第四話 焼きサバ定食

 目覚めは爽やかだった。前日の徹夜の影響は一切残っておらず、スマホのアラームがなる直前に目が開いた。恐る恐る開くカーテンの向こう、窓にも汚れはない。

「あー、何か浄化される感じー」

 朝の光の清々しさが、身に染みていくようでたまらなく嬉しい。うきうきとした気分で着替える。


 昨日お守りを手にしてから、とても気持ちがいい。握りしめてお礼を呟く。今日は七神に会えるだろうか。何となく朝木と二人の世界が出来上がっていて話し掛けにくかったから、できれば電話番号だけでも交換したい。


「……待って。何かどきどきする」

 教えて欲しいことがあるからという理由より、会いたいという気持ちで落ち着かない。一目惚れという感じではなくて、助けてもらったから頼もしくて……という訳でもない。朝木への憧れとは違う気持ちが私の心の中に存在している。


 いろいろ理由を考えてみても、七神のことを考えると高揚する自分の心が理解できなくて、私は肩をすくめた。


      ◆


 顧客との会話は勉強にもなる。そうは思っていても、時々重荷に感じる瞬間もある。画廊へ朝一番に訪れた年配の男性は、ひたすら自分の過去の業績について語り、昼に近くなっても話が続いた。


 同じ会話の繰り返し。糸口を見つけてはすでに聞いたと柔らかに答えても、また最初に戻るだけ。これはどうしたものかと助けを求めたくても、どうやって切り上げればいいのかわからずにひたすら聞き手に回る。


 担当のスタッフは今日は休みを取っていて、不在だからと応対をおざなりにはできない。万が一にも機嫌を損ねれば、私だけでなく担当の責任にもなる。


 ふと思いついて、スーツのポケットの中に忍ばせたお守りに助けて欲しいと願った途端、男性客は妻に買い物を頼まれていたことを思い出したと言って話を切った。


 また来るからと上機嫌で笑う男性客を見送った後、小さく安堵の息を吐いて受付カウンターに戻ると同僚に謝られた。

「賀美原さん、ごめんねー。どうしたらいいかわからなくて」

「大丈夫です。私もどうしたらいいのかわからなかったので」

 二人で顔を見合わせて苦笑する。朝木がいてくれたら、きっと何らかの方法で助けてくれただろう。


「いつもはあんな風に延々とお話される方じゃないのにね。何か賀美原さんと波長が合っちゃったのかも。話し聞いて欲しいみたいな」

「そ、そうでしょうか……」

 これは担当に対応方法を聞いておいた方がいいかもしれない。万が一にも私が対応している時に絵が売れた場合は、担当者の売り上げにすると事前に言っておいた方がよさそう。スタッフそれぞれの顧客は横取りしない。そんな暗黙の決まりはある。


 今日は珍しく他の客が訪れず、事務作業がはかどる。美術館の企画展への貸し出し品をチェックして、画家への了承を取る。メールやメッセージアプリを嫌う人も多くて、電話か手紙でのやり取りがまだ残っている。手紙の郵送に掛かる日数と搬出日を計算し、かなり余裕を持って連絡をしなければならない。


 手紙には季節に合わせた記念切手を貼り、どんなに数量があっても割引サービスを使わない。それは人から人への温かみを手紙に持たせる為であり、届けた相手に郵便物を開封しようという気持ちを起こさせる為だと説明を受けている。


 最初は無駄な作業ではないかという疑問は持っていたものの、一律で印刷された郵便物よりも目を引くし、関心を持つという点では成程と納得するものがあった。


「よし、こっち終わりー。賀美原さん、さっきのお詫びに残りやっとくから、お昼休み入って」

「ありがとうございます。じゃ、お願いします」

 封が終わった手紙をカゴに入れ、私はその場を離れた。


      ◆


 画廊の裏口から出て、自分の部屋へと向かって歩く。往復に二十分を費やしても昼休みの時間は二時間あるし、多少でも運動不足を解消したい。


 少し早めのお昼休みには、部屋に帰って食事を取る。朝夕は軽く、昼はしっかり。そんな生活が就職してからずっと続いている。


 スーツのポケットに入れたお守りに触れるとほっとした。

 ……会えますようにってお願いしたら、会えるかな? そんな冗談を願って顔を上げると、七神がいた。


「ええっ?」

 霊験あらたか過ぎて、驚くことしかできない。七神は、黒いカジュアルジャケットに白いカットソー、ジーンズに革のスニーカー姿。正面に立つと、身長百五十八センチの私は見上げることになる。


「……驚かれても困るんだが……」

「あ、あ、あのっ、お守りありがとうございました! 助かりました!」

 思わず叫ぶと、七神が慌てたように周囲を見回す。七神の視線につられて見ると、周囲を歩く人々がこちらを見ていた。恥ずかしくて、頬が熱くなっていく。


「す、すいません……つい……」

 驚き過ぎて周囲の確認を怠ってしまった。七神の視線も落ち着かなくて、二人でおろおろとするのみ。しばらくして、七神が口を開いた。


「昼飯、一緒にどうだ?」

「は、はい」

 くるりと踵を返して歩きだした七神を追って左隣に収まると、何故か懐かしさを感じた。どきどきとする胸を押さえて、七神を見上げる。


「どうした?」

「えっ。あの……その……以前、どこかでお会いしたことはなかったでしょうか」

 私の問いに七神は困ったような顔をした。


「……なかった」

 簡潔な答えを聞いて、期待していた心がへこむ。それでは、今も感じる懐かしさは何だというのか。その理由がわからないまま、私は歩くしかなかった。


      ◆


 七神が私を連れていったのは、画廊から歩いて八分の定食のお店。入り組んだ路地の中、静かな場所にひっそりと店を構えている。長く住んでいる街なのに、こんな場所に定食屋があるとは知らなかった。


 店構えも店内も昔ながらの和の雰囲気。瓦屋根に白い土壁と、年代を重ねた木の柱の対比が美しい。お昼前だからか店内に客はまばら。七神は常連らしく、にこやかな店員は無表情の七神をさっと二人掛けのテーブル席へと案内した。


 白い土壁には木札でメニューがずらりと掛けられている。裏側になっているのは、売り切れなのだろう。

「何でも好きな物を頼んでいいぞ。きのこ飯の定食はどうだ?」

 それはその定食を頼めと言っているのだろうか。確かにきのこは好きだと思って値段を見ると普通の値段ではなかった。松茸とは一切書いてないし、ランチとしては高すぎる。


「え、えーっと。メニュー見せて頂いてからでいいですか?」

 店員が目の前に置いたメニュー表を開くと、あり得ない値段がずらりと並ぶ。使用している食材はすべて国産品というのがこの店の特徴らしい。それなら、立地も合わせてこの値段になっても仕方ない。


 七神へのお礼にランチをおごると決めているので、最安を探して焼きサバ定食を選ぶと、七神は少々驚いたという顔をする。


「サバ、食えるようになったのか?」

「……何故、知っているんですか?」

 質問に質問で返してしまった。サバが食べられるようになったのは、二年前。それまでは匂いが苦手で食べられなかったのを、健康効果が高いということで克服した。それを知っているのは美織と文葉だけのはず。


 私の問いに目を揺らした七神が口を開く。

「……何となく……サバが嫌いと言いそうな顔をしているから」

 それはどんな顔なのだろう。聞こうとした時に店員が注文を取りに来て、機会を逃した。


「あ、あの……お守り、ありがとうございました」

「ああ。無事で良かった」

 七神の微笑みにどきりと胸が高鳴った。無表情や口を引き結んだ顔ばかりで、笑顔は初めて見たかもしれない。


「あれは……あの変な御札と黒い泥は何だったんですか?」

「変な御札とは?」

「あの……顔が書かれた木の札で、赤い着物を着た……。私の友人の部屋にあったものなんです……」

 友人の部屋で見たことと、あの日私の身に起きたことを聞いて七神は困ったように眉をひそめた。

 

「……何と聞かれると説明が難しいな。それは〝捕縛者〟だ。……昔、祟り神と呼ばれた存在を封印する際に使われた。祟り神が復活することのないよう体を七つに分け、赤い着物の中に抱いている。黒い泥は……様々な呼び方をするが〝穢れ〟というのが適切だろう」

 七神は顎に軽く曲げた人差し指と親指をあて、慎重な物言いで言葉を選んでいるのがわかる。


「どうして私の部屋に来たんでしょうか」

 捕縛者、穢れ。初めて聞く言葉は、物語にでてきそうなものばかりで現実味がない。


「……最初にバーで会った時、スマホから糸が伸びているのが見えた」

「糸って何ですか?」

「……星彩せいさいの糸だ」

「せいさい?」

「星の彩りと書いて星彩。星の光という意味を持つ」

 音で最初に浮かんだのは制裁だった。星の光の糸と聞けばロマンティックなのに、御札と泥に迫られた光景を思い出すとそんな風には思えない。


 黒塗りの四角いお盆に乗せられた定食が運ばれてきて話が途切れ、私は料理の皿を見て驚いた。

「え? ……丸ごと?」

 焼かれた小ぶりのサバが一匹、お盆の上で盛大に自己主張をしている。ご飯となめこの味噌汁、お漬物とナスと小松菜の煮びたしの小鉢がやたらと小さく見えるくらい。これは困った。サバが食べられるようになったからと言っても、一匹丸ごとは無理。


 七神はきのこ飯定食を選んでいて、塩鮭の切り身と卵焼き、きのこの炊き込みご飯。あとは同じ。

「……取り替えるか?」

 困惑する私の顔を見て、七神は肩を震わせ笑いをこらえながら提案する。笑う程、変な顔をしていただろうかと表情を引き締める。


「だ、大丈……」

 これは頑張るしかないと思ったのに、七神がさっとお盆ごと取り替えてしまった。

「残念だが、もう箸をつけた。そっちを食え」

「あ、ありがとうございます……」

 内心ほっとした。ものすごく助かった。なめこがたっぷり入ったお味噌汁が美味しい。最近、面倒でお味噌汁を作っていなかったと反省する。


「あ、それで、あの……」

 そうだった。ご飯が目的ではなくて、七神にいろいろ聞きたいと思って着いてきたのに。

「今は飯に専念しろ。食ってからでも遅くない」

 七神の笑顔が優しくて、何故か安堵した私は箸を進めた。


      ◆


 定食を食べた後、七神は珈琲を頼み、私は紅茶を頼んだ。お昼休みの時間だというのに、店内は混雑しておらず、空席もちらほら。定食の値段を考えると気軽に来るのは難しいからか。


「何か聞きたいことがあれば言え。私が答えられることは答える」

「そ、それじゃあ遠慮なく。七神さんは何をされている方なんですか?」

 今のところ、朝木さんの友達としてしか知らない。


「……一応、不動産屋の社長ということになっているが、社員はいない。本職は拝み屋だな」

「拝み屋?」

 それは霊能者。本やドラマで見る事はあっても実際の仕事にしている人がいるとは思わなくて驚く。


「物件にはいろいろあるからな。大抵は気のせいだが、時々洒落にならないモノもいる」

「それが〝捕縛者〟なんですか?」


「それは別格だ。……話してやりたいが、この件については深く知らない方がいい。興味を持つということは、相手側からも興味を持たれるということだ。急ごしらえの護符では防げなくなる可能性が高い。何が起きても、見えていないという演技が出来るなら話すが」

「無理です」

 あの追い詰められた瞬間を思い出して即答すると、七神が静かに笑った。その途端、黒い狩衣姿の男が脳裏を掠めていく。顔は陰になっていて良く見えない。黒と白。二色の装束に何か意味があるのだろうか。


「あ、あの……黒や白の狩衣を着た男性をご存知ですか?」

「狩衣? 知らんな」

 短く返答した七神が珈琲を口にして、私は変なことを聞いてしまったと猛省する。


「あの……星彩の糸の話は……」

 料理が来て中断したままだった。

「……あの糸の話か……あれは星の光の力を紡いだもので……様々な用途があるが、あの時、スマホから伸びていた糸は君を捕まえようとする意志を感じた」

 

「星彩の糸は、何故私を狙ったんでしょうか」

 私を捕まえるなんて、理解不能。一緒にいた文葉は、何かあったような素振りはなかった。

「……その場に二人いたのなら、気に入った方を狙った……というのがよくあることだな。どちらが、何がという理由は無いことが多い。ただ、気に入った。偶然、選ばれた。理不尽だが、その程度だ」


「持ち主は平気なんでしょうか」

「……君の部屋に現れた〝捕縛者〟に糸は巻かれていなかったと言ったな」

「はい。私の部屋で見た時にはありませんでした」


「巻かれた糸が切れたということは、自由に解き放たれた可能性がある……それは、持ち主が危ないかもしれ……」

 七神の言葉を遮るように、私のスマホの着信音が店内に響いた。慌てて鞄から出して音を切る。

「すいません。切り忘れていました」

 着信は文葉から。後で掛け直せばいいだろうと思った時、信じられないメッセージが目に入った。


「……嘘……」

「どうした?」

「美織が、今朝……地下鉄に飛び込んだって……」

 ぐにゃりと地面が歪んだ気がして、傾いだ私の体を七神が受け止めた。

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