第13話

 翌朝は六時に起きた。朝型のリズムには慣れず夜中に何度も目が覚めたが、目覚めは良かった。母親はまだ寝ていたので起こさぬようにそっと家を出た。

 電車に乗ってから母親にはメールで謝意を伝えておいた。母親といえど結局は他人なんだということが理解出来ただけでも、帰省してきた意味はあったのだろう。


(その他人に俺の人生は決められてきたんじゃないのか?)

 ふと芽生えた疑問に全力でフタをして別のことに意識を向ける。これからの仕事をどうするか、それ以上に重要なことなど今は無い。何度も見た求人サイトをもう一度開く。

 幾つか目星を付けていた求人を再度確認する。

 あまりピンと来る求人はなかったが、そう言っていられる状況ではなくなった。とりあえあず何でも良いので職にありつかなければならない。

 帰省する際の道のりは懐かしい気持ちが強かったが、東京に戻ってくる道のりは焦りの気持ちばかりが強かった。節約のために帰りも在来線を利用したが、さすがに新幹線を使うべきだったかもしれないと思った。

 だがまたすぐに翔太は気持ちを切り替えた。もう以前の後ろ向きな自分とは違う。焦る気持ちが出ているのは、これからの人生に対して真剣に向き合おうという気持ちが芽生えてきたからでもあるのだ。課題を立て、一つずつクリアしてゆけば良い。  

 こんな焦る気持ちもいずれ懐かしいものになってしまうかもしれないのだ。これも楽しめば良い。何度もそう自分に言い聞かせた。


 ふとスマホが着信を告げた。

 見覚えの無い番号からだったが、見当は付いていた。

「はい。大橋です!……はい、大丈夫です。明日の十三時ですね!……はい、よろしくお願いします!」

 先程求人募集サイトから応募した会社だ。明日の十三時から面接が決まった。   

 電話の感じだとかなり自分に期待している様子だった。明日すぐに面接というのも会社側はよっぽど人が足りなくて切迫した状況なのかもしれない。

 だが期待し過ぎて良いことは一つもない。さんざん今まで経験して学んだことだ。ここから二、三十回面接を受けて決まればラッキーくらいに考えて臨むべきだろう。




「大橋翔太さんですね、それではよろしくお願いします」

「はい!よろしくお願いします!」

 次の日、東京に戻ってきた翔太は予定通り面接に臨んでいた。今回はビル清掃の会社だった。

 昨日も自分に念を押した通り過剰な期待はしていないつもりだが、目星を付けている中では割と好条件であり、この仕事に決まれば良い……という思いは強かった。 

 この仕事を選んだ理由は前職の工場からの反省点を踏まえて幾つかある。

 まずは安定した昼間の勤務であること。残業は多少あるそうだが、八時から十七時が定時というのは良い条件に思えた。休みは不定期で月に八日程度だそうだが翔太にとって何ら問題ない。

 仕事内容に関しては経験がないのでやってみないと何とも言えないが、給与や人間関係などの判断材料として会社の規模というのは重要な面だった。前の工場のような家族経営に近い会社では、アットホームの名のもとに搾取される可能性が高いと翔太は考えた。人間関係も狭いものになる分、上手く馴染めた場合は良いがそうでない場合は逃げ場がなくなる。大きな会社の方がそうした点で働きやすい可能性が高いと考えたのだった。

「前職は何をされていたんですか?」

「はい。印刷の工場で働いておりました」

 面接官は四十代後半くらいだろうか?課長だと名乗った。痩せ型で鋭い目付きをしており、いかにも切れ者という印象だ。

 一通りの挨拶と自己紹介が済むと、履歴書をもとに翔太の経歴を確認してゆく運びとなった。

「前職をなぜ辞めたのか」という問いに、もっともらしい嘘をつくのも面倒で翔太は正直に答えた。

 昼夜の交代制勤務に体が慣れなかったこと、歳の離れたおじさんたちとはあまり上手く関係を築けなかったこと、仕事自体に対してのモチベーションを保てなかったことなども全て正直に話した。

 一通り前職に関して説明したところ、切れ者課長は「なるほど、そうでしたか」とさして興味もなさそうに相槌を打つと、現在募集している職の業務内容について説明を始めた。

(これは……さして前歴は問わないということか?)

 翔太は判断に迷ったが、迷ってもしょうがないことは明らかなので、面接官の業務の説明に集中した。

 業務はビルの清掃全般で多岐に渡るとのことだ。モップを握ったこともない未経験者からでも構わないが、ゆくゆくは責任者として現場をまとめる立場になっていって欲しい、というのが社員として採用する条件だそうだ。

「どうですか?やっていけそうだと思いますか?」

 初めて切れ者課長が翔太を見て微笑んだ。

「あ、はい!是非頑張りたいです」

 ここが好機とばかりに翔太は反射的に返事をしていたが、それを受けた切れ者課長の表情は複雑なものだった。

「……大橋さん、そう慌てなくても良いですよ。なぜやっていけそうと思ったのですか?」

「……え?と言いますと?」

 切れ者課長は眼鏡をわざとらしく直すと翔太に向き直った。

「正直言って……大橋さんはウチが求める人材ではないんですよね。いや、ウチだけじゃなくて多くの会社でそうだと思いますよ」

 言われた言葉の意味がはっきりとは分からなかったが、翔太は目の前が真っ暗になりかけた。

「大橋さん、この半年で辞めた工場の前はフリーターだったってことですよね?二十六才で初めてちゃんと就職したのに、それを簡単に辞めるなんて……悪いけどどうかしてますよ?」

 翔太が言い返せないでいると調子付いてきたのか、なおも彼は続けた。

「人間関係の面でも上手くいかなかった、と言っていましたけど……あなたの方から歩み寄る努力はしたんですか?あるいはコミュニケーションが下手でも、仕事を一生懸命に覚えようとしていたなら先輩方もあなたを放ってはおかなかったんじゃないですか?少なくとも私が先輩なら頑張っている後輩に対しては優しく接しますよ」

「この短い時間接しただけでも、あなたという人間は伝わるものです。……キツい言い方かもしれませんが、頑張らないとこれから厳しいんじゃないでしょうかね?」 




 半ば茫然自失の内に面接は終わった。



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