第3話 ぽっくり寺

「私の妹がさらわれてん。兄ちゃん神使しんしや言うたな? 悪いけど助けてくれる?」


「俺、法隆寺ほうりゅうじ行かないといけない」


「寄り道や。ラーメンタダにしたる」


「券売機で、もうお金払っちゃったけど?」


「お金返したる。嬉しいやろ? やから妹助けに行ってくれる?」


「俺、法隆寺行かないといけない」


「なんや! ラーメンタダやで! それでもアカンのか!」


「アカンことは、ないけどもだな……」


 鹿目征十郎しかめせいじゅうろうは、興奮して唾を跳ばしている女店主の顔を見る。美人だと思う。活力に溢れている健康的な美人だ。

 およそ青白い顔をして、雨も降っていないのにレインコートを着ている奴なんかとは大違いだ。

 鹿目がなかなか首を縦に振らないので、女店主は痺れを切らして言った。


「それやったら、最初からバレへんようにしてくれる? ラーメン食って、そのまま帰ったら良かったやんか!」


 ――確かにその通り。


 耐え難い空腹だったのに、まさかの温かい食事にありつけて、鹿目のテンションが僅かながらも上がっていたのは間違いない。 

 奈良にやって来た理由を話したのは迂闊だった。と鹿目は思った。奈良は着くまでが楽しいのだ。懲りずにまた忘れていた。


「わかったよ。妹さんどこにいるの?」


 鹿目が折れると、女店主の表情は明るくなった。


「ぽっくり寺や」


「真面目に言ってくれるかな?」


「なんや! 私は真面目や! 吉田寺きちでんじのことや、別名ぽっくり寺。一週間前に吉田寺が人の形に化けてきよって、私の妹を連れていきよってん!」


 誘拐犯は化け物だと確定する。

 吉田寺を端末で調べてみると、法隆寺の南西一キロぐらいに位置していた。

 西に移動する分、法隆寺までのルートから外れてしまうが、引き受けてしまった以上、仕方がない。


「ラーメン喰いにくる奴に、片っ端からお願いしててん。ありがとうな。まさか神使さんが頼まれてくれるなんて、夢にも思ってなかったわ。私の足、鉄みたいやし、困り果てとってん」


 他人ひとには黙れと言っていたくせに、随分と饒舌じょうぜつに話す女店主に、鹿目は辟易へきへきした。

 さすがは関西。

 ずぶとさが東と、比べ物にならない。


「で? 妹さんの特徴は?」


 鹿目はカウンターに片肘を乗せて言った。腹も満たされて幸せな気分になるはずなのに、仕事が増えてしまって億劫であった。


「五歳や。目が大きくて、髪の毛は肩までで、私とそっくりの美人さんやな」


「ええええ! 妹さん、そんなに歳が離れているの? 五歳って小学生? いや、まだ幼稚園か?」


「幼稚園や」


「ま、マジかよぉ……」


 鹿目は頭を抱えた。

 磯臭い食べ物の次に、子供が苦手だった。嫌な予感がして鹿目は呟く。


「妹さん、もう生きてないんじゃ……」


 吉田寺に拐われたのは、一週間前だと女店主は言った。何の目的があって拉致っていったのかは分からないが、五歳の女の子がその期間、一人で生き抜ぬいているとは考えにくい。それに、近くには寺が擬人化した化け物がいるはずなのだ。仮に飢えや雨風に耐え忍んでいたとしても、やはり生存している確率は低い。


 鹿目が深刻な面持ちで俯いていると、頭頂部に激しい痛みを感じた。


「痛い痛い! 何をする!」


「しょうもない事言うなや! くそ神使! その雨ガッパはいで、簀巻すまきにするぞ!」


 頭を押さえて、鹿目が顔を上げると、スープを掻き回す巨大なお玉を振りかざして、女店主が立っていた。怒り心頭である。


「あの子はかしこくて、ええ子なんや。きっと自分で生き抜いとる。心配なってきたわ、はよ助けに行け神使!」


「ああ、もう! わかったよ! 行ってくる!」


 鹿目は転がり落ちそうな勢いで席を立つと、取るものも取らずに出入口の引戸を開けて外に出た。

 どんよりとした空が広がっていた。

 八月のお盆過ぎ。

 レインコート及び皮手袋で完全武装しているにもかかわらず、肌寒く思えたのは気のせいだろうか。

 

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