。

 防寒の頼りなさだけじゃない。これけっこう外出するのに勇気がいる格好だよね。

 それでも服を買いに行くよりも先に、俺は行かなきゃいけないところがあるらしい……地球人ギルド。そう。例の地球人ガイドを発行したところ。


「ノリヲさん!」


 チョウヒさんが俺の手をつかんで引っ張った。

 踏ん張らず、引かれるままにチョウヒさんへと寄り添った……そんな俺のすぐ横を、トリケラトプスが通り過ぎる。


 え?


 よく見ると、通りを行き交う馬車の中に、時折恐竜みたいなのが混ざっている。

 街を歩いている人が日本人っぽい人ばかりだったから油断してた。

 どこかまだ自分の中で認めきれていなかった「異世界」という言葉が次第に重く感じ始める……けれど、その重さはすぐに薄れた。手のひらの温もりのおかげで。


「ノリヲさん、行こう」


 俺、さっきまでチョウヒさんを守ってあげなきゃ、なんて考えていた。

 おこがましい。

 俺だってチョウヒさんに助けてもらっている。

 お互いに支え合えたら……それができなくて元カノと別れたんだよな、なんて思いだしたのがよくなかったのか。

 次の瞬間、俺とチョウヒさんの手が離れてしまった。


 いつの間にか囲まれている?

 屈強そうな男たちが、手に手に花束を持って、チョウヒさんを取り囲んでいて、チョウヒさんはその花束を受取るために俺の手を放した……のか?

 うわわわ!


 皆さん、マッチョな男の集団に突然、街中で担ぎ上げられたことはありますか?

 俺はない……でした。


 しかもそいつらは俺を担いだまま走り出す。

 大通りから路地へ、さらに細い路地へ。


 そういえば外出前に、なぜ地球人ギルドへ急がなくちゃいけないのかとチョウヒさんに聞いたとき「安全のため」って返ってきたのが地味に引っかかっていた。

 地球人ガイドの最初の方にも書いてあったぞ。魔石を飲んで魔力を得た人間は死ぬと魔石を出すようになって、その魔石目当ての殺人もあるって。

 いやいやいやいやいやマジか。俺、大ピンチじゃないか!






主な登場人物


・俺(羽賀志ハガシ 典王ノリヲ

 ほぼ一日ぶりの食事を取ろうとしていたところを異世界に全裸召喚されたっぽい。二十八歳。

 シーツのふんどし、けっこう良いアイディだと思っているし気に入っている。


・チョウヒ・ゴクシ

 かつて中貴族だったゴクシ家のご令嬢……だった黒髪ロングの美少女。十八歳。俺を召喚したらしい。

 誰かと手をつなぐのってどんだけぶりかだろうか。元カノともほとんどつないだことなかったし。


・謎のマッチョ集団

 こいつらの筋力、いくつくらいなんだろう。確認したらしたでさらに恐怖を感じそうだが。

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