第44話 夢殿崩壊

 

 人の背丈ほども積み上がった瓦礫の中から、押しのけ押しのけ、鹿目征十郎しかめせいじゅうろうは外に出て来た。小さな傷だらけで、ふくれっ面である。

 

 そこに集まった二人と一匹は感心していた。まさか、倒壊した夢殿の中から自力で脱出してくるとは。

 さすがは訓練された戦闘のプロ。一般人とは基礎体力が違うし頑丈だ。


「まったく人を殺す気か! いい加減にしろよ!」


 苛立ちを隠さずに、ほこりと泥で真っ白になっている鹿目が、集まった観衆に向けて文句を言う。酷い不幸に遭遇した直後だと、誰でも判別できる姿だ。

 ややしらけて、文句を受け止める形で雪丸が答えた。白い霊獣は、こんな時でも威厳に満ちている。


『フフフッ。君なら無事に脱出できると僕は思ったんだよ』


「運が良かっただけだぞ。柱と柱の間に出来た空間に、なんとか滑り込んだ。ほぼ奇跡だぞ、あんなの」


『しかし、その強運は見事なものだね。建物が潰れてしまったのに、その程度の傷で済んでるなんて……』


「お前が雷を落としたんだろ? 事故みたいに言うな」


『よくわかったね』


「お前が吠えた後に、真っ白になって夢殿が崩壊したからな!」


 鹿目は立ち上がりながら、雪丸を睨む。神社仏閣を守る凛々しい狛犬の顔だ。立派な角が生えており、その角を掴んで千春が背に跨っている。

 千春は危ない目に遭ったが、元気を取り戻しているようだ。ただ、両手首に、縄で引かれた痛々しい跡が残っている。冷やすなり、布を巻くなり、応急手当をしたほうがいいだろう。


豊聡耳トヨサトミミは、死んだんか?」


 と武くんが聞いた。

 埃を払いながら、鹿目は言う。


「ああ……。神殺しで心臓を割った後に、雪丸の雷が直撃して……。さすがに神格でも、生きてはいられない筈だ」


「そうか、わりと呆気なかったな」

 

 武くんは肩を落とした。

 千春は雪丸に頼んで地面に降ろしてもらった。手首を擦っている。武くん同様に、浮かない顔で言った。


「これで、お姉ちゃんの仇は討てたんかな?」


「…………」


 どうなんだろう?

 鹿目は釈然としない。

 豊聡耳は、夢殿と共に崩れさった。集まったメンバーの目標は達した。だが、いまいちスッキリとしないのは、恐らくアイツの存在のせいだ。途中で茶茶を入れてきた法隆寺。アイツは何処に行った?

 ふと気が付けば、豊聡耳が襲い狂って、直ぐ様、戦闘になってしまったが、この一連の騒動全てに、アイツが裏で、糸をひいている気がして仕方がない。


 鹿目が、そのように考え込んでいると、女の声が遠くでした。ちょうど今、頭の中で想い描いていた黒幕の声だ。その声は、興奮するかのように、微かに上擦っていた。


「成ったぞ。ついに成りよった!……何十回と繰り返して、ついに成ったぞ! ……クククッ」


 崩れてしまった夢殿の北には、横に長い絵殿えでん舎利殿しゃりでんという二つの建物がある。その間から、影を抜けて声の主が進み出てきた。姿をくらませていた法隆寺である。


「……クククッ。でかした、でかしたぞ。ついに神格が死んだ。邪魔者は全て排除したぞぉ……クククッ」


「お前、ずっと、そこで見ていたのか?」


 咎めるように鹿目が言う。

 絵殿の中から、格子の隙間を利用して、鹿目達を覗いていたのだろうか。


「ああ、観ていたぞ。十五年間ずっと観ていた」


「十五年?」


「お前達が失敗する度に、くり返してきたのだ。……クククッ。ようやく整った」


 口元に手をやって、法隆寺は湧き上がる衝動をこらえている。それでも、卑しい笑い声が漏れ伝わっていた。

 雪丸が唸ると、目の前で空気が弾けて火花が散った。いつでも稲妻を呼び出せるように準備をしているようだった。


『……どうやら、僕の主人を闇落ちさせたのは、君の仕業らしいね。利用するだけ利用して、僕達に始末させたのか?』


「クククッ……。なかなか賢い犬じゃ。そうだと言ったら、どうするのだ?」


『……許せないね』


「なら、妾を殺すか? 確かに豊聡耳は、妾が闇に落としたが、その後は、勝手に怪鳥イカルを飛ばしておったぞ。豊聡耳の鳥は、よう飛んで働いてくれたわ。来日くるひも来日も、日本中を飛び回っておったので、人がおらぬようになってしまった……クククッ。手間がかかったが、うまくいった……。この土地で最後じゃ。奈良の魔都化が完了すれば、この国は堕ちる」


「オイオイ? ……ええっと……。なんか奈良以外、全部魔都化が完了したような言いぐさだな? 誰もいないのか?」


 鹿目はそう言って、頭を捻った。

 ――本当だ。

 奈良の外側の事が、驚くほど思い出せない。はじめから、存在していなかったようだ。記憶が、すっぽりと抜け落ちてしまっている。あまりにも消えた情報量が多すぎて、混乱しかけて気分が悪くなった。

 同じように困惑している千春が、鹿目に向かって言った。


「神使。どうしよ? もう、色々手遅れなん?」


 奈良県の逆襲。

 散々コケにしてきた奈良県が、人が住める最後の土地ユートピアになってしまうとは。

 鹿目は両手の拳を握りしめる。革の手袋がぎゅっと鳴った。


「……そうかも知れないな。豊聡耳を討つのが目的だったが、事情が変わったな。こいつが黒幕だ。いつの間にか、日本が乗っ取られていたとは……。もう、生きてる人間は俺達だけだろう。あとは戦って生きるか死ぬかだ」


 鹿目はそう言って、汚れたままのレインコートに手を突っ込んだ。まるで鹿目の身体から刃物が生えてきたように、抜き身の太刀が出てくる。武くんも前に進み出てきて、金属バットを構えた。男どもの切り替えは速かった。考えるのが苦手なだけかも知れないが。

 その様子に、法隆寺が感嘆の声を上げた。


「クククッ……。やる気なのか? 大した胆力ではないか……。クククッ……。だが無駄だ」


 鹿目が異変を感じて手元を確認すると、取り出した太刀が急速に変色し赤黒くなった。その後でボロボロと崩れだす。おわ! と声がするので振り向くと、武くんの金属バットも同じような目にあっている。金属は錆びついて使い物にならないようだ。


「これが法隆寺の力か!」


 鹿目は叫ぶ。

 太刀が、いつぞやの愛車と同じ目に合ってしまった。いやいや、それよりも何倍も酷い有様だ。

 狼狽うろたえる鹿目達をよそに、雪丸は冷静だった。


『答えて貰おうか。どうして僕達に豊聡耳を討たせた? 剣が刺さった状態なら、普通に戦っても勝てたんじゃないのかい?』


「クククッ……。妾に神格は殺せなかった。法隆寺の金堂こんどうを擬人化に利用したせいで、そのような弊害がでた。鎮魂はするが、殺すことは出来ないのじゃ」


 そう言いながら、法隆寺は鹿目を見た。


「……何十回と繰り返して辿り着いたのは、お前の仲間が剣を用意し、お前がそれを使う事で、神格が滅びるというシナリオだ。しゃしゃり出てきた神格をようやく取り除けたぞ。神使よ。神殺しをしてくれた礼をしよう。……クククッ。せめて眠るように、心安らかに逝け」


 法隆寺の後方に、絵殿の格子が見えているが、格子の向こうに、誰かの気配を鹿目は感じた。影が動いて建物から出てこようとしている。どうやら二匹目の化け物が絵殿の中に潜んでいたようだ。

 その影が建物から抜け出て、法隆寺の横に並ぶ。その姿は大きく、立派な髭をたくわえた白人の男だった。プカプカとパイプをふかしている。ライトの付いたヘルメットを被って、どこかの洞窟に挑むような探検隊の制服を着ていた。この和が占め尽くす寺の中で、非常に違和感のある格好だった。


「ハロ~。ハロ~。オゲンキデスカ? ワタシハ、ユメチガイ。ステキナ夢をプレゼントシマスヨ」

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