第十五話 七体の捕縛者

 四十五階建てタワーマンションの四十二階に朝木の部屋はあった。七神は朝木から預かっていた鍵を使い、指定された地下駐車場に車を停めて扉を開けていく。鍵にICチップが埋め込まれていて、読み取り装置にかざせば簡単に入れると聞いていたのに、説明や案内表示が一切ないので試行錯誤しながらの開錠になる。


「正面のエントランスに行って、来客と連絡してもらった方が早くありませんか?」

 このタワーマンションのフロントには、二十四時間対応のコンシェルジュがいると聞いている。そちらの方が絶対に早い。


「それは拒否された。渡した鍵を使って上がってこいと言われた」

 見ている私ですらめんどくさいのに、七神はもっと大変だろう。口を引き結んで少々情けない表情をしている。


 今日の七神は、モスグリーンのカジュアルなジャケットに白いサマーニット、黒のチノパンに革のスニーカー。筒形の図面ケースのような黒い鞄を肩に掛けている。私は白のサマーニットにモスグリーンのフレアスカート。決して事前に打ち合わせをしたわけではなくて、偶然色が似てしまった。


 何とかエレベーターホールにたどり着いて乗り込み、四十二階へと上がる。綺麗に保たれた廊下を歩いて、到着した途端にドアが開いた。


「ようこそ。僕の部屋へ」

 笑顔の朝木は、いつもの英国式スーツではなく、白のVネックのカットソーに黒いジーンズ姿。七神と似た服装がとても似合っていて、新鮮に感じる。私服も格好良いのかと感心していると、何故か七神が不満気な声を出した。


「お前、それは私の服だろう」

「同じのを買って返しただろ?」

 どうやら、先日七神が貸した服を朝木は着ているらしい。二人の背格好は似ているから、違和感はない。


「こういう服は着慣れないけど、意外と快適だね」

「いつもはどういう服を着ていらっしゃるんですか?」

「どうって、普通にシャツにスラックスだよね」

 スラックスって何だっけと考えてズボンかと理解はできても、さっぱり想像できない。


 朝木の部屋は3SLDK。広いリビングにキッチンと、部屋が三室。サービスルームは完全防音のホームシアター仕様という独り暮らしには豪華すぎる部屋。


「二人とも、いつでも引っ越してきていいよ。部屋は空いてる」

「断る。ここは最悪極まりない」

「えー。住んでる僕は全然平気だけどね。賀美原さん、何か感じる?」

「……私も全然平気です」

 七神には感じるのかもしれないけれど、私にはさっぱり感じない。


「ほら、眺めは抜群だよ」

 リビングから朝木が示した窓の外は、街が一望できる上に遠くに海が見える。これはきっと夜景が綺麗だろうと思いつつも気になることはある。そんな気持ちが顔に出てしまったのか七神が口を開いた。


「どうした?」

『……停電したら大変だなと。エレベーター止まったら、階段ですよね』

 声を潜めて七神に囁く。四十二階分の階段の昇り降りを考えるだけでもぞっとする。非日常なロマンティックは、日常の現実を超えられない。


「こらこら、聞こえてるよ。四階にも部屋があるから、いざという時にはそっちで暮らす予定だよ」

 

 笑う朝木に部屋を案内される中、絵が一枚も飾られていないことに気が付いた。

「ん? もしかして、絵が無いなって思ってる?」

「はい」


「職業病みたいなもので、絵を見ると反射的に仕事モードのスイッチが入るんだ。だから絵は部屋に置いてないよ。心が休まらないからね」

「実は私も飾っていません」

「そうなんだ。僕と一緒だね」

 朝木の笑顔に、ちりりと何故か罪悪感。私の場合は、良いと思った絵は顧客に勧めてしまうから手元には残らないというだけで、仕事熱心な訳ではない。


 窓を熱心に観察していた七神が口を開いた。

「この部屋は窓が開かないのか」

「そうだよ。四十二階で窓なんか開けたら、強風で酷い目にあうからね。窓を開ける必要があるのか?」

「ああ」

「それなら、四階の部屋はどうだ? そこなら窓が開けられる」


 すぐに部屋から出て、エレベーターホールへと向かう。

「このマンションは叔父のものでね。四階や四十二階っていうのは、なかなか入居者が決まらないから仕方なく僕が借りてる」

「そうなんですか?」


「四という数字は死に繋がるって連想する人が現代でも意外といるんだ。賃料を安くする所もあるけど、下げるとマンション全体に影響があるから難しい」

 成程、私が画廊の補助付きで四階の部屋を紹介されたのも、その辺りが理由なのかもしれない。七神も四階の部屋だと思い出した。


「七神さんも?」

「七神が住んでるマンションは、一棟丸ごと七神のものだよ。部屋は全部埋まってて、超優良物件だ」

 そういえば七神は不動産屋の社長だった。拝み屋の印象が強くて忘れていた。


「僕も借りたいと思ってるけど、皆、何らかの霊障持ちらしくてさ、あのマンションにいると何にも起きないから絶対に転居したくないんだって」

「……朝木、その情報源はあいつか?」

 それまで黙っていた七神が困ったような顔で口を開いた。あいつとは春人のことか。


「そうだよ。個別の情報は教えてくれなかったから、個人情報保護の点だとギリギリって所かな。降りようか」

 七神がさらに抗議しようとした所で、エレベーターが到着した。


「エレベーターは十二基あるけど、朝は大渋滞だよ。運が悪いと十分待ちってこともある。だから引っ越ししたいんだよね。叔父には悪いけど」

「朝木さんが遅刻されたというのは聞いたことがありません」


「そりゃあそうだよ。毎朝六時には部屋を出て、画廊の近くの喫茶店でモーニング食べてるからね。その時間帯ならエレベータを待つこともない。海外出張の時も早めに出て空港でお茶してる」


「タワーマンションっていうのは不審者が入りにくいのと外から覗かれにくいっていうセキュリティの部分では安心だけど、芸能人でもないなら、眺めが良いっていうくらいで特に何もないかな。コンシェルジュもサービスも普通だしね」


 エレベーターに乗り込むと、あっという間に四階へとたどり着いた。四十二階とは廊下の趣きが異なっている。


「物置替わりに使ってるから散らかってるよ」

 四階の部屋は4LDK。上階の部屋とは間取りが異なっていて、リビングがやたらと広い。家具はなく、がらんとしたフローリングの部屋に十数個の旅行用トランクや鞄が置かれていて、その中には先日の蚤の市で購入したボロ鞄もあった。


 これが散らかっているというのなら、本に溢れた私の部屋は朝木に絶対見せられない。


 七神と朝木が窓の開閉を確かめている間、ふと壁の時計を見上げると針が巻き戻った。目の錯覚かと自分のスマホで時間を確かめると、時計は一時間狂っている。


 疲れているのかもしれないと目元を指で揉んで見上げると時間は正しく戻っていた。


「賀美原さん、どうかした?」

「……時計が巻き戻ったように見えただけです」

「それは仕方ない。そこに黒猫がいて時計の針を動かしている。久しぶりに人が来たので喜んでいるようだ」

 猫。それなら問題ないような気がして、やっぱりダメだと頭を振る。


「僕は猫を飼ったことないよ」

「……ここは雑多な霊が集まりやすい場所だからな。ちょうど霊道も通っている」

「霊道……?」


「霊が通る道だな。その窓から、その壁を突き抜けている」

 ちょうど私が立っている場所が霊道の上と知って、慌てて横に避けると七神と朝木が噴き出して笑う。そんなに可笑しな顔をしていただろうか。


「笑わないで下さい!」

 私の抗議も虚しく、男二人の笑いはしばらく止まらなかった。 


      ◆


 タワーマンション近くのフレンチレストランで夕食を取った後、私たちは夜を迎えた。


 七神が背負っていた筒形の鞄には、長くて黒いシンプルな燭台が入っていた。

「へー。和ロウソクにマッチか。久々に見たよ」

 覗き込む朝木の手に渡されたのは白い和ロウソクの箱とマッチ箱。昨今、マッチを使う人を見たことが無い。

 

 部屋の中心で窓の方を向いて座った私の周囲に置かれた七本の燭台に、和ロウソクの灯が揺らめく。部屋の照明は消され、片隅には白いシーツを被った七神と朝木が待機している。


 白いシーツには七神によって隠蔽術が掛けられていて、霊や怪異からは見えにくくなっているらしい。一時的なものでしかないので、決して注意を向けないようにと言われていた。


 黒い布を床へ敷き、その上へ御札を六体並べていくと部屋の温度がひやりと下がる。時計は午前零時を指し、ロウソクの炎が激しく揺らめいたかと思うと御札が一枚ふわりと空中に浮いた。


 始まった。どきどきと不安に高鳴る鼓動を堪えながら、一枚ずつ浮き上がる御札を静かに見つめる。六枚の御札が私の前に浮かんだ。


「閉じよ」

 燭台で作る円は結界。浮かんだ御札は結界の外に追い出され、私は結界に護られる。息を吸い込み言葉を紡ぐ。


七夜ななや七つの七御玉ななみたま。七つ柱にあらますために、在らざるはたれや。足らぬは誰ぞ」

 私の言葉を聞いて、御札が騒がしく震える。


『我らが願いを叶えようぞ。早う述べよ。疾く述べよ』

「足りぬ柱に用は無し。足らざるは誰ぞ」

 一体が一メートルくらいの大きさになり、首が伸びた。伸びた首が奇妙にうねり、顔だけが結界の外から私の顔を覗き込む。気持ち悪いと思っても、顔に出してはいけない。ただひたすらに何事もないように宙を見る。


『何という強情。我らの力をうたごうておるのか』

「足りぬ柱に用は無し。足らざるは誰ぞ」

 六体すべてが巨大化して、結界の周囲を回り始める。揺らめくロウソクの火が影を壁に伸ばしていく。


『何が願いか。金か名誉か』

『憎き者の命が欲しいか』

『言うてみよ。言うてみよ』

「足りぬ柱に用は無し。足らざるは誰ぞ」

 七体目を呼ぶまで、私は同じ言葉を繰り返さなければならない。けっして反応はしてはいけないと言われている。


永久とわの若さが欲しいか』

『健やかな体が欲しいか』

『愛しき者の心が欲しいか』

 次々と囁かれる願望は、これまでこの御札たちが叶えてきたものなのだろうか。叶えてもらった人々が、その後どうなったのかを考えると虚しい。


「足りぬ柱に用は無し。足らざるは誰ぞ」

『おのれ、まだ言うか!』

 床を乱暴に踏み鳴らすような音が起きて囲まれる。大丈夫。私は七神の結界と護符に護られている。心の中で繰り返し、震える指を膝に押し付けて前を見据える。


『何という強欲。我ら七つ柱の力を望むか』

『げに恐ろしきは人の欲』

『まことに、まことに』

 ぶつぶつと私に対する文句を呟きながら、足のない御札が足音を響かせて周囲を回る。


『足らざる者は何処いずこに有るや』

『呼ばむ呼ばむ』

『呼びはべらむ呼びはべらむ』

 やっと残りの一体を呼ぶ気になったらしい。安堵の気持ちはなく、緊張が増していく。努めて息を深く吸い、静かに静かに吐き出すを繰り返す。

 

 大きな音を立てて、窓に小さな子供の黒い手形がいくつも付いた。ロウソクの炎はゆらゆらと揺れ、私の周囲を回っていた御札は、七歳前後の赤い着物を着た子供へと変化する。子供たちは手を繋いで私の周りを囲む。


 五センチほど開いた窓の隙間から、ずるりと黒い泥が侵入してきて、ぼとりと音を立てて床に黒い泥の山が出来た。


 ぼたぼたと泥は音を立てて積もり、その高さが二十センチを超えた頃、黒い小さな手が泥の中から現れた。


 黒い泥が子供へと変化していく。あご下で切りそろえられた黒髪に赤い着物。くすんだ黄色の帯の上、白い糸が煌めく。


『久しいのう久しいのう』

 甲高い笑い声をあげ、七人目の子供が輪の中に加わって回りながら歌い始める。


『あーめふらし かぜふかし』

『たーたりがみのおきにいり』

『へーびがーみのおきにいり』

『つかれたうーそに はらをたて』

『りゅうをうちとり くびおとし』

『ななつ ななやに ななみたま』

『うそつきだぁーれ わらうのだぁーれ』


 聞いたこともない歌なのに、龍の首を落としたという言葉で何故か心臓がばくばくと音を立てて暴れている。


 動揺が止まらない。七体が揃った時に唱えるように指示されていた言葉が頭から消えた。何を言えばいいのか。必死で思い出そうとしても、繰り返される子供の歌声と笑い声で頭は真っ白になるばかり。


 視界の端で白い影が動いた。白いシーツを放り投げ、音を立てて窓を閉めたのは朝木。

「そうか。二人はこんな物見てたのか。結構怖いものだね」


 私の周りを取り囲んでいた子供たちが黒い泥に戻り、呑気に笑う朝木を頭から飲み込もうとした時、大きく踏み込んだ七神が白いシーツを振って泥を叩き落した。


「朝木……お前なぁ……動くなと言っただろう……」

 静かに七神が唸る。床に叩きつけられた泥は、七枚の御札に戻った。


「七神なら何とかしてくれると思ってたよ」

 明るい笑顔の朝木と、ぎりぎりと歯噛みする七神を前にして、打ち合わせとは全く違う展開に笑うしかない。私が動きを止める言葉を唱えてから朝木が窓を閉めて退路を断ち、七神が一枚ずつ封じて回収する手筈だった。


「で、その御札集めて、何するか聞いてもいいかな?」

 朝木の軽い言葉を聞いた七神は、持っていた白いシーツを丸めて投げつけた。

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