第十四話 虹の橋へ

 朝木に託された細密画六点は、瞬く間に私の顧客の手に渡った。あの日の記憶はなくても、元々、私に販売を任せるつもりだったらしい。


 細密画を手にした顧客が喜ぶ姿を見ている間は、自分の切羽詰まった状況を忘れていられた。


 眠ったままの文葉は、時折自発呼吸が止まるということで集中治療室へと移されていて、家族以外の面会は許されてはいなかった。


 焦る気持ちはあっても仕事は休めない。友達の命が掛かっているのに、私は冷淡過ぎるのかもしれないという罪悪感はある。仕事と友達の命を比較するまでもないと思いながらも、残りの有給休暇の日数を数えてしまう。


「おい、早く食え。料理が冷めるぞ」

 七神の言葉で私は現実に引き戻された。賑やかなイタリアンレストランの中、テーブルにはカプレーゼと数種類のピザやパスタが並んでいる。どの皿も大きくて二人で食べきれるかどうかは危うい。


 この店は数名で料理をシェアして食べる形式らしく、どのテーブルも笑い声に包まれている。


「ご、ごめんなさい。春人さん」

 食事中だったのに、すっかり別のことを考えこんでしまっていた。謝罪する私に向かって、七神は明るく笑う。


「気になってるのは友達のことだろ。今は安定してるから大丈夫だぞ」

「容体がわかるんですか?」


「ああ。俺のせいでもあるからな。責任持って護ってやるさ」

 自信に満ちた笑顔を向けられて、少しだけほっとした。方法はわからなくても七神なら何とかしてくれそうな気がする。


「……私、冷たい人間なのかもしれません。親友が命を落として、もう一人の親友の命が掛かっているのに、こうして普通に生活しているなんて……」

 私は〝捕縛者〟を探さなければならないのに、七神の電話での誘いに乗って食事にきてしまった。


「どこが? お前は十分優しいと思うぞ。優しすぎるから自分を責めて悩むんだ。大体、友達の命を助ける為に自分の生活壊すなんぞは愚策でしかない。友達を助けて、自分も護る。両方掴んでこその幸福だろ」


「最後は生き残れた奴が大団円ハッピーエンドで笑えたら問題ねーよ。……死んじまった奴は、時々思い出してやるくらいしか生きてる俺たちに出来る事はない。あんまり考え過ぎると、死者に引っ張られるぞ。前を向け、前を」

 どこか横柄な物言いでも、七神の言葉は優しい。


「俺の目下の問題は、二人でこの料理を食い切れるかどうかだな」

「……それは難しい問題ですね」


 テーブルいっぱいに並ぶ料理を平らげるのは絶対に無理だと思っていたのに、七神はワインを飲みながら次々とピザやパスタを胃に納めていく。成程、この食べっぷりなら先日の散らかった部屋の惨状も理解できる。


 勧められるまま口にした料理は美味しくて、チーズとオリーブオイルたっぷりの重さも気にならなかった。


「意外とあっさり解決したな。……もう一皿いくか」

「デザートじゃないんですか?」

 イタリアンならドルチェと言うべきだろうか。


「俺は甘い物が苦手だ。お前は頼んでいいぞ」

 そう言われて頼もうかと思った時、隣のテーブルに運ばれてきたティラミスの巨大さに閉口する。縦横二十五、厚さは十センチはありそうで、一人で食べきれるサイズではなかった。


「……桜大おうだいがいたら楽勝だったな」

 朝木の名を口にした七神の表情が一瞬だけ曇ったかと思うと、肩をすくめた苦笑に替わる。見たことのなかった寂しそうな表情に胸が痛む。


「私、珈琲にします」

「それじゃあ、俺はマルゲリータをもう一枚だな」

 不自然な程明るく笑う七神に、私は精一杯の笑顔を贈ることしかできなかった。


      ◆


 最後の一枚は七神の霊力によって発見された。七神の車で郊外にある場所へと向かっていると、徐々に人の気配がない家ばかりになっていくのを感じる。寂れた商店街は、ほとんどシャッターが降りていて近隣にコンビニすらない。


「教えて頂いた住所をネットで検索しましたが、猫の保護施設のようですね。動画サイトにも登録されていました」

 野良猫や捨てられた猫たちを保護して世話をする施設は日本全国にある。動画の再生回数は数十回から数百回。保護された猫たちが遊んだり、自由に過ごしている三分程度の動画が毎日アップされていた。


 不思議なことに、猫の保護施設と言えば餌や寄付を募ることが多いのに、この施設は一切そういった記述がなかった。猫の飼い主を探す譲渡会も開かれてはいない。


 たどり着いた場所は数軒の空き家とブロック塀に囲まれた二階建てのアパート。紺色の屋根瓦に灰色の壁の建物はかなり古いものらしく、鉄で出来た階段は錆びていて今にも崩れ落ちそうで怖い。


「……ここ、ですか?」

「ああ。間違いない」

 綺麗な室内を映した動画から想像していた施設とは全く異なっていて、戸惑いしかない。七神の表情は鋭さを増していて、私には感じ取れない何かを視ているように思えた。


 車から降りた七神の手にはドラッグストアの大きなビニール袋が下げられていて、猫用のドライフードの絵柄が透けて見えている。

「猫のご飯ですか?」

「……ああ。だが、不要かもしれない……。私のそばから離れないでくれ。かなり危険だ」

 不要という言葉の意味がわからないまま、私は七神の隣を歩く。


 アパートに近づくにつれて、猫の鳴き声と爪の音が聞えてきた。

「私の後ろにいてくれ」

 そう言った七神は、一階の部屋の扉をいきなり開け放つ。途端に、室内から飛び出た十数匹の猫たちが走って逃げた。


「冬登さん、待って下さい! 猫が逃げちゃう!」

「……実体ではない」

 振り返ってみると、走り去る猫たちの姿が薄れて消えていく。


「猫の……幽霊?」

「ああ。動物霊は言葉が通じない場合が多くて面倒な相手だが、外に出たかっただけのようだ」

 ほっと安堵の息を吐いた七神の方を見ると部屋の扉は閉まっていた。


「蓮乃は中を見ない方がいい」

 何をと言われずともわかったような気がする。きっと、部屋の中には猫たちの死骸が残されているのだろう。猫の匂いだけではない強烈な匂いが漂っている。


「鍵は掛かっていないんですか?」

「開けてもらっている」

 静かに語る七神に、何に開けてもらっているのかとは怖くて聞けなかった。


 七神は次々と扉を開け、猫の幽霊たちを解放していく。外観から想像する室内はキッチンと部屋二つの2K。扉はアパートの一階二階、共に五つの計十件。それぞれに数匹から十数匹の猫の霊がいた。


「……猫たちの動画は昨日の夜もアップされていました……」

 動画に映っていた幸せそうに遊ぶ猫たちの姿とは程遠くて、涙が零れそうになる。まさか皆、死んでいるなんて思いもしなかった。


「動画投稿は予約もできるだろう。それに……過去に撮った動画を掲載しても見ている者にはわからないからな」

 七神の声は硬い。最後に残った扉の前で、深く息を整えた。


「ここに〝捕縛者〟がいる。蓮乃、中をなるべく見ないようにして着いてきてくれ」

「はい」

 扉を開けた七神の後ろを、下を見ながら歩く。何故かこの部屋からは猫の幽霊が逃げ出さなかった。


 扉を開けると小さな土間があって、すぐに畳の和室。靴を脱ぎ、古ぼけた畳の部屋を歩く。


「……これは……」

 七神の驚きの声につられて顔を上げ二つ目の和室の中を見ると、ベッドで白髪交じりの男性が眠っていた。その男性を護るようにして、数匹の猫たちが寄り添っている。


『にゃあ』

 一匹の白猫が七神を見上げて声をあげた。何かを訴えかけるように鳴く。


「……ああ。わかった。君たちの御主人は私に任せてくれ。……蓮乃、救急車を呼んでくれないか。五十代の男性で、就寝中に心臓発作を起こしたらしい」

「は、はい!」


 私がスマホで救急車を呼ぶ間、七神は猫たちと何かを話していた。


「すぐに救急車が来るそうです!」

 私がそう言うと、猫たちは一斉に頭を下げて、空気に溶けるように消えてしまった。


「……今の猫たちも幽霊だったんですか?」

「ああ」

 男性が眠るベッドの足元、白猫が座っていた場所に御札が残っていた。七神がそっと拾い上げる。


「もしかして……猫に憑いていたんですか?」

「そのようだ。自分たちの命を掛けてでも、この男性を護りたいと願ったようだな。発作から一カ月近く経っている」

 男性の顔色は良くないものの、一カ月以上眠ったままだったとは思えない。まるで時が止まっていたよう。


 救急要請から十分後、救急車が到着して男性は病院へと運ばれた。私たちは、猫の餌を届けに来て男性を発見したことにした。


 七神は馴染みの特殊清掃業者を呼び、猫の遺骸の回収と火葬、動物霊園への埋葬を依頼した。すべての費用は七神が払うと言い、業者が口にした概算金額はとんでもない高額だった。


「……冬登さん……全額立て替え……ですか?」

 猫の遺骸は百匹を超えているらしく、清掃費用もかなりの額になる。

「立て替えではなく、私が払う。あの猫たちに頼まれたからな」


 アパートは男性が所有していて、資産はそれなりにあるらしい。

「……あの男性がここに戻ってきても、猫たちはもういないんですね」

 何も残っていない部屋を見て、罪悪感を抱くのだろうか。発作で倒れるという不可抗力の中、一人で世話をしていた猫たちが全滅したなんて不幸すぎて哀しい。猫たちが脱走しないようにと厳重に護られた部屋が仇になってしまっていた。

 

「そうだな。……動画が遺影の替わりというのは寂しいものだな」

「そうですね。心が痛みます」

 幸せだった時間を詰め込んだ動画が遺影になる。そんなことは考えたこともなかったけれど、残された者にとってはどう感じるものなのか。想像するとつらくなる。


「……これから、お一人で大丈夫でしょうか」

「先程残っていた猫たちは、あの男性を守護する為に憑いている。そのことに気が付けばいいが」


 二人で見上げた空には、何故かとても綺麗な虹が掛かっていた。


      ◆


 七神の部屋に戻ると、七神は戸棚から黒塗りの箱を出してきた。

「これが集めた〝捕縛者〟だ」

 艶やかな箱の中、紙に包まれた御札が現れた。同じと思っていた顔には微妙に表情があって、冷たい顔や優しい顔とさまざま。赤い服も帯も模様が異なっていて、すべての札には白い糸がしっかりと巻き付いている。


 七神は、猫から回収した御札を箱の中へ並べた。穏やかな顔の御札からは害意を感じない。


 これで六体の〝捕縛者〟が揃った。後は文葉が持っている物を回収しなければ。


「文葉の御札を回収した後、体はどうなりますか?」

「完全に生命維持装置頼りになる。回収後は速やかに収められていた神社に向かおう」


「……どうやって、御札を回収しましょうか」

 文葉の母親に連絡を取って、部屋の中を探すしかないのだろうか。どんな理由で切り出せばいいのかわからない。


「こちらにおびき出す」

「おびき出す? そんなことができるんですか?」


「〝捕縛者〟は星彩の糸で繋がっている。六体あれば召喚できる確率も上がるが、問題は場所だな」

「私の部屋ですか?」

 〝捕縛者〟は二度私の部屋に訪れている。春人には見られていても、冬登にはまだ部屋を見られていないと気が付いて、片付けておけばよかったと内心焦る。


「いや。もっと良い場所がある。朝木が住んでいるマンションは、ありとあらゆる点で最悪が揃っているから最適だ」


「え……タワーマンションでしたよね? そんなに最悪なんですか?」

 街中の好立地に建っていて、最悪の環境とは思えない。


「ああ。そもそも、あの場所は古戦場だった。その後は処刑場となり、無縁仏や罪人の墓地として使われていた。そこを供養もせずに一気にブルドーザーで更地にしたのが五十年前の話だ。その後、商業施設が出来たが長くは続かなかった」


「うわ。ちょっと待って下さい。ものすごくアウトじゃないですか。よくマンション建てましたね」

「朝木の一族は霊を一切感じないし、信じない人々ばかりだ。合理的とでもいえばいいのか……その上、朝木自身は基本的に霊を寄せ付けない体質で守護霊もいない。……だから一緒に過ごしていても楽だった。背後の霊に気を遣うことが不要だからな」

 さらりと語られる内容が微妙に怖いような気がする。ふとした疑問が口から零れ出た。


「……私は?」

「知りたいか?」

「いえ。結構です。不要です。視ないで下さい」

 早口で返すと、七神が笑いをこらえながら肩を震わせる。


「笑うなんて意地悪ですよ。でも〝捕縛者〟は? 朝木さん、体を乗っ取られかけてましたよ?」

「あれは厳密にいうと霊ではないからな。ただの器だ。あと四、五百年経過すれば付喪神として霊になったかもしれない。霊を寄せ付けない体質でも、神の力でごり押しされれば影響を受けるという一例だな」


「……えーっと。雑多な霊が集まるというと、その……潰れた遊園地とか、廃墟とかどうでしょうか」

 朝木に連れていかれたあの遊園地や、動画でみた廃墟なら適合しないだろうか。

 

「屋外だと、不確定要素が多すぎる。何があるか予測不可能だ。屋内であれば、仕掛けも複数準備できる。……そんなに朝木のマンションが嫌なのか?」

「嫌という訳では……」

 朝木本人が忘れていても、告白されたことは気になっている。応えるつもりはなくても、意識してしまうのは仕方ない。


「時間を掛けないように努力するから、我慢してくれないか。必ず私が護る」

 七神は、私の躊躇を全く違う意味に捉えている。その誤解を解く勇気もなくて、私はただ頷くしかなかった。

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