第十三話 望んだもの

 科学鑑定に出していた二十点の細密画の結果が返ってきた。うち五点は歴史的価値がある可能性が高く、遠方の博物館が収蔵品として検討したいという連絡があった。


 朝木は細密画を直接持参して見せることになり、何故か私の同行を求めてオーナーから許可が降りた。


 早朝の待ち合わせ場所に現れた朝木は、英国式のグレーのスーツ姿で、国産の黒い高級車に乗って現れた。その車の値段の高さは、私でも知っている。七神の車も半端ない威圧感があったけれど、この車は黒という色も相まって、さらなる圧力がある。


「賀美原さん、おはよう」

「お、おはようございます」

 完全に腰が引けている私の前で、助手席のドアが開かれた。そのスマートさが格好良すぎて怖い。


「遠慮せずにどうぞ」

「あ、ありがとうございます……」

 こちらも助手席のシートが新しく感じるのは何故なのか。私の疑問が顔に出ていたのか、扉を閉めて運転席に座った朝木が口を開く。


「今まで七神しか乗せたことはないよ。女性は賀美原さんが初めてだ」

 ぱちりと片目を瞑る朝木にどきりと胸が高鳴る。仕事とはいえ、車で二人きりは緊張すると考えた所で、七神とは緊張することがなかったと思い出す。


「音楽を掛けていいかな。僕はクラッシック専門だけど」

「どうぞ」

 カーオーディオから流れてきたのは、私でも聞いたことのある曲。静かで落ち着いた曲は、眠りを誘いそうで密かに怖い。これは一生懸命目を開けていなければ。


「今日、届ける細密画は五点。それから僕が博物館入りを薦めたい三点の八点を持ってきた」

 朝木の口から仕事の話がでて、安堵すると同時に思考が仕事へと切り替わった。


「その三点にも歴史的な価値があるのですか?」

「歴史的な価値というよりも、同じ場所に飾って欲しいという僕の願いかな。五点の中に、女性の肖像画があっただろう? 三枚のうち二枚はその女性の子孫の肖像画で、一枚はその一族が寄進して建てた教会の絵だ。いずれも描かれた年代も画風も違うけど、一つの一族の歴史があるからね」


「それは凄い発見ですね。どうやって調査されたのですか?」

「科学鑑定で、絵の裏側に隠された書き付けや署名が見つかってね。それを元に調べた」   

 朝木が見つけた細密画のほとんどは額が接着されていて、剥がすと絵が破損する可能性がある状況だった。


「博物館の方で解体調査すると思うから、そこでもっとはっきりするだろうから楽しみだよ。残り十二点のうち、すでに六点は顧客に個別に勧める準備が出来てる。残り六点なんだけど、価格は決めておいたから、賀美原さんに販売を任せてもいいかな?」

「私に、ですか? それは嬉しいですが……」

 小さくて飾りやすい細密画は人気の品の一つでもある。欲しいと仰っていた顧客の顔が浮かんでは消えた。


「賀美原さんは車酔いしたりする? 書類とか見ても大丈夫かな?」

「はい。平気です」

 乗り物酔いはしたことがないから、平気だと思う。


「それじゃあ、ここから試験だ。アタッシュケースの中に販売予定の細密画の資料を綴じたファイルが入っているから、一点ずつ勧めたい顧客を考えて欲しい。時間は博物館から帰るまで。答えは画廊で聞くよ」

 朝木の指示でアタッシュケースを開くと、絵の詳細資料がクリアファイルに入っていた。もしかしたら、朝木はこの試験をする為に、私を同行させたのだろうか。そうとわかれば、期待に応えられるように頑張るしかない。


 静かに流れるクラッシック曲の中、私は資料に没頭した。


      ◆ 


 昼食後に訪れた博物館は朝木が勧めた絵も含めて八点すべての購入を決めた。用意された売買契約書に書かれた金額が大きすぎて、顔に出さないように顔に笑顔を貼りつけるしかない。


 博物館を出て車に乗った時、大きく息を吐くと朝木に笑われてしまった。

「賀美原さん、緊張したかな?」

「それはしますよ。ものすごい値段だったじゃないですか。先に聞いておけばよかったと後悔しています」

 仕事中はなるべく感情を示さないようにと思ってはいても、今回だけは驚きが顔に出てしまったのではないかと心配してしまう。それだけ金額が大きすぎた。


「僕もそこまで価値があるとは思わなかったけど、科学鑑定で証明されたからね。安くはできないよ」

「……フリーマーケットで売られていたとは思えません……」


「僕も最初は目を疑ったよ。でも僕が買っていなかったら今頃ゴミとして焼却されていたかもしれないと思うと、買ってよかったと思う」

「輸入関税はどうなりますか?」


「売った値段が高くなったからって、追加請求はないよ。実は持ち帰る際に空港で美術品として申告したけど買った値段を正直に書いたら呆れられて土産物扱いにされたんだ」

「それは……仕方ないと思います」

 子供の玩具でも、もう少し高いと思う。申告されても困るだけだろう。


「わざわざ領収書まで書いてもらったのに、使う機会がなくて残念だ」

 それは絵が画廊に搬入された時に見た。いつも朝木が持っている領収書に、信じられない価格とおおらかなサインが書かれていたのを鮮明に覚えている。


 話している内に、車が来た道とは違う道を走っていることに気が付いた。

「朝木さん、どこに向かっているんですか?」

「賀美原さんと一緒に行きたい場所があるんだ。街からそんなに遠くないよ。今日中に帰れるから安心して」


 そうは言われても、朝木はカーナビを使わないから、どこにいるのか全くわからない。車は曲がりくねった山道を走り続ける。


 山道を抜けると、広大な駐車場が開けた。駐車場の向こうには、寂れた遊園地のアトラクションが建っている。どれもこれも錆びだらけで、観覧車もボロボロなのが目に付く。まだ空は明るいとはいえ、中に入りたいとは思えない。


「……朝木さん? こ、ここは……」

「元、遊園地。随分前に閉園した」

 それは知っている。私たちが住む街から、それほど遠くはない。直行すれば車で二十分程の距離のはず。


 遊園地の駐車場には、ナンバープレートやタイヤが外された車が放置されていて砂埃にまみれている。そんな中に朝木は車を停めてしまった。


「大事な話があるんだ。散歩しようか」

 朝木の笑顔はいつもの通り優しくて、嫌とは言いにくい。迷いながらも、ショルダーバッグを持って車から降りる。


「昔はこの遊園地が憧れだった。でも、親が許してくれなくてね。もっと良い場所があると言って、都心近くの遊園地にしか連れて行ってくれなかった。中学生になったら七神と一緒に行ってみようと計画してたんだけど、僕が小学六年生の時に潰れた」

 朝木は七神との思い出話をする為に、この場所に来たのかもしれない。私がそう思ってしまうくらいに、七神との話が続いた。


「うわー、これは酷いなー」

 遊園地の入り口すぐに、緑色の水が溜まった人口池が作られていた。ゴミが多数投げ込まれていて、自転車や傘、空き缶やペットボトルが多数沈んでいる。


「七神も一緒に連れてくればよかったな。僕の思い出話ばかりじゃ、飽きちゃうだろ?」

「大丈夫です。とても面白いと思います」

 学生時代の七神の話は、今とあまり変わらない印象があってとても楽しい。そろそろ帰る提案をしようとした時、朝木が話題を変えた。


「帰る前に七神から貰った護符、僕に見せてもらえないかな? 前に見せてもらった時、ちらっとしか見えなかったから」

「はい。どうぞ」

 朝木なら七神の友人だから大丈夫だろう。そう思った私は、ブレスレットの金具を外して差し出した。


「そうか。これが七神の本気の護符か……」

 ピンクゴールドの華奢な桜を指でつまんで見ていた朝木は、唐突に淀みきった池の中へ放り投げてしまった。ブレスレットは煌めきながら緑の水の中へと沈んでいく。


「あ、朝木さんっ? どうしてっ?」

 思わず抗議の声をあげた私を振り返り、朝木は何でもないことのように笑う。

「僕が新しいのを買ってあげるよ。……実は七神の護符が邪魔だって言われてるんだ。ここなら雑多な霊がいすぎて、七神の霊力も攪乱できるらしい。僕は全く視えないけど」

 朝木が何を言っているのかわからなくて、後ずさる。服の下に隠れたペンダントの護符には気が付いていないらしい。そういえば朝木にはペンダントを見られたことはなかった。


 周囲の空気が重く淀んでいく。そよ風が吹いて周囲の草が揺れるだけで、体が震えるくらいに怖い。

「賀美原さん、僕と付き合ってくれないかな。真面目で、毎日頑張る君がずっと好きだったんだ。告白する勇気がなかったけど、七神に取られるのは嫌だな」

「……朝木さん……そんな……突然過ぎて……」 


「今まで気が付かなかった? 僕が出張に行く度に、君に贈った絵葉書。一緒に旅行に行こうって意味を込めてた。旅行に行きたいと賀美原さんが言うのを待ってたのに。僕なら何処にでも連れて行ってあげられる」

「それは……あの……他の方にも渡しているかもしれないと思っていたので……」


「そうか。それは僕のアピールが悪かった。今まで女性を好きになったことがなかったからね。賀美原さんだけに絵葉書を渡してるって他の皆に言えばよかったのかな?」

「……いえ。それは困ります……」

 他のスタッフに知られたら、画廊内の雰囲気を壊してしまうかもしれない。


「まぁ、これ以上意地悪を言うのはやめておこうか。……君と七神が必死になって探しているのは、この御札だったよね」

 朝木はスーツの内ポケットから〝捕縛者〟を取り出して見せた。御札には顔が描かれ、赤い着物に白い糸が巻き付いている。その表情は禍々しく笑っていて、背筋がぞっとした。


「朝木さん、何故、それを持ってるんですか?」

「鮫島さんのお宅で見た御札を、僕も探してみた。そしたら三日前、事故で死んだ男性の家に絵を買い取りに行ったら見つけたんだ」


「そ、それは、危険な物です。すぐに七神さんに渡して下さい」

「この御札を集めたら、何が起きるのか教えてくれないかな」

 御札の表情は禍々しいのに、朝木の笑顔は爽やかで明るい。その対比に戸惑いながらも、私は正直に答えることにした。


「……笑わないと約束してもらえますか……」

「ああ。笑わないよ。賀美原さんが、頑張って探してるんだから」


「友人の……魂を探す為です」

「友人って……今、入院しているっていう?」

「はい。魂を探して、体に戻したいんです」

 私が答えると、朝木の動きが止まった。見つめ合いながら奇妙な沈黙が二人の間に流れていく。


 目を揺らした朝木が明らかに困ったという顔で唸る。

「……友人の命が掛かっているっていうのは本当だったのか。……全く想像もしてなかった理由だから、正直言って困ってる。何か二人で願いを叶えるのかと……それは必死になっても仕方ないか……賀美原さんは優しいね」


「優しくなんかないです。私は……美織を助けられなかったから、文葉まで失いたくないって思ってるだけなんです」

 仕事をしながら御札を探すという現実は甘くないし、七神にも朝木にも職場にも迷惑をかけている。自分自身の後悔を軽くするための逃避行動だと頭で理解はしていても、それでも自分ができることをしたいと思った。


「賀美原さん、話を戻すけど君の意思で僕を選んで欲しいんだ」

「あの……私……今はそんな……選ぶとか、そういうのは……」


「この御札が僕に囁くんだよ。君の意思を自由に変えられるって。洗脳っていうのかな。……僕はできれば、そんな卑怯な手は使いたくない」

 朝木の顔に、こけしのような〝捕縛者〟の顔が重なった。今、朝木の体が乗っ取られようとしていると何故か感じる。


「朝木さん! ダメ! 自分をしっかり持って! 乗っ取られちゃう!」

 咄嗟に朝木の腕を掴んで揺さぶると〝捕縛者〟の顔が消えた。


「朝木さん、それは貴方の本当の願いじゃないでしょう?」

「……それは……」

「その御札は心の闇に付け入るんです。お願いですから手放して下さい!」  

 朝木は迷うように目を揺らす。


「僕が賀美原さんが好きだっていうのは本当だよ。……何もかも終わったら、僕との交際を考えて……」

 朝木の言葉を遮って、七神の怒鳴り声が響いた。


「おい! 桜大おうだい! 蓮乃に何しやがる!」 

 駆けてきた七神は有無を言わさず殴り掛かり、朝木は私を庇いつつかろうじて避けた。


「相変わらず乱暴だな! まずは人の話を聞けよ!」

 朝木も殴り返して、七神が避ける。二人は私から距離を取って殴り合いを始めた。


「うるせえ! こいつの護符をどうしたっ?」

「お前が作った護符じゃないだろ!」 

 七神は私が持っていた護符の効力が消えたことを感じ取って駆け付けてくれたのだろうか。


 腕で拳を防ぎ、無防備な部位へ互いが蹴りを入れる。朝木の動きは防御中心で、七神の動きは攻撃が中心。ついには七神の攻撃を防ぎきれずに、朝木が蹴り飛ばされて朽ちたフェンスへと背中から叩きつけられた。


 朝木は滑り落ちるようにして地面に座り込む。

「桜大、頭冷えたか?」 

 

 俯いていた朝木が顔をあげた。

「……何なんだよ。……お前みたいな中途半端な奴が、どうして!」

「中途半端……だと?」


「そうだろ? 時々現れては、努力もなしに要領よく何でもこなす。半人前以下のくせに美味しい所だけ持って行って、失敗の責任からは逃げる。そんな不完全な奴を中途半端と呼んで何が悪い!」

 ゆらりと朝木が立ち上がる。


「昔からお前は気まぐれに現れて、僕の憧れている存在を奪っていく。一つくらい、僕にチャンスをくれてもいいじゃないか!」

 猛然と走り寄った朝木が七神の頬を殴った。攻撃を受けて一歩退いた七神は、体勢を立て直して朝木の腹に膝蹴りを入れた。


「っ……!」

 蹴られた朝木は腹を押さえ、崩れ落ちて動かない。七神は殴られた際に口の中を切ったのか、口端に滲んだ血を手の甲で拭った。


 私の視線に気が付いた七神は、私に背を向けて立ち尽くす。

「……春人さん……」

 その背中は、慰めようがないくらいに寂しさを背負っていた。


「中途半端、か……俺を唯一認めてくれた友人だと思っていたのにな」

 ぽつりとつぶやいたその一言が、胸を締め付ける。時々しか表に出る事ができない春人の心情を思うと、やるせない。


 私に背を向けたまま赤く染まっていく空を見上げる姿を、静かに見守ることしかできなかった。 


      ◆


 七神は気を失ったままの朝木を背負って近くの小さな病院へと運んだ。診療時間外に訪れた私たちを見て最初は拒否されたのに、七神の名前を聞いた途端に対応ががらりと変わった。


 以前、七神はこの病院の怪異を退治したことがあるらしく、院長自らが診療を行い個室まで用意してくれた。七神は同室のベッドで夜を明かし、私は紹介されたビジネスホテルに泊まって、お昼前に病院へと戻った。


 病院の個室は真っ白で、薄水色の病衣を着た朝木はベッドで半身を起こし、パイプ椅子に座る七神は黒いジャケットに黒いジーンズと、異物感が際立つ。何となく冬登だと感じた。


「あの……お加減はいかがですか?」

 何と言えばいいのかわからなかった。そう声を掛けると朝木が恥ずかしいという顔をして、こめかみを指でかきながら苦笑する。


 朝木は〝捕縛者〟を手に入れた日からの記憶を失くしていた。

「四日前に絵を買い取りに行ったことは覚えているんだけど、実はその後の記憶がないんだ。……何か、賀美原さんに迷惑掛けたのかな?」

「いいえ。大丈夫です」

 忘れてしまっているのなら、私も忘れよう。そう思った。朝木の気持ちを知っても、私の心は動かなかった。


「私たちは先に帰るぞ。車は病院の駐車場だ。あと、着替えはそこに置いてある。私の服だから後で返せよ」

 七神は一度自宅へと戻っていたらしい。紫の風呂敷包みが椅子の上に乗っている。


「あれ? 僕の部屋の合い鍵使ってくれてよかったのに。渡してあるだろ?」

「お前の部屋は立地が悪すぎる。以前から言っているだろう」

「眺めが良いのになぁ」

 朝木はタワーマンションの高層階に住んでいるらしい。朝木は画廊のオーナーの友人の孫で、資産家の一族だった。


「僕の出自はスタッフの皆に、秘密にしてもらえるかな。色々と面倒だからね」

 ぱちりと片目を瞑って笑う朝木は、普段と変わらない表情でほっとした。


      ◆


 車に乗って帰る途中、七神は何度も口を開いては引き結ぶ動作を繰り返していた。

「冬登さん、何でしょうか?」

「……朝木とあいつが何故喧嘩をしたのか教えてはもらえないか?」

「それは……」


「……私とあいつは完全に記憶が別になっていて、お互いに干渉できない。今朝も目が覚めると病院のベッドの上で混乱した。スマホにあいつの音声メモが残されていたが、朝木と殴り合いの喧嘩をしたとしかわからない」


「それは……春人さんと朝木さんの個人的な問題なので……私にはお話する権利はありません」

 朝木が春人に長年嫉妬していたなんて言える訳もない。知らないでいられるなら、知らない方がいいと思うのは私の身勝手だろうか。


「そうか……正直に言えば、あいつがうらやましい。私は朝木と殴り合いの喧嘩なんてしたことはなかったからな」

 寂しく笑う七神に、私は何も言葉を掛けることができなかった。

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