第51話 鹿目征十郎 最終話

 ――遅くなってしまったと、日に焼けた女子高生は思った。


 道路を横断する為に信号が青になるのを待っているが、一向に青にならない。それどころか、赤色の点灯は、一旦黄色になってから、また赤に変わった。どうやら故障のようだ。

 

「いいよね。故障なんやから……」


 女子高生はそう言いながら、左右の確認の後で片側一車線の道路を横断した。

 時刻は七時半になっていた。

 辺りは随分と暗くなっている。夏の大会が近いので練習にのめりこみ過ぎたようだ。早く帰らなければいけない。姉や妹が心配しているはずだ。


 すると、遠くの方で、何かを漕ぐような音が鳴った。

 ギィコ……ギィコと絶え間ないが、音の正体は暗くて分からなかった。


 女子高生は、ぶるっと身体を震わす。何だか寒気がした。この暑い時期に珍しい事である。

 気を取り直して歩き出すと、道路の脇で、誰かが背中を向けてうずくまっている。地味な服装をした老人のようだ。時折、車が通り過ぎるのだが、電柱の影に隠れるようにしているので、誰も気が付かない。横の側溝そっこうに落ちてしまいそうだ。気分が悪いのかも知れない。女子高生は、駆け寄った。


「大丈夫ですかお爺さん?」


「…………だれ……だ?」


 変な声だと女子高生は思った。

 しわがれた声だが、直接頭に響いてくるような感じがした。


「どこか、しんどいんですか? 救急車を呼びますか? お家の方に知らせましょうか?」


「う、うん……。腹がすいた……」


 お腹が空いているだけなのかな? と女子高生は思った。自分も中腰になり、老人の背中を優しくさすってやる。ちらっと夜の空を見上げると、雲が異様な速度で動いていた。尋常ではない。嵐が来るのかも知れなかった。


「お爺さん、早くしないと――」


 再び女子高生は、蹲る老人に顔を向ける。老人もこちらに顔を向けた所だった。

 ――眼球が無い。

 本来、目がある筈の部分が広く陥没かんぼつしており、黒い煙が立ち込めていた。

 それだけではない。

 老人の顔には、幾つもの亀裂があり、そこから煙が漏れている。何かの皮を、無理矢理被ったようにぎこちなく見えた。

 

「きゃああああ!」


 女子高生は慌てて飛び退く。

 だが、老人は機敏な動きを見せて、女子高生の両腕を掴んだ。鞄が道路に投げ出される。


「旨そうな若い女じゃ。どれ味見してやろう……」


 老人の口は、信じられないほど大きく開いた。ミチミチと嫌な音が鳴って、口の端の皮が千切れる。人間の頭ぐらいなら、簡単に飲み込めそうだ。

 女子高生は助けを求めたいが、声がでなくなった。腕を振り解こうにも、物凄い力でびくともしない。そこに、先ほどから聞こえていた、ギィコ、ギィコという何かを漕ぐ音が近づいてきた。緊迫した状況にそぐわない間抜けな音だ。


 老人越しに見えたのは、自転車だった。ママチャリである。前のカゴに白いワンちゃんを乗せている。黒いカッパを着た男が、懸命に漕いできたかと思ったら、少し離れた所に自転車を投げ捨てて、白い犬と共に、こちらに駆けつけて来た。


「やっと見つけたぞ! 間に合った! スミレちゃん! 思いっ切り反れ!」


 男が叫んでいる。

 どうして私の名前を知っているのかと、スミレは疑問に思ったが、先にやって来た白いワンちゃんが、いきなり老人の首筋に噛みついた。そのおかげで、拘束の手が緩む。スミレは、後ろに身体を投げた。転げながら、何とか身体の自由を確保できたが、状況がまったく飲み込めない。とにかく無我夢中で老人から離れた。

 あれは人間ではない。

 何か別の生物だと思った。


 後からやって来た男は、いきなり長い刃物を振り回したようだ。

 物騒極まりない。

 だが、老人は、煙のようになって何事もないようにそれを躱す。少し離れた場所に移動したかと思うと、また老人の姿になって、こちらに顔を向けた。

 スミレはひきつった悲鳴をようやく出した。気を抜くと、意識を失ってしまいそうだった。


「大丈夫かスミレちゃん。もう安心だからな」


 長い刃物を構えた男は、スミレを庇うように立つとそう言った。


「どなたですか? 何が起こっているんですか?」


「詳しい説明は後でするけど、俺は鹿目征十郎しかめせいじゅうろうだ。神使だよ。最近の女子高生は、神使なんてマイナーな職業を知ってるのかな? ウヘヘ」


 スミレは思い出した。

 神使とは、化け物専門の戦闘要員。古くは、古事記が編纂へんさんされる頃から、存在していた組織の成れの果て。神鹿機関シンロクキカンに属する国家の兵だ。

 中学の教科書に載っていた。

 彼らは闇から国を守っていると。

 その神使が奈良に来ているという事は……。


「魔都化が始まるんですか?」


 スミレは広い背中に向かって言った。


「ああ、そうだ。だけど安心してくれ。化け物どもの好きにはさせない!」


 鹿目という男が言うと、何故かスミレは信じることが出来た。もう大丈夫なんだと思える。不思議だ。

 鹿目は気合を入れた。


「雪丸! こいつは吉田寺きちでんじだ! 最初から全力で行くぞ!」


 黒いレインコートがはためいた。

 そういえばと鹿目は思う。

 どこかで一部始終を、田中正治が見ているはずだ。車で来ているなら利用させてもらおう。吉田寺をさっさと倒して、スミレを菜月の店まで送ってやらなくてはいけない。そこに千春もいるだろう。




 がんばれ奈良 完

 

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奈良に期待してはいけない。楽しいのは奈良に着くまでだ。奈良てっ!☆神鹿魍魎口伝☆ 星屑コウタ @cafu

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