第5話 吉田寺の化け物

 端末に表示された写真には、吉田寺きちでんじの本堂を正面に見据えて、右側には多宝塔が建っている。多宝塔とは五重の塔の二階建てバージョンだと解釈すればイメージしやすい。だが、このような解釈は大いに間違っていると各方面から激しい突っ込みが入るだろう。別に構わない。


 なぜ、本堂ではなく多宝塔の説明が先なのかといえば、本堂がどこにも見当たらないからだ。

 県下最大の阿弥陀如来が鎮座する本堂が、目の前に現れるはずだった。なのに無かった。

 代わりと言っては何だが、本堂の跡地のような雰囲気の場所に、木魚が数十個、座布団ざぶとん状の台に載せられて縦横に整列していた。つい先ほどまで、何人もの僧侶がその前に座り、木魚を鳴らしながら経をあげていたかのようだ。

 奇妙な感覚の中、木魚群の奥に、はすの形をした蓮華座れんげざの上で、女が一人、胡座あぐらを組んで座っていた。


 吉田寺の本堂が擬人化した、化け物で間違いないだろう。

 曇天の下で、異様な空気を纏っている。


 女は、鹿目征十郎しかめせいじゅうろうと、その後ろを歩く千春を見とめて蓮華座の上に立った。黒い法衣を着ており、首に大きな数珠を巻いている。

 白い顔が、千春とそっくりだった。

 十年後の千春を見ているような錯覚がした。


「千春。神使しんしを連れて来たのか? 駄目じゃないか」


 低い声が、境内を取り囲む木々に反射して響き渡る。姿形は女だが、声は男のものだった。


「うるさいわ! お姉ちゃんを、はよ返して!」


 千春は鹿目の後ろから顔だけを出して、勢いよく啖呵をきった。

 化け物相手に見上げた度胸だが、会話の内容が気にかかる。


「ちょ、ちょっとタンマ」


 まるで、姉妹喧嘩きょうだいげんかを始めた二人に、鹿目は割って入った。どうやら両者の間には、複雑な事情があるようだ。

 鹿目は五歳だという千春を無造作に左脇に抱える。バタバタと足をバタつかせて抵抗するが、千春は驚くほど軽かった。ついで鹿目は吉田寺に謝るような仕草をした。


「ちょっと作戦タイム。すぐ戻るから待っててくれよな~」


 鹿目はそう吐き捨てると、反転して駆けだした。

 吉田寺が追いかけてくる気配はなかった。極楽橋から先へは逃げられないと確信しているからだろう。その橋の手前で千春を地面に降ろすと、鹿目は屈んで千春の目を見た。

 

「人が悪いな千春ちゃん。隠してるなら全部いいなよ。お姉ちゃんがどうしたの?」


 まっすぐに鹿目を見詰め返す瞳に涙が溢れた。


「あの化け物が、お姉ちゃんを喰いよったんや」


「え? どういうこと? お姉ちゃんラーメン作ってたけど?」


「違う違う。真ん中のお姉ちゃん。学校の帰り道に、あいつがお姉ちゃんを喰いよった」


「なるほど、なるほど。三姉妹か」


 それから千春は、達者な口振りで事の顛末を教えてくれた。

 次女のスミレは、十六歳で陸上部、短距離のエースだったらしい。近々全国大会に出場する事となったので、遅くまで学校に残って練習していた帰りに襲われた。

 それが二週間前、奈良の魔都化が始まった頃だ。

 スミレは魔都化の第一の被害者になってしまったと言っても過言はないだろう。ラーメン屋の常連が、その事を一番上の姉ちゃんに伝えた。それから一週間後に、スミレの姿をした吉田寺が、今度は千春を拐いに来たのだ。


「あいつ時々、お姉ちゃんみたいに喋りよる。でも違う。あいつお姉ちゃんじゃない。あいつ何でお姉ちゃんの格好してるん? なんでお姉ちゃんしか知らない事、知ってるん?」


「う――ん。そういう事も、たまにあるかな」


 千春が鹿目にすがりついてきた。


 吉田寺に取り憑いた化け物は、元々は違う姿形をしていたはずだ。多いのは取り憑いた先に由来する何かに沿って擬人化するパターンだ。化け物どもには、容姿に関するこだわりなど無く、始めに感じた直感にしたがって擬人化する。

 だが、そこに強い想いを持った魂が加われば、そちらに引っ張られる事は有るかも知れない。

 全国大会を目指して頑張っていたスミレは、無念の塊だったのではないかと推測できる。また、千春を拐ったのも、妹への愛慕によるものだ。どうやら吉田寺は、喰らったスミレと同化してしまっている。


 暫く鹿目は考えて、泣いている千春の頭を撫でる。

 こんな事は、ここ数年したことが無かったのでぎこちない。


「……千春ちゃん。お姉ちゃんは、もう居ないんだ。あれは吉田寺という化け物で、化け物がお姉ちゃんの真似をしているだけなんだ。分かるかな?」


「……うん」


「俺はあいつをやっつけて、真似するのを止めさせる。それでいい?」


「……うん。お姉ちゃんの真似すんの止めさせて」

 

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