第6話 ご利益

 吉田寺きちでんじは、別名ぽっくり寺。

 まいると、無病息災、極楽往生のご利益りやくがあるとされている。つまりそれは、こういう事かと鹿目征十郎しかめせいじゅうろうは推測する。

 ――無病息災。

 出血や毒などの持続ダメージ及びステータスダウンなどのデバフ効果を一切受け付けない。

 ――極楽往生。

 一撃で相手を天国に送ってしまう即死級の攻撃。


 鹿目の経験上、化け物は擬人化した際に、とり憑いた物の特色を強く残す。吉田寺が鹿目の推測通り、無病息災と極楽往生を使うなら、かなりの強敵になると思われた。


 木魚群の向こうにいる吉田寺は、蓮華座の上に立ち尽くしていた。

 身体の周りに薄っすらと炎のような物が見えるのは、おそらく闘気の流れだろう。

 鹿目は、引き返そうかと後ろを向くが、千春と目が合ってすぐに振り返る。

 ――おお、そうだった。

 どっちみち吉田寺を倒さないと、極楽橋を渡れないのだ。


 しょうもない閃きに鹿目が手を、ポンっと打っていると、痺れを切らした吉田寺が、黒の法衣をはためかせて空中に浮かんだ。

 千春にそっくりな顔を向けると、木魚の大群を一瞬で飛び越えて、鹿目の眼前に着地した。唐突に右のてのひらで、鹿目のレインコートを触ろうとしてくる。

 鹿目は懐から取り出した包丁の腹で、吉田寺の掌を受けた。

 途端に包丁が砂のような粒子になり、柄の部分以外崩れ去ってしまう。

 ――極楽往生だ。

 と鹿目は思った。


 地面を蹴って、鹿目は後方に飛び退く。賢い千春は、木の陰にさっさと身を隠していた。


「その右手で触れたものは、何でも砂になるのかな? なるほど、おはしは左で持つんだな!」


 鹿目は挑発する。

 レインコートを勢いよくわけて、胸の辺りをまさぐった。何かを見つけて取り出すと、鈍い光を放つ円盤状のノコギリだった。巨大な工作機械から、刃だけを取り外したようである。その無骨な物体を、いきなり水平に投げつけた。

 短い距離ではあるが、吉田寺は、超人的な反応を見せて上半身をずらす。が、少しかわし損ねて、薄くて短い赤い線が、可愛らしい顔の頬に残った。そこから発火する。

 火は顔面を駆け巡るが、すぐに鎮火した。

 吉田寺は、平然としている。

 頬に付いた切り傷もない。

 ――無病息災だ。

 と鹿目は思った。


「ストップ! ストップ! スト――ップだ!」


 大袈裟に両手を空に掲げて、鹿目は戦う意思が無くなったことを吉田寺に伝える。膝を曲げて力を溜めていた吉田寺は、何事かと慌てふためく男を見た。


「千春ちゃん。これ無理だわ。こんな化け物は倒せないよ」


 後方の太いクヌギの木に向けて鹿目が話しかけると、陰から千春が出てきた。


「はぁ~? 何言うてんの! さっきは任しとけって言ったやんか! あんたそれでも神使しんしか!」


 千春は膨れっ面だ。


「だって、こいつ、きっと不死身なんだもん。こんなん倒すなら、もっと格の高い神使を集めて、三日はかかると思うんだ」


「なんやそれ! 一番上のお姉ちゃんに言いつけるで!」


「ええええ! それは勘弁してくれ」


 鹿目は頭を掻いた。

 良い言い訳が思い付かない。またお玉で殴られてしまうのか。

 吉田寺の方に向き直ると、吉田寺は明後日の方向を見ていた。睨むと言ってもいいような、強い眼差しを向ける先には多宝塔が建っている。

 突如、多宝塔が真ん中から折れた。

 屋根の上に設置されていた円筒状の塔身が激しい音を立てながら土を掘る。そのままの姿勢で今度は捻れた。巨大な建物が暴れまくり、周辺の木々や鐘楼を破壊した。やがて多宝塔の輪郭が急速にぼやけていき、ボロを纏った老人の姿になった。

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