第六話 身替わりの護符
美織の件は事件とされたものの、犯人は不明のまま三週間が過ぎ去った。検視やさまざまな手続きがあって、まだ葬儀の日程も決まらないらしいと噂だけが回ってきた。
新進気鋭のデザイナーの謎の死。マスコミが面白がって報道していたのは最初の一週間。徐々に事件の話は減って次の話題へと移っている中、週刊誌だけは未だに騒ぎ続けている。
今日も私は仕事帰りに文葉の部屋を訪問してお茶を飲んでいた。文葉の部屋はいつも綺麗で居心地がいい。自分の部屋にも招きたいと思いながらも、『誰も招くな』と七神に言われた言葉がブレーキを掛ける。あれは美織が持っていた〝捕縛者〟のことだと思ってはいても、まだ恐怖は残っている。
文葉が週刊誌をテーブルに置いて溜息を吐いた。その表紙には『親友が暴露! 新進気鋭のデザイナーの虚飾』という見出しが小さく載っている。記事には立て続けにコンペで入賞したのは、審査員に取り入ったからだという酷い話が書かれていた。内部情報のようなものが異様に詳しくて、同業者の妬みではないかと疑っている。
「これさぁ誰が言ったんだと思う? 全然嘘ばっかじゃん。大体、私たち以外の親友って誰よ」
「本当酷いよね。私も文葉も取材全部断ってるのに」
美織は毎日デザイン事務所で夜遅くまで仕事をして、休日前は私たちと食事して。休日はデートか睡眠というスケジュールで、雑誌に書かれている審査員たちと日替わりデートなんて絶対に無理。
「この自称親友って、自分が枕営業やってるから美織も同じことやってるって思ってそうじゃない?」
怒り心頭の文葉の言葉にぎょっとする。競争が激しいとは聞いてはいても、自らの体を使って仕事を取るような職種とは思えない。
「えー。それはちょっとないでしょ」
「悪い事してるヤツっていうのは、他の人間も同じことしてるって思い込んだり、罪をなすりつけるんだって。自己投影だっけ? 何かそういう感じの」
「あー、それで自分の心を護るっていう感じなのかな。でも、腹立つー」
どこから知られたのか、私たちにも取材依頼は来た。画廊まで押しかけて来た記者もいて、朝木が撃退してくれた。
「反論したくても、真逆のこと書かれたら意味ないよね。悔しいけど」
美織の人となりについて、あまりにも嘘ばかりが掛かれるので朝木に相談したら、取材は受けない方がいいとアドバイスを受けた。
取材を受けると写真を撮られたり名前を使われて、嘘を真実のように見せる材料に使われることがある。内容が間違っていると裁判に訴えて勝ったとしても、判決が出るのは数カ月や数年先。完全に忘れ去られた頃に、一行二行の謝罪文が小さく載るだけと聞けば、泣き寝入りするしかない。
「ご家族はもっとつらいだろうね……美織は事件の被害者なのに」
捕まらない加害者のことは最初に騒ぎになっただけで、あとは被害者の美織の話ばかり。小学生の時の文集やSNSの写真が無断で使われている。
結局、監視カメラの映像は現場の状況があまりに酷いという理由で公開されていないから、子供ではなく手酷く捨てた彼氏が突き飛ばした等々、勝手な噂が飛び交っていた。
「歴代の彼氏の所にも、取材があったらしいよ。でも美織って相手から
本当にそれはそうだと思う。人間ではなく、あの奇妙な御札に突き飛ばされたかもしれないと、文葉に告白した方がいいのかと迷う。
でも私が話すことで〝捕縛者〟が文葉に狙いを変えたらと思うと怖い。文葉は知らないままのほうがいい。
そう結論を出した所で、文葉が話を変えた。
「……蓮乃、私、来月くらいに引っ越すかもしれない。今、物件探してるの」
「そうなの? どのあたりに?」
「まだどこかは決めてないの。とにかくこの町から離れたいなって……美織のこと忘れたい訳じゃないけど、歩いてるといろいろ思い出して辛くって」
「そっか。寂しくなるね……」
「蓮乃はいつでも遊びに来てくれていいよ。そんなに不便な場所は選ばないつもりだから」
「仕事はどうするの?」
「……実はもう辞めたの。うちにも取材が来て、迷惑掛けちゃったから居辛くて」
文葉は広く名前が知られた大手企業の事務職だった。もったいないとは思っても、すでに辞めてしまったのなら何も言うことはない。
「引っ越す時、手伝うから日程決まったら教えて」
寂しさを隠して、私は微笑んだ。
◆
あれから怪異は起きることもなく気が緩み始めていた頃、七神からメールで呼び出しを受けた。待ち合わせ場所は行きつけのショットバー。美織の事件以来、一度も行っていなかった。
七神は開店時間から五分過ぎにやって来た。待ち合わせは午後七時。私も七神も一時間近く前に来たことになる。七神はカウンターに座っていた私をジュークボックス前のテーブルへと誘った。
「先日はありがとうございました。あの、これ日本酒のセットです。もしよかったら」
お礼を言って、紙袋を差し出す。何かお返しをと悩んで結局お酒を選んだ。
「……礼は要らないと言っただろう」
「あの……その……一生懸命選んだので……受け取って頂けたら嬉しいです」
日本酒のことはさっぱりわからないから、いろいろと調べた。日本酒は料理に使うだけで飲まないから、もらってもらわないと困る。
「それなら、ありがたく頂こう。私からは護符だ」
手渡された手のひら大の黒い箱は、
「素敵……あ、あ、あの……ものすごーく高そうですが……」
鎖の先、華奢な大小の桜の花が三輪と七色に煌めく透明な石が散りばめられた小さなパーツが付いている。そのサイズは一センチ前後でも、明らかに高級品。
「それ程でもない。……気に入らないか? ……いや、その……女性の好みには疎くて……私も必死で選んだ……」
七神の目が落ち着かない。二人で視線を揺らしながら、ちらちらと目を合わせていると胸がどきどきしてきた。
「……君の為に作った品だから返されても困るんだが……」
「……わかりました。いただきます。ありがとうございます」
私が観念すると、七神はあきらかにほっと安堵の息を吐いた。その様子が可愛く見えて笑ってしまう。
「ただの護符だが、意外と緊張するものだな」
「他の人にも護符を渡したことがあるんですか?」
「ここまで本気の護符を作ったのは初めてだな。ペンダントとブレスレット、どちらか片方で十分効果があるはずだ。もちろん両方付けても構わない。君専用にしてあるから、他の人間が持ったとしても効力はない」
促されるままにブレスレットを左の手首に付けると、透明な石がライトの光を反射して七色に煌めく。
「綺麗……」
「小さな石だが、天然のダイヤモンドだ」
驚きで思考が停止した。小さくてもダイヤモンドが三石。一体いくらするのかと血の気が引いていく。
「そんなに驚くほどじゃないぞ。護符だから、失くしてもいい程度の価値しかない」
七神は、私の顔を見て笑いをこらえながら肩を震わせる。
「いいか。その護符の鎖が切れた時は、そのまま捨てろ。絶対に拾うな」
「無理です。絶対拾います」
咄嗟に反論した私を見て、七神は口を引き結び眉尻を下げた。なんともいえない少々情けない顔は初めて見る。
「……切れた時は、その護符が君の身代わりになる。同じ護符はいくらでも作ることができるが、君は一人しかいない」
「あの……私は、まだ狙われているんですか?」
「……正直に言えば、そうだ。君が住んでいるマンションに結界を張っているが、侵入を試みた形跡が何度か見られた」
「すいません……全然気が付きませんでした」
非日常の嵐の中にいた三週間、ずっと七神が護ってくれていたのかと思うと申し訳なくて恐縮する。私は美織のことと文葉のこと、そして自分のことしか考えていなかった。
「気にするな。そういえば、友達の葬儀の日は決まったか? もし可能なら同行したい」
「それが……まだ遺体が戻ってこないらしくて……大体一カ月くらいかかるって言われたそうなんですけど」
昨日、やっと美織の母親から私と文葉に連絡が来た。メディアスクラムに巻き込まれたことを散々謝られて、居たたまれなかった。
「そうか。もしわかったら、連絡してくれ。……ところで、この後時間があるなら、食事に行かないか?」
「ラーメンですか?」
「いや。この前の定食屋だ。悪いが私は洒落た店は知らない」
「あ、それなら行きます」
どんなに悲しくて辛くても、お腹は減る。それはこの三週間で嫌という程、理解した。無理をしてでも食べておかないと押し掛けてくる悪意に対抗できない。
目の前のカクテルを飲み干した私を見ていた七神は、とても優しい笑顔をしていた。
◆
週末、私と文葉は美織の母親に呼ばれて美織のマンションの部屋へと向かった。喪服では合わないかもしれないと、文葉と示し合わせて黒のパンツスーツを着ることにした。
「よく来てくれたわね。さぁ、入って入って」
美織の母親は黒のカットソーにチノパン姿。茶色のエプロンを付けていて若々しい。以前会った時よりもかなり痩せているのがわかって辛い。顔色を隠す為なのか厚く塗ったファンデーションが落ちくぼんだ目をさらに際立たせてしまっている。
美織の母親は案内しながら苦笑した。
「片付いていなくてごめんなさいね。……もしかして、知ってた?」
「……ええ。仕事で忙しかったんだと思います。頑張っていましたから」
廊下に壁のように積まれていた物は少し減っている。家族が片付けたのかと気の毒に思いながらも、あれだけ目立っていたブランド品が無くなっていることに気が付いた。
「形見分けっていう程でもないけれど、何か欲しい物があったら持って帰って。その方が美織も喜ぶと思うから」
リビングに通されて、やはりブランド品だけが無いと確信。潰れた箱も紙袋も消えている。
「欲しい物はないので、よかったら片付けの手伝いをさせて下さい」
文葉の言葉で、母親がほっと安堵の表情を浮かべる。……物を渡すのは口実で、片付けの手伝いを望んでいたのだろう。最初から、そう言ってくれたら良かったのに。
スーツの上着を脱いでペットボトルや空き缶を拾い、とりあえずゴミ袋に詰め込む。コンビニのレジ袋の口は結ばれていて、開けるのが怖い。表から見て缶や瓶が入っている物だけを開封して分別する。
三人でひたすらゴミを集める。地層のように踏み固められたゴミが埋め尽くす床からは、ありとあらゆる資格試験の本や旅行のパンフレットが出てきた。デザイナーとして成功していながら他の業種への転職を考えていたのか、仕事を休んで旅行へ行きたいと考えていたのかと考えだすと手が止まりそうになるから、雑念を追い払いながら作業するしかない。
無言での作業の結果、二時間でやっとリビングの床とソファの全貌が見えた。積み上げられたゴミ袋は五十袋を超え、本の山が出来ている。これでまだ一部屋だから恐ろしい。
「あの……ゴミ捨てに行きましょうか?」
「それはいいの。もうすぐ、業者が来てくれるから」
聞けば、家具や不用品、ゴミもまとめて一切合切無料で引き取ってくれる業者を頼んだらしい。……だからブランド物は引き上げてあったのか。
私たちが和室へと移った時、業者がやってきた。白い作業服を着た男性が三人で、ゴミ袋を次々と運んでいくのを横目に、ただひたすらゴミを袋に詰めていく。
慣れた業者の手際は良くて、私たちが詰めたゴミ袋をあっという間に運び終え、ソファや家具も運んでいく。リビングが完全に空になると、他の部屋の家具も掘り出して運び始めた。
「うわっ!」
男性の悲鳴があがり、皆の注目が集まる。その男性は和室にある押入れを開けていた。中は空っぽのままで、あの御札だけがぽつんと残っていて昼間でも不気味。
御札には切れたはずの白い糸がしっかりと巻かれている。文葉に確認しようとしたのに、その光景に目もくれず無言でゴミを詰めていた。きっと見たくないのだろう。七神の護符を持っているとはいえ、私も見たくなかった。
三人の男性が集まって押し入れを覗き込みながら相談しているのを横目に、私は手を動かし続ける。早くふすまを閉めて欲しい。
「あー、ちょっとこれは、どうするかなぁ。この手のは触るとヤバイっていうからな。写真送って、相談すっか」
一人がスマホを取り出して撮影を試みた。
「うわ、これ、写真撮れないです。全く動きません。写真撮れない時って、霊が阻止してるっていう話ですよね」
他の二人もスマホで撮影しようとして撮れなかった。
「仕方ない。拝み屋呼ぶか」
途方に暮れた業者は美織の母親に許可を得て、拝み屋を呼んだ。
三十分ほどで現れたのは、七神だった。黒いジャケットに白のカットソーにジーンズとラフないつもの格好。挨拶をしようと思ったのに、七神は私が見えていないかのように前を通り過ぎた。
「あれ?」
仕事中だから、ということだろうか。そうだったとしても完全無視は腑に落ちないというか、釈然としない。
押し入れに向かった七神はポケットから袋を出して、御札に紙吹雪を掛けた。白く小さな四角い紙が、御札の表面を滑り落ちていくと心なしか空気が澄んだような気がする。
紙吹雪が完全に落ちた所で、七神は御札を掴んで白い布に包む。どうするのかと見ていると、さっとジャケットの内ポケットに入れてしまった。危険ではないのだろうかと思っても、七神のことだから大丈夫なのだろう。
「あの紙は手で触れずに集めて、燃えるゴミとして出してくれ」
業者の一人にそう言った七神は、別人のように横柄で。やっぱり私には目もくれずに、部屋を後にした。
あれが仕事中の顔なのかと、何か理由があるのかと考えながら、私はゴミを捨てる作業に戻った。
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