第42話 夢殿

 鹿目征十郎しかめせいじゅうろうが、ふと気が付くと、夢殿の御開帳ごかいちょうが始まっていた。人の気配はしない。静かに静かに、凛としたたたずまいの中で、扉が独りでに開かれていく。八角円堂形式の夢殿は、どこか神秘的なおもむきを見せるが、中の様子が窺えるにつれ、目を疑う異様さに鹿目は震えた。


 薄暗い堂の中央にいる女の腹に、巨大な剣が刺さっていた。剣は腹を突き抜けて、背屏風せびょうぶのように立つ、後ろの板まで貫通しているようだ。女がはりつけになっている板には、様々な模様が描かれており、それは仏像の光背とよく似ているが、まるで呪いの紋が浮かび上がったようにも見えた。


 そして、見覚えのある女だった。

 髪は長く、海のようにあおく。首から下は木綿の布が隙間なく巻かれており、まるでミイラのようである。


 ――豊聡耳トヨサトミミだった。


 顔の半分を埋めるような、黒い布で目隠しをされていて、恐らく何も見えていない。目隠しの布には、淡く光る達筆で「夢違」と、大きな文字が浮かんでいた。口元は苦痛に歪んでおり、腹に巨大な剣を貫通させたまま、時折、手足が動くのが不気味だった。


「なんだこれは……。これが今の豊聡耳なのか!」


 鹿目は後ずさった。

 十五年ぶりに再会した神格は、全ての罰を引き受けたような姿をしていた。


 鹿目の鼓動は自然と速くなる。

 千春や武くんは、豊聡耳が仇だと息巻いていたが、どこか信じられないでいた。鹿目の記憶の中では、神格は呑気に笑っていたからだろう。だが、今は無条件に信じてしまいそうになる。 


 突っ立ていると、豊聡耳に見られている気がした。視界は塞がれているのに、どういう訳か視線を感じた。


「はぁ、はぁ……誰か来たのか? うじのように湧く」


 聞き取りづらい声だ。

 すると、堂の天井から幾つもの太い縄が床に落ちて、外にいる鹿目に向かって伸びた。縄の先端には輪っかが出来ており、想像したくはないが、首を吊るためのロープのようだった。縄は生き物のように蠢き、鹿目を取り囲む。

 鹿目は、はっとしてレインコートから短刀を取り出した。間髪入れずに、跳ね回り、のたうつ様にして太い縄が襲って来る。上下左右、全方位からの同時攻撃であるが、鹿目は抜群の短刀捌きを見せて縄を弾いた。まるで弧を描く竜巻のような動きである。

 短い短刀は防御に適している。故に、今の鹿目に隙は少ないが、一瞬の虚を突いて、真後ろから忍びよった縄が首にかかった。


「し、しまった! ぐぇぇえ!」


 強い力で引かれ、後ろに転倒する。受け身も取れずに背中を強く打ってしまう。地面が砂利でなかったら、相当なダメージが出たであろう。縄と首の隙間に、左手を滑り込ませるのには成功したが、鹿目を窒息させようと、縄は強い力で絞め上げてくる。

 堂の中から豊聡耳の声が響いた。しわがれた老婆のような声で、息遣いが非常に荒い。


「ハア、ハア、ハアッ! 神使しんしがまだいたかぁぁ! こっちへ来い!」


「な、縄を解きやがれ! 豊聡耳!」


 鹿目は夢殿に向かって引き摺られていく。縄が喉に食い込んで、何度もえづいた。まったく抗う事が出来ず、一メートルほどの段差があるのに、ついには、頭を先頭にして夢殿の中に吸い込まれてしまった。


「ガッ! ゴホッ! うぇぇ……」


 中に入ると、縄はすぐに緩んだが、首にかかったままだった。外そうにも、輪が広がりきらず外せない。死刑執行を待つ囚人にされてしまった気分だ。

 鹿目は、ふらつきながらも起き上がった。

 寝ている場合ではない。

 夢殿の中は狭く、数歩の距離に豊聡耳がいた。鹿目は、引き摺られても離さなかった短刀を構える。すると、首にかかっていた縄が、天井に向かってピンと張った。建物がミシミシと音を鳴らして、足が浮きそうになる。


「ぐあ……」


「フフフッ……。お前は見たことがあるぞ。ハァハァ……。逃げたかと思ったが、帰って来たのか?」


「ぐっ……、な、縄が……」


「ああ、すまん。少しキツイか」


「ゲホッ……。ぐぇ……」


 縄の張りが緩んで、地面に落ちる。鹿目は情けなく、四つん這いになってしまった。空気を求めて喘ぐ。顔を上げると、豊聡耳の腹に刺さった剣の柄が目の前に来ていた。大きい剣だ。柄だけで腕ほどの長さがある。まるで巨人がやって来て、暴れる豊聡耳を抑える為に、突き刺したようだ。


 ――な、なるほど。こいつはかたきだ。


 この豊聡耳は、正気ではないと鹿目は確信した。いきなり攻撃を仕掛けてきたし、とにかく禍々まがまがしい。夢殿の中に放り込まれたが、隅っこの闇に正体不明の何かが蠢いている。一秒たりとも長居したくはない場所だった。そこに主のように居座いすわるのは、魔王というのに相応ふさわしい。ここから怪鳥共を操って、奈良の人々に害をなしているのだ。


「んぐ……。なあ神使。この腹の剣を抜け」


 豊聡耳の突然の提案にいぶかしむ。鹿目の息は、まだ整わない。

 

「ぜっ、ぜぇ……。俺が、なんで、そんな事をしなくちゃいけない。ぜぇ……ぜぇ。自分で抜けよ……」


「この剣は天十握剣あめのとつかのつるぎ、神殺しじゃ。触ると焼ける」


「こ、骨董品の名前だな。そんなもんが刺さっているのか?」


 ――天十握剣。

 鹿目は、聞いたことがあると思った。

 古い霊剣の名前だ。

 存在さえも怪しい神話に登場する剣だが、どのようないわく付きの剣であったか……。

 たしか……。

 伊奘諾命イザナギという神が怒って、火之迦具土神ひのかぐつちを斬り殺したときに使ったのだったか? 故に神殺し……。

 神使になるための訓練で、そのような知識を叩き込まれた記憶があるが、いかんせん不真面目な生徒だったが為に、非常に曖昧あいまいだ。


 だが、重要なポイントはそこではない。神話の中の霊剣が、今ここに存在している事実が重要なのだ。しかも、神格の腹にそれが刺さっている。誰かが、神殺しを使って豊聡耳を殺そうとしたのは間違いない。


 神話級の剣を複製して、それを神格の腹に突き刺す行為。そんな離れ業が出来るとしたら、恐らく一人しかいない。

 鹿目が良く知っている人物。

 神鹿しんろく機関、ナンバーゼロ。

 天音コヨリがやったのだ。


 鹿目は、ようやく立ち上がった。

 巨大な剣につばはなく、柄から刃に変わる辺りで少し膨らみがある。何かの儀式に使われていそうな両刃の剣だ。

 天音大佐の手帳にあった、剣は置いておくとは、この事かも知れない。相変わらず、予想の遥か上をいく。


「……剣を抜いてどうする?」


 鹿目は息を整えながら聞いた。左手で縄を掴み、次の衝撃に備える。


「歩き回って、外の空気を吸う」


「真面目に答えろ」


「……国造りじゃ。乱れた世を廃し、仏法に護られた大和国ヤマトノクニを造る」


「お前は馬鹿だ。もう人が居ないらしいぞ。国なんて造れねえよ」


「人でなくともよいわ。神使よ。はよう剣を抜け」


 豊聡耳が苦悶の表情を浮かべると、夢殿の余った扉が、内から外に向かって一斉に開かれた。外は薄暗かったが、それでも堂の中に、僅かな日が入り込んでくる。

 四角く切り抜かれた景色の向こうに、武くんと、雪丸に跨がった千春がいた。地面から生えた縄が、首や手足に幾筋も絡んで、その場から動けないでいる。雪丸に至っては、口が開けれぬように、縄がかかっていた。


「きゃあああ!」


 千春の悲鳴が響く。

 手足をあらぬ方向に、強く引かれているようだ。下にいる雪丸が暴れるが、拘束が解けず助けに入るのは難しそうだ。

 千春がもたない。このままでは危ない。

 豊聡耳が言った。

 

「ハハハハッ……ハァ、ハァ、剣を抜いてくれ神使。仲間が千切れてしまうぞ?」

 

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