第43話 燃やす
「調子に乗んなよ!」
武くんは、両足首に巻き付いていた縄を器用に解くと、雄叫びを上げながら走り出した。脱獄のプロである。
向かう先は、
成功するかに見えた脱出劇は、失敗してしまったようだ。
「あああ! くそ! もうちょいやのに!」
武くんの
「ああああああ!」
千春の苦悶が大きくなる。
手足だけではなく、首や腹にも縄がかかった。もう耐えられないと、鹿目は判断した。目の前で、薄い笑いを浮かべる
――いけすかない野郎だ。
腹の底から、フツフツと怒りが湧いてくるのを鹿目は感じていた。十五年という歳月は、神様であろうとも正気を保てない。変な布で目隠しをされているせいもあってか、よくぞここまでひねくれたと鹿目は思った。弱者を
「ハァハァ……早く決断せぬと仲間が死ぬぞ。ハァハァ、剣を抜け
相変わらず豊聡耳の声は、しわがれている。息遣いも荒く、聞き取りづらい。
「…………」
「どうした神使? 早くしろ……。ハァハァ……おい、鼻血が出ているぞ。間抜けめ、どこぞで、打ったのか?」
「……うるせえぞ……黙ってろ」
「ハハハッ……ハァハァ。まあよい。女には死んでもらうか。人質は、まだおるしな。その方が、お前も決断しやすくなるだろう……ハァハァ」
豊聡耳がそう言い終わる前に、鹿目は垂れた縄に向かって、短刀を振り下ろした。しかし、再び首にかかった縄が、急速に天井に向かって張りだし未遂に終わる。
鹿目は両の手で縄が絞まるのに抵抗した。握っていた短刀は、その過程で敢えなく床に落ちた。つま先立ちで立ち、首に体重がかかるのを、なんとか防ぐ。演技の下手なバレリーナが、観客の
「ハハハッ……。無様だな神使。そこで見ておれよ。仲間が千切れて死んでいく様を……ハァハァ」
鹿目は吊られるのに耐えながら、豊聡耳を睨んだ。充血する目は怒りで燃えている。圧迫される喉から声を絞り出して、豊聡耳をなじった。
「……ばか野郎がぁぁ!!」
鹿目を吊っていた縄が、前触れもなく切れた。鹿目は屈んで、着地する。両手は床に着いたまま、顔だけを起こすと、夢殿の狭い空間に、無数の刃物が突然浮かび上がった。様々な種類のナイフ、そして包丁の
「油断したな! 豊聡耳!」
鹿目は叫ぶ。
鼻からツ――と、血がまた落ちた。動力を限界まで溜めていた刃物が、爆発するかのように進軍を始めた。対抗して、天井から黒い縄が無数に落ちて来るが、しかし間に合わない。局地的豪雨のように降り注ぐ刃物は容赦がなく、多くが豊聡耳の身体に刺さった。そして燃え上がる。
「ウギャアアアア!!」
断末魔が響く。
豊聡耳は、板に
従って、事前準備が効いてくる。
腹に刺さった神殺し。
恐らく、そいつで斬りつけて
鹿目は這うように進んで、豊聡耳の腹から生えた
鹿目は、夢殿の外を一瞬見た。
燃え盛る炎を纏った豊聡耳越しに、地面に縫われるようにしている雪丸と目が合う。獅子の姿に似た白い霊獣は、何かに納得するかのようにコクンと頷いた。
「うおおおお!」
鹿目は、長い柄を両手で握ると、床が抜けんばかりの勢いで右足を踏みしめた。豊聡耳の右肩を抜けるように、腹に刺さった剣を、そのまま振り上げると、伴って炎が竜のように昇った。柄まで入れると、三メートルはありそうな長大な剣だが、非常に軽く、
鹿目が振るった一撃は、豊聡耳の左肩を破って、心臓にまで達した。
豊聡耳は、口から血を大量に吐くが、炎に焼かれて蒸発する。
「お……おのれ、神使。小間使いの分際で神を殺すか……。ハァハァ……。お前の仲間も道連れにしてくれる……」
もはや、
「武くん! 足元だ!」
そうはさせじと、鹿目は叫んだ。
左手首の縄と、上手にお別れ出来ない武くんは、言われた通り足元を見た。何も無かった地面の砂利に、幅広の包丁が刺さっていた。いつ仕込まれたのか、出生不明の包丁だが、この懐かしい形状は、一度使った事がある。それは、遠い昔の龍田神社での出来事だ。これで斬られると発火するのだ。
反射的に包丁を拾い上げた武くんは、自身を拘束する縄に目掛けて、力一杯に振り下ろす。直径三センチはあろう縄を、完全に切断する事は出来なかったが、つけた傷から炎が吹き出て縄を焼き切った。
すぐさま反転した武くんは、千春と雪丸を捕らえている縄に、次々と斬りつける。同じように炎が吹き出て縄を焼いた。
拘束を解かれた千春が、脱力して雪丸の背中に突っ伏す。一瞬だが顔が見えた。目をつぶって、安堵に包まれた様子だった。雪丸が千春を気遣いながら、ゆっくりと身体を起こしてくる。
武くんが、びっくりするほど懸命かつ迅速に働いたおかげで、ようやく自由が舞い降りて来た。巨大な霊獣が、反撃の
「オオオ――ンッ!」
空が光る。
雷鳴が轟く。
夢殿の屋根に据えられた宝珠に、雷の直撃があった。
鹿目の視界が、急に真っ白になった。
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