第16話
一時は翔太自身もその原因を自分の努力不足として、生きる態度を改めようとしていた。
でも……本当にそうなのだろうか?人は自分の努力で自分の生き方を決められるのだろうか?
もちろん「そうである!」と公式には言わなければならないのだろう。努力が意味のないものだということになってしまえば、人は努力をすることをやめ、社会は崩壊するだろう。
でも本当は皆知っているんだろう?持って産まれたものを覆せる可能性なんかないことを。
「何言ってる!沢山の人間が努力によって自らの人生を切り開いてきたじゃないか!怠慢を正当化するな!」と怒り出す人がいるかもしれないがその反論は的外れだ。
努力を続けられるのは、努力が意味のあるものだと思える資質と環境に恵まれた人間だけだ。
未だに世の中には成功者の言説ばかりが溢れている。
あの小綺麗なヒステリー母親もそうだ。自分では「努力で美貌とコミュニケーション能力を磨き上げて、小金持ちのマダムに収まっている。旦那を選ぶのにも凄く慎重になったし、家事と子育てがどれほど大変なことか!」と言い張るのだろう。でもそんなのは結局、生まれた時からの容姿と環境に恵まれていたからに他ならない。
若リーマンもそうだ。「一流商社に入りそこで闘って行くのことにどれだけ努力が必要だと思っているんだ!」と言い張るかもしれないが、勉強にスポーツに遊びに……と動けたのはバイタリティとそれぞれの方面の資質に恵まれて生まれただけの幸運だろう。仮にこれから俺がどれだけの努力をしたとしても、生きている限りアイツとの差は広がるばかりだろう。せめてアイツを殺させて欲しかった。それすらもこの世界は許してくれないのか?
あと苛立った声で俺を注意してきた鉄道職員、お前もだ。鉄道会社なんてのは安定した大手企業の代表格だ。その上奴らの業務は公共性が高いものだから、自分の仕事を正義の執行とでも思ってやがる。お前も単に幸運によってその立場を手にしていることを忘れるんじゃないぞ。
それに対して俺はどうだ?身体的には恵まれているかもしれない。健康で運動能力もそこそこ。でも特別恵まれているわけではない。不規則な勤務体系が気にならないほど頑健ではないし、何かのスポーツでスカウトされたほど運動能力が高いわけでもない。
容姿は平凡だろう。子供の頃「可愛い」と言われたのは子供だったからだ。普通の付き合いを敬遠されるほど不細工だったわけではないが、何もしなくても女性が寄ってくるほどの容姿ではない。それに歳を重ねるほどに不幸が顔に出てきているようだ。これでは接した人に良い印象を与えるのは難しいだろう。さっきの面接でも俺の容姿が違っていれば面接官の印象も違っていただろう。
そうした平均的なものを全て吹き飛ばすほどの不幸を、俺は生まれた時から背負わされてきたのだ。言うまでもなく母親のやっていた宗教だ。当時はそれ以外の世界を持たないから何とも思わなかったが、今思えば狂気以外の何物でもない。
現代日本には珍しく厳格な宗教で、週に三回の集会と毎日の奉仕活動を強いられたし、それ以外にも生活の全ての場面で「神に使える者として相応しいか?」を問われた。母親が相応しくないと判断すれば容赦なくムチが飛んできた。ゴムホースだったり、革のベルトという文字通りのムチで裸の尻を叩かれる。それを二、三歳の子供の頃からやるのだ。当然全ての行動は母親の顔色を窺いながらしか出来なくなるし、自分のしたいことなんか生じてくるわけもなく年齢だけを重ねていった。
小学校に上がり同年代の普通の子たちと接してゆくうちにすぐに自分の所属している宗教組織の異常さには気付いたし、抜けたいという思いは芽生えたが、実際に抜けられたのは高校生になってからだった。そう出来たのは自分に授けられた僅かな幸運だったと思う。こんな異常な環境で育った人間と普通に接してくれた一人の友人の存在が大きかったのは間違いない。……彼とも上京をきっかけに疎遠になってしまったが。
だがそれで万事解決ではない。「三つ子の魂百までも」と言う。幼少期に歪められて育ってきた人間が、その後真っ直ぐに成長してゆくと思うだろうか?しかも唯一の肉親である母親は依然として……いや翔太が抜けたことをきっかけに、より信仰を強固なものとしてしているのだ。母親に何かを相談することなど考えられるわけはなかった。
組織を抜けた高二の夏から高校卒業までの間に考えていたことは、どうやって家を出てゆくか、それだけであった。多くの高校生が考えている、遊びのこと、恋愛のこと、将来の展望だとか……そういったものは翔太にとって現実的な問題ではなかった。ただ「母親と離れて独り暮らしを始めれば自由になれる!」と本気で思っていた。でも自由になるというのはそんなに簡単でなかった。そう気付いたのは最近になってからであった。
むしろあの宗教を抜けなかった方が良かったんじゃないだろうか?落ち込んでいる時期は本気でそう思ったこともあった。外の世界は薄情ではあるが、割と自由で(一見)公平な世界だ。こんな世界を知らず狭い馴れ合いの宗教組織の中だけで生きていれば、自分の惨めさを目の当たりにすることもなかったのではないか?……と。
それでも……宗教という虚偽の世界で生きるよりは、辛く惨めでも嘘のない世界で生きてゆくことの方が価値のあることなんだ。と自分に言い聞かせてなんとかやってきた。自分で言うのも何だが、俺はハンデを背負っても懸命に生きてきた方だろう。
それなのに……この世界は俺に何一つ生きるに値すると思わせるだけの幸運をもたらさなかった。むしろ不幸ばかりをもたらしてきた。ならば、それなりの態度でこの世界に報いてやりたかった。今はそれすらも叶わなかったのだ。
惨めさと怒りで狂いそうだったが、何とか翔太は帰宅した。
今日は本当に酷い日だった。
(……俺はあとどれくらい生きるのだろうか?)
ふとそんな方向に思考は飛んだ。翔太にとって生きることとは辛く苦しいことだ。楽しいこと気持ち良いことが一だとしたら、辛いこと惨めなこと苦しいことはその百倍はある。
(……だが、負けてたまるか!)
今の翔太を支えているのは反骨心だけだった。
宗教組織のもとで育てられた翔太だったが、小学校に上がり様々な情報が入ってくるようになると「神様なんか存在しない」と確信した。
だけど、年月を経て依然として苦しい状況が続くにつれ「もしかして神は存在するのかもしれない」と思う時がある。それは神という名の悪魔として、という意味でだ。
そんなものに負けを認めて自殺することだけは許せなかった。だから神という概念は今の翔太を支えているとも言えるのかもしれない。
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