第五話 赤い着物
混乱して涙が止まらない私を連れて店を出た七神は、自分の部屋へと招き入れた。定食屋近くのマンション四階の2LDK。部屋は真新しく、ほとんど家具が見られずがらんとしていて、一角には立派な神棚。まるで道場のような雰囲気が漂う。
私をアイボリー色のソファに座らせて、七神は冷蔵庫からペットボトルを出してきた。
「悪いが水か酒しかない」
「あ、ありがとうございます」
冷えた水を一口飲んで、震える手で鞄からスマホを取り出す。何度見てもメッセージには、信じられない文字が並んでいる。
息を大きく吸い込んでから、文葉に電話を掛けるとすぐに繋がった。
『蓮乃、ごめん。今、仕事だった?』
「昼休み。ねぇ、本当なの? 美織が……」
『お昼のテレビのニュースで流れたの。新進気鋭のデザイナーが……って。電話掛けても繋がらないし、メッセージ送っても既読つかないの』
文葉も涙声で狼狽している。私も涙が止まらない。高校生の時から一緒だったのに、何故、どうして。そんな思いがぐるぐると頭の中を回るだけ。
「そ、そうだ。美織の職場、行ってみる? もしかしたら、間違いかもしれないし」
「落ち着け。行っても迷惑なだけだ。気になるだろうが、電話も迷惑行為にしかならない。連絡があるまで待つしかない」
私の言葉を聞いていた七神が強く遮った。その声は文葉にも聞こえたらしい。
『……そうだね。その人の言う通り、待ってるしかないね』
電話もメッセージも、何度も繰り返せば、重要な連絡事項が埋もれてしまうことになりかねない。それは理解しているつもりだった。それなのにいざとなると、混乱して正常な判断を下すことは難しい。
『ごめん。私、仕事に戻る。何もしないで待つの無理だから』
「私も仕事に戻る。終わったら会える?」
『えーっと、今一緒にいるの彼氏じゃないの?』
「違う違う」
『それだったら……よかったら、うちに来て。一人でいられる気がしない』
文葉と会う約束をして電話を切ると、また目から涙が溢れてきた。自分のハンカチはすでに涙で濡れていて、拭いても乾かない。そんな私に七神は真っ白なタオルを差し出した。
「クリーニングに出してある」
「あ、ありがとうございます」
タオルで顔を覆うと、涙がさらに止まらなくなった。
「……朝木に連絡しておく。今日の仕事は休んだ方がいい」
「でも……」
「客商売だろう? その顔で出られたら、客が逃げるぞ」
裏方仕事もあると言いかけて、七神の優しい笑顔を見ていると少しだけ落ち着いた。
「ありがとうございます。自分で連絡します」
出会ったばかりの人に職場への連絡を任せることなんて出来ない。深呼吸を繰り返した私は、画廊へと電話を掛けた。
◆
散々泣いて、ようやく涙が止まったのは夕方近く。七神に謝ると、腫れた目を冷やすようにと冷たいペットボトルが手渡された。
「気にするな。今は友人と自分のことだけ考えていればいい。……渡した護符は、肌身離さず持っていろ」
私が泣いている間に、七神は新しい護符を作ってくれていた。白いお護り袋の中には、和紙で包まれた木札が入っている。
「それから、電話番号を教えておく。何かあれば何時でも電話していい。夜中でも早朝でも構わない」
七神が取り出した黒いスマホは、頑丈そうな外観でアウトドア向けの機種。ネット広告で見たことがあった。電話番号を交換してそれぞれ登録する。
七神のスマホ画面はシンプルで、私が見慣れたアプリのアイコンは無かった。
「メッセージアプリは入れていないんですか?」
「……あれは……出る出ない関係なく届くだろう? 霊的な道が自動生成されるから、良い存在も悪い存在も一瞬で行き来できる。だから入れてはいない」
ぞっとした。まさか、日々何の疑問もなく使っているアプリにそんなことが起きているとは考えたこともなかった。
「普通の人間は気が付かないから大丈夫だ。私のように視える者には、ある種の攻撃になるが」
「じゃあ、メールもそうなんですか?」
「メールは開く開かないの選択肢があるから、開封前に拒否できる。メールアドレスも教えておくから、何かあれば使ってくれ」
「本当にありがとうございます。……あの……お守りの料金は……」
「拝み屋は趣味みたいなものだから気にするな。基本的に金は取っていない。目の前の命が護られればそれでいいと思っている」
「……美織が自殺したのって、あの〝捕縛者〟のせいなんですか?」
「それはわからないな。現場を見てみないと」
七神が顎に曲げた人差し指と親指をあてて話す。……これは、考えながら話す時の癖。何故かそう思った。
冷たいペットボトルのおかげで、目の腫れはほとんどわからない程度まで落ち着いた。
「ありがとうございました」
洗って返そうと思ったタオルは、七神に取り上げられた。
「言っただろう? 今は友人と自分のことだけを考えていればいいと」
その微笑みが優しすぎて、涙が溢れそうになるのを堪えながら私は頷いた。
◆
七神に送られて自分の部屋に戻り、私服に着替えて外に出るとマンションの入り口近くで七神が立っていた。
「あ……すいません」
まさか待っているとは思っていなかった。何も考えずに選んだライトピンクのカットソーに、デニムのスカートは完全に普段着で恥ずかしい。
「聞き忘れたことがあった。金属アレルギーはあるか?」
「いいえ。何故ですか?」
「常に着けられる護符を作る。ブレスレットかペンダント、どちらがいい?」
「それは……御厚意はありがたいのですが、受け取れません」
恋人でもないのに、アクセサリーを受け取ることは流石に抵抗がある。
「……怖がらせるかと思って言えなかったが、君は狙われやすくなっている。おそらく、一度〝捕縛者〟に目を付けられたからだろう」
血の気が引いていくのがわかった。あの恐怖の夜は二度と経験したくない。
「新しい護符を作るまでは、必ず渡した護符を持っていてくれ。……友人の家に行くのだろう?」
七神に促されて、並んで歩き出す。美織のことを思い出して泣かないように必死で、話す余裕はない。七神もわかってくれているのか、黙ったまま。
画廊の近くを通り過ぎた時、スーツ姿の朝木が駆けてきた。
「七神……賀美原さん……何故一緒に?」
「拝み屋案件だ。特に何ということもない」
七神の言葉を聞いて、朝木の顔色が変わった。
「……それは聞くとヤバイ案件なのか?」
「深入りはするな。今回は命に係わる」
「まさか、賀美原さんの友達も?」
「いや。それはまだわからない。……彼女を友人宅に送り届けてから現場を見に行く」
「僕も一緒に行くよ」
私が午後と明日休むと連絡した後、朝木は美織に関する情報を集めていたらしい。
「事件は朝の通勤ラッシュの時間に起きたらしい。かなりの本数の電車が運休した」
「事件……ですか?」
自殺ではなかったのだろうか。
「最初は自殺と報道されていたんだけど、ホームに立っていた女性の背中を押した子供を目撃したという人が何人も出てきた。赤い着物を着ていたというんだが、捕まえようとした人の手をすり抜けて、走り去って消えたらしい」
ぞっとした。赤い着物と聞いて〝捕縛者〟のことが真っ先に頭に浮かぶ。
「七神さん、それって……」
「口に出すな。予想していた以上に危険だ。苦しいとは思うが、これから会う友人にも誰にも話すな」
七神の表情と声が鋭くなっても心配してくれているのがわかるから、怖さは感じない。
「僕に話すのもダメなのか?」
「ああ。安全が確保できるまでは、彼女に何も聞かないでくれ」
重苦しい空気の中、文葉のマンション前に着いた。
「護符は必ず常に持っておけ。友人にも誰にも渡すなよ。……それから、万が一の時は見えていないふりをしながら、塩を撒くか日本酒を撒け。酒は米のみで作られた物が一番いいが、多少混ぜ物があってもいい」
「待てよ、七神。それってかなりヤバイ話だろ? 付いていなくていいのか? もし、何だったら友達と一緒に僕の部屋に招く」
「お前の部屋は立地が悪い。今回の相手との相性が最悪過ぎる。ここならまだマシだ」
そう言って七神がマンションを見上げた。時間は午後六時過ぎで、空はまだ明るさを残している。心配する二人に見送られ、私は文葉の部屋へと向かった。
◆
文葉は猫柄のジャージ姿で待っていて、泣きはらした目を氷で冷やしている所だった。私に椅子に座るように勧め、温かいミルクティを出してくれた。
「電話の後、仕事に戻ったんだけど、ミスばっかり連発するから帰っていいって言われちゃったの」
無理に明るい口調で泣き笑いをする文葉が痛々しい。私も人のことは言えないかと、我慢していた涙をこぼしながら笑顔を作る。
「で、戻ってきてネットで情報収集してたら、子供に背中押されたって……」
「……その子供って、どうなったの?」
「それが……子供の姿が監視カメラに写ってないんだって。正式発表じゃないんだけど、中で務める人がSNSでリークしてて。状況は確かに突き飛ばされたような感じではあるみたい。透明な何かに押されたように見えるって」
「子供のこと、いろんな人が見てるんでしょ?」
「それも不思議で、見た人と見ていない人がいるの。見た人も赤い着物の子供って言う人と、黒い影だったって言う人もいて」
ますますぞっとした。視える者と視えない者、そんな言葉が頭をよぎる。
「そういえば、地下鉄って、ホームドアついてなかった?」
「それが……今朝、故障してたらしくて、ドアが開けっぱなしになってたんだって。怖くて見れなかったんだけど、直後の写真アップしてる人がいて……巻き込まれた人もいるって」
「巻き込まれた? どういうこと?」
「ラッシュ時だったから、体の一部がぶつかって骨折った人とか、まだ正式発表されてないけど転倒して重体になってる人もいるみたい」
文葉は一人でいる間、ずっと事件のことを検索し続けていたらしい。些細な噂からニュースの内容まで、堰を切ったように話しだす。
話を聞きながら、そんなに不安だったのかと胸が痛い。私は七神がいてくれたから、ある意味落ち着いていられた。もしも一人でいたら何かないかと……嘘だったと、助かったという情報を求めてネットにかじり付いていただろう。
「連絡、来るかな? 同級の皆にメッセージ送ってみたけど、誰にも来てないんだって」
「それは……仕方ないと思う。事件だったら、尚更大変なんじゃないかな」
待っているしかないというのは、本当にもどかしくて苦しい。それでも、私たちに出来ることはない。
「……蓮乃、さっきの男の人、誰? 彼氏じゃないの?」
「違う違う。朝木さんの友達。あ! ……この前助けてもらったから、お礼にお昼おごろうと思ったのにショックで忘れてた……うわ、助けてもらった上におごられてる……私の馬鹿……」
ご飯代を払っていないことに気が付いて、顔を手で覆いながらテーブルに突っ伏すと文葉が苦笑する。
「馬鹿ねー。朝木さんって、蓮乃の憧れの君でしょ。何、友達から攻略するの?」
「そういうのじゃないって……」
顔を上げると、笑いながら文葉はまた涙を流していた。
「あー、ダメだね。しばらくは何言っても泣きそう……」
「……その人にね、今は友達と自分のことだけ考えてればいいって言われたの思い出した……」
「何それ、スゴイ良い人じゃん」
泣きながら美織との思い出と、果たされなかった未来の約束を話し続けて、気が付いた時には午前零時を過ぎていた。
「そろそろ、寝ようか。明日って仕事は?」
「休むって言ってある」
「私も休むって言ってあるから、遅くてもいいか。あ、何か食べる?」
「夜中だよ?」
「一日くらい大丈夫でしょ。卵雑炊作ろうか」
そう言って立ち上がった文葉は、キッチンへと向かう。
「何か手伝うことはある?」
「あ、テーブルの上、片付けてほしいなー」
「はいはーい。……え?」
見間違い。そうとしか思えなかった。
振り向いた文葉の顔が、あのこけしのような〝捕縛者〟の顔に見えて背筋が凍る。
「どしたの?」
「あ、うん。何でもない」
瞬きすると、文葉の顔はいつもの顔。いろいろあり過ぎて、疲れているのかもしれない。私はスカートのポケットに入れたお守りを握りしめた。
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