第45話 ミンナノ夢

 ――また、面倒そうなのが登場したぞ。

 片言で話しかけて来る大男を見るなり、鹿目征十郎しかめせいじゅうろうはある程度の覚悟を決めた。勝手に物語に乱入して来た我儘わがままな者だ。強制的に取り除いて進むしかない。


 天女に探検家。

 法隆寺と夢違ゆめちがいという化け物が並んで立つと、違和感が半端ない。東院伽藍とういんがらんと呼ばれていた場所は、訳の分からぬテイストになってしまった。収拾がつかない多国籍模様だ。

 そんな事は一つもお構いなしに、法隆寺が鹿目たちを見詰めたまま赤い口を開いた。


夢違ゆめちがい。こやつらの用は済んだ。はよ、片付けておしまい」


 言われた夢違は、法隆寺を見下ろした。


「カシコマリマシタ。アノ……オネガイガアルノデスガ、ヨロシイデスカ?」


「何じゃ? 言え」


「ヒトリデイイノデ、モラエマセンカ?」


「また遊ぶのか? いいかげんにしろ」


「シンカクをシトメマシタ。ご褒美をイタダイテモイイノデハ?」


「ふん。……分かった。早く済ませろ」


「アリガトウゴザイマス」


 ――と、

 パイプを咥えた大男が消えた。

 片言で喋っていた探検家が、鹿目がまばたきをした隙に消えた。画面が切り替わったように居なくなり、法隆寺という性悪女だけになった。お前も消えろと、鹿目は少しだけだが期待した。


「おや? 雪丸や武くんはどこに行った?」


「え? ほんまや! 消えてもうた!」


 状況確認の為に振り向くと、こちらのメンバーにも、欠員が出ていた。霊獣の雪丸と、中年男である武くんが、忽然こつぜんと姿を消した。鹿目と千春だけが取り残されている。キョロキョロ首を振っても、見えるのは夢殿の残骸だけである。

 一難去ってまた一難だと、鹿目は嫌気がさして来た。


「まあ、いい千春。今は前に集中するぞ。大丈夫か? まだやれるか?」


 縄に引かれた跡は痛まないだろうか。鹿目は気にかけたが、意外と平気そうな返事があった。 


「大丈夫。でも、弾がもう切れそうや」


「了解だ。絶対アイツには近づくなよ」


 千春は猟銃を持っている。散弾銃だ。鹿や猪を狩るために、猟友会が所有していた物で、点でい抜くというよりも、面で潰すといった銃だ。乱戦になった場合、巻き込まれないよう、その攻撃範囲に気をつけなくてはいけない。


 鹿目が法隆寺を注視すると、先程と打って変わって、どこか虚ろだった。魂が抜けて、抜け殻だけが立っているようだった。


「ああ……呼ばれて目が覚める……。暗い暗い闇の底で目覚める。だが、誰もいない。……父や母などはおらず、……いつの間にか、妾はそこにいた……」


 ブツブツと法隆寺が呟いている。

 安い幽霊屋敷のキャストに出くわしたようだ。若草色の羽衣が、背景に溶け込むように曖昧に見えて、なんとも頼りない。


「呼ぶ声は唐突に、人間を殺せと命令してくる……。何故だ? と尋ねると声は黙った。……だけどもだ、……答えを待っている内に、化け物どもは気付くのだ。それは衝動だと。自分の内なる声だったのだと。下等な人間は、当たり前のように土地をけがし使い捨てる。うじのようにたかってから捨てる。……奪わずにいられない。……取り返さずにはいられない」


 次に法隆寺は、劇場で観る悲劇の主人公のようになった。溢れんばかりの想いを、その体躯で表現しようとしている。忙しいことだ。


「そうすれば、ついに明けない闇が訪れることだろう。そこは安寧あんねいに満たされている。……クククッ。簡単だ。人間を殺すだけでいい。これにあらがう事は難しく、従わざるをえない。……つまり妾は、不確かで自由がない」


 何を言っているんだ?

 鹿目は、化け物の戯言ざれごとに付き合ってやるほど、お人好しではない。消えた面子が、段々と心配になってくる。武くんと雪丸が一緒にいれば、まだ、安心出来るのだが……。

 鹿目は、少しイラついて言った。


「フンッ。ただの妄想癖を、それっぽく言いやがって、お前にも事情があると言いたげだな。さっきまでの邪悪はどうした? 日本国中、皆殺しにしたツケは、俺が回収してやるぞ!」


「それは、豊聡耳トヨサトミミの仕業だと言った」


「お前が仕向けたんだ。お前のせいだよ」


「クククッ……。やはり神使とは話が合わぬ。まあ、よいわ。この国はいただく。魑魅魍魎ちみもうりょう跋扈ばっこする闇の方が心地よい。人よ、もう退しりぞけ」


 法隆寺が、そう言い終わるのが合図だったように、鹿目は懐から、細長い両刃のナイフを取り出した。肘から先だけを素早く九十度動かすと、一筋の線になって法隆寺の眉間に向かって飛んだ。


 だが、ナイフは途中で失速し地面に落ちる。銀色に鈍い光を放っていたが、赤黒く変色した後に、土くれのようになって崩れた。


「くそ! 無敵かよ! 全部崩れていくぞ!」


 鹿目は、雪丸の言葉を思い出す。

 法隆寺は時間を操る化け物に違いないと。その理屈だと、刃物が塵になるまで、一体何年、時間を進めているのだろうか。ナイフが到達する僅かな間に、そんなことが可能なのだろうか。


「とにかく攻撃だ! 千春! ぶちかませ!」


「了解や! くたばれ化け物!」


 千春は構えて、引き金を引こうとした。法隆寺まで遮蔽物はなく、十メートルほどの距離だ。命中させる自信があった。

 だが、ふいに視界が塞がれた。

 黒い何かが通り過ぎていったような感じだ。その一瞬の内に、目の前に居たはずの法隆寺が掻き消えてしまっていた。


 千春は、引き金にかかった指を離す。思わず銃口を下げて、目蓋まぶたを腕でゴシゴシと拭った。


「神使! アイツどっか行ったで! てっ……あれ?」


 神使もいない。

 ここは回廊に囲まれている。夢殿は崩れてしまったので、敷地を隅々まで確認できる。誰も見付ける事が出来なかった。


「ちょっと! 悪ふざけせんといて! 早く出てきて神使! 私、怖いよ!」


 千春は大声で叫ぶ。

 後ろに誰かが立っているような気がして、何度も振り向き、その場でくるくると回った。正気が吹き飛んでしまいそうになる。何回、挙動不審者のように振り向いたであろう。その何回目かに、視界は分厚い胸板に塞がれた。

 目の前に立っているのは、白人の男で、髭を蓄えた口にパイプを咥えている。パイプから白い煙が輪っかを作りながら立ち上って、やたらとヤニ臭い。探検家のような格好をしていた。


 千春は驚いて、ひきつった悲鳴を漏らす。一番最初に消えた男だと思った。化け物の仲間だ。すぐさま、男の間合いから逃れて、銃で狙わないといけない。


「ハロ~。ハロ~。ドウシマシタ? ヤット二人キリデスネ。トッテモウレシイ」


 男が手を伸ばしてくる。「触るな!」と千春は叫んで、後ろに跳んだ。


「ネガイヲカナエマスヨ。サア、ドウゾ。オシエテクダサイ。サア、ドウゾ」


「何言うてんねん! 私の願いやと! それは、お前らを退治することや!」


 千春は目線に銃を構えた。

 震える指で、今度こそ引き金を引く。弾が発射された時、一瞬だが千春は目をつぶった。コンマ何秒かの視界の遮断だ。だが、その刹那に、またしても異変が起こる。視界を取り戻した時、男を挟むようにして、若い女が二人立っていた。

 どこから来たのか、突然に現れた。

 二人とも千春に似ていた。

 優しい面持ちで、千春の方を見ている。

 千春は愕然がくぜんとした。と同時に、こらえ切れない熱いものが込み上げて来た。まるで、お菓子の材料を掻き回したように、感情がぐちゃぐちゃになっていく。


「そ、そんな! 菜月お姉ちゃん! スミレお姉ちゃん! なんでここにおんの!?」


 千春は力が抜けて、砂利に膝を立てた。発射したての猟銃は、男に命中したのかどうかも分からない。いつの間にか地面に落ちている。

 

 ――嘘! 嘘! これは夢だ。

 ――会いたくて会いたくて、仕方のなかった姉がいる。

 

 ……夢なら永遠に覚めないで。

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