第12話

 懐かしい街だった。だがさして面白味のある街ではない。

 地方の大都市のベッドタウンとして人口はそこそこあるが、翔太が生まれ育ったのは団地ばかりが立ち並ぶ地区だった。団地も今はゴーストタウン化が進み、治安や高齢化などが問題になっているようだ。


 翔太は懐かしいショッピングモールに入った。車社会の地方では駅よりもショッピングモールが街の中心となるということが、ままある。ショッピングモールの雰囲気も昔と比べると変わったように思う。昔は商店街の個人店がそのまま入っただけ、という店が多かったが今ではほとんどがチェーン店だ。並んでいる商品も従業員も東京と変わらないように思う。

(……やばいな、何とかして切り出さないとな)

 ついつい母親のペースに巻き込まれてしまったが、わざわざ時間と金を掛けて帰省してきたのはアパートの更新料を引き出すためであり、過去を懐かしんだり、母親との関係性を確認して苛立ちを増幅させるためではない。


 ショッピングモールを一通りぶらっと回って帰宅すると夕食が用意されていた。「お帰り、どうだった?この辺も結構変わったでしょ?」

「ああ、そうだね……」

 食卓には餃子に鶏の唐揚げなど翔太の好物ばかりが並んでいた。

 時刻は十八時を少し回ったばかりで翔太はほとんど腹が減ってはいなかったが、母親と夕食を共にすることにした。

「どう?久しぶりの我が家の味は?」

「ああ、美味いよ」

 翔太はぶっきらぼうに答えたが、懐かしい味に涙が出そうだった。味覚と共に子供の頃の様々な記憶が蘇ってきた。

 しばらくは夢中で飯を掻き込んだ。美味かったから……というよりも、この状態で何か母親に優しい言葉でもかけられたら本当に泣いてしまいそうだったからだ。

 母親も思ったよりもしっかりと食べていた。五十代女性の食事量なんて雀の涙くらいかと思っていたが、翔太の三分の二くらいは食べていた。


 やがて食事も終わり一息吐いたところで母親は洗い物を始めた。

(よし、今だ!)

 ここで切り出さなければならない。きっかけの言葉は何だって良い。

「あのさ……ずっと宗教を続けてくわけ?」

 思わず出てきた言葉は「八万円貸してくれ!出来れば息子の為に恵んでくれ!」という単刀直入なものではなかった。まあここから話をそっちに持ってゆくことは出来るだろう。

「うん?私?……そりゃあそうよ。他の生き方なんて今さら出来るわけないわよ」 

 信条に疑問を投げ掛けるとも捉えられる質問だったから、もっとムキになるかと思ったが母親は笑っていた。

「それじゃあ生活の全てをそこに注ぎ込むって感じ?」

「そうね。他に何もないし、これが真実だからね」

 母親の口調は混じりっ気のない確信の言葉だった。

 その答えを聞いて子供の頃の母親を思い出した。翔太が少しでも宣教活動に出掛けることを嫌がったり、集会で居眠りをしようものならゴムホースの鞭で尻を叩かれたものだ。

 明らかに見た目も老け、口調も柔らかくなっているから、昔ほどの情熱をもって宗教には臨んでいないのかと思っていたが全然そんなことはないようだ。


「何?何か悩んでるの??何でも話してみなさい!」

 洗い物の終わった母親が再び食卓に着き、翔太と向かい合った。

「……いや、別にそんなんじゃないよ」

「ウソ、あなたが特に理由も無く帰ってくる訳ないわ。仕事も辞めたって言ってたじゃない?大丈夫なの?」

 翔太は一瞬のうちに思考が巡り、悩んだ。

 ここで全てを正直に話すことが果たして正しいのだろうか?

「いや、大丈夫だよ。貯金も結構あるし、次の仕事のアテもあるんだ」

 口から出てきたのは百パーセントの嘘だった。

「……本当に?まあ本当にどうしようもなくなったら言ってきなさい。親一人、子一人の唯一の家族なんだから。……それに、いつこっちに帰って来ても良いんだからね?」

「ああ、大丈夫だよ」

 地元に戻って来て生活するなんてことは到底考えられなかった。たった数時間過ごしただけで、もううんざりしていたのだ。

 母親は翔太の顔を真正面から見つめて次の言葉を紡いだ。

「……あなたは私の子供だけど、私にあなたの生き方を決めることは出来ないわ。神は人間に自由意思をお与えになられたのよ。私はあなたに戻ってきて欲しいと思っているけれど、それを決めるのはあなた自身だわ」

「ああ、分かってるよ」

 そこで母親はまたわざとらしくニコリと笑った。言うまでもなく母親の「戻ってきて欲しい」という言葉は地元にというよりも、宗教組織にという意味だ。

 もちろん、そんなことは死んでも有り得ない。

「……にしても、小さい頃翔太が『ボクがお母さんをずっと一緒に居て守る!』って言ってくれた時は嬉しかったなぁ」

「そんなこと言った?全然覚えがないんだけど……」

「本当に昔のことよ。パパと離婚して、私が泣いている時に翔太が不意に言ってくれたのよ……。それから少し経って神の教えに出会ったのよ。……まあ神を離れるのもあなたの自由だわ、好きに生きなさい。その先に待っているのは滅びだけど……」


 翔太は返答に困った。本当にどう反応したら良いのか、母親のことをどう思えば良いのかも分からなかった。

 母親が今も自分に対して愛情を持っているのは確かだろう。

 翔太も母親に対しての愛情が無い訳ではない。この人が自分の母親で良かったと思ったことは一度もないが、それでも唯一の母親だ。

 だけど……幼少期から育てられてきた長い時間よりも、離れて過ごしたこの数年間で心の距離は埋めがたく離れてしまったことは間違いない。同じ日本語を話していても、違う星の人間と話しているように話は交わらない。

「子供の頃に強制されていた宗教の影響で、辞めてから十年ほど経った二十六才の今でも苦しんでいる」という本音を彼女に伝えたところで、本当の意味では決して理解されないだろう。

 これ以上踏み込んでみたところで得るものは無くいたずらに傷付け合うだけだ。なるべくこれ以上深く関わらないことが、唯一の親孝行なんじゃないだろうか。

(長居すべきではない!明日の早朝に東京に戻ろう!)

 翔太は直感的にそう結論を出していた。

 八万円という金額は今の翔太から見れば大きな金額だが、一般的な社会人から見ればそう大きな額ではない。八万円を借りることはその金額以上に自分と母親の何かを失わせることだろう。ここさえ乗り切ってしまえば「あの頃は本当に金がなくてさぁ、親に金を借りに行ったんだけど、結局頭下げられなくて借りられなかったんだよ」と笑い話になることだろう。自分で何とかすれば良いだけの話だ。まだ本当に切羽詰まった状況というわけではない。


(まあこれを確認出来ただけでも、帰ってきた意味はあったな)

 無職となった今だからこそ、こうして自分が何者なのかを見つめ直すことが出来たわけだ。

 翔太の心は既に次に向かっていた。



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