第4話 極楽橋

 鹿目征十郎しかめせいじゅうろうは、ある機関に仕える人間だ。

 宮内庁の管轄下であるその機関は、神鹿シンロク機関と呼称されており、化け物専用の戦闘要員・神使しんしを、常に数十名ようしている。

 魔都化が起こらない限りは暇な職場で、人々から存在さえも忘れられる。

 歴史をさかのぼれば、古くは古事記が編纂へんさんされる頃から、化け物どもとやり合って来た組織の成れの果てだが、そんな事は、今の時代、誰も気にする者はいなかった。


 魔都化に耐性があり、尚且つ神々と接続リンクできた鹿目は、高校卒業と同時に神使しんしの訓練場に放り込まれた。本人の意思など関係ない。

 全てを捨てて新しい人生を歩むよう強要された。

 晴れて二年後に神使の資格を得ることに成功したが、もちろんそれは、望んだ未来ではなかった。やれる人間が少ないから、引き受けただけだ。


 そして今は奈良にいる。

 何もしなければ、一か月もしない内に魔都と化すだろう。

 食っては寝るを繰り返していた平和な昔が懐かしいが、働かなくてはいけない。

 順番が回って来たのだ。


 鹿目征十郎しかめせいじゅうろうは、吉田寺きちでんじの駐車場に車を停めて歩いていた。エンジンを切った際に、ボンネットから大量の煙が出たのを気にしている。帰りは歩きかも知れないと。


 駐車場の隣には鬱蒼うっそうとした森があるが、森の輪郭をなぞるように石畳の道が奥へと続いていた。薄暗く先が見えない。

 鹿目はため息をつくと、端末を取り出して吉田寺と入力する。もちろん、歩くのを止めて道の端で立っている。

 鹿目征十郎は、軽薄だが、歩きスマホはしない男だ。


「無病息災、極楽往生ですか。苦しまずにみんな、死にたいもんね~。故にぽっくり、ぽっくり寺かぁ~」


 端末に映る文字を読みながら、鹿目は、ありがてぇ、ありがてぇと言いながら笑い出した。薄暗い石畳の道に、鹿目の気味悪い声だけが反射する。

 笑いを引っ込めて歩き出すと、すぐに小さな女の子が立っているのが見えた。体操着を着ている。女の子は、鹿目を見つけるや、慌てた声を出した。


「何してんの! こっちに来たらあかんで!」


 ちっちゃいのに、達者にしゃべる女の子だと鹿目は思った。


「ひょっとして千春ちゃんかな? よかったよかった! 滅茶苦茶元気そうじゃん」


 ラーメン屋の女店主に確かによく似ている。

 森に飲まれそうな寺の入り口付近で、顔も服も泥だらけだが力強く立っていた。


「さあ、帰ろうか。お姉ちゃんが心配してるよん~」


 鹿目が一歩踏み出すと、千春は大きな声をだして、それを制止した。


「アカン言うてるやろ! この橋渡ったらアカンで!」


「は、橋って……」


 見渡しても、橋なんかどこにもなかった。なのに女の子は、鹿目が橋を渡ろうとするのを必死に止めている。


 石畳の端に、石の杭が刺してあって、文字が彫られていた。極楽橋。


「ん? まさか、この短いのが橋なのか」


 そう言いながら、鹿目は、千春という女の子に手が届きそうな位置にまで来た。

 千春は鹿目の足元を注視している。だから鹿目も同じ所を見てみる。

 そこに一メートルにも満たない、小さな石のアーチがかけられてあった。


「この橋渡ったらな、もう帰れへんねん。お兄さん、絶対こっちに来たらアカンで」


「なるほど、なるほど。これが吉田寺が仕掛ける最初の罠なのか」


 ひょいっと鹿目は、一足で橋をまたいでしまう。

 千春は驚きすぎて、口を大きく開けたが声は出せなかった。


「さてと、千春ちゃん。本堂まで案内してくれるかな? それともここで待ってるかい?」

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