第8話

 社長は悲しそうな目をしていた。

 その顔を見た時翔太に浮かんできたのは、この人の信頼を裏切ってしまった、という罪悪感だった。その感情が湧いてきた時点で、何としてでもこの職場に残ろう、という気持ちは失われていた。


「……大橋君、俺も個人的には君のことが好きだ。人との付き合いに不器用なところも、変に真面目なところも、どこか昔の自分を見ているようで放っておけない。……でも俺は社長として他の四十人の従業員を養っている立場でもある」

 社長はそう言うと一度言葉を切って翔太を見た。翔太に反論する余地は無い。

「今日は一時間半の遅刻だったそうだな。しかも酒臭いまま出勤してきたとか……。小さな会社とはいえ社長として、大橋君をそのままにしておいては他の社員に対して示しが付かないんだよ。……分かるだろ?」

「……はい」

 言い訳を色々しようと思っていたが、社長の諭すような口調に反論する気力は奪い取られた。もう駄目なんだとこの時悟った。

「大橋君はまだ若いんだし幾らでもやり直しは利くさ。自分に合った仕事を探して頑張っていけば良いじゃないか。やっぱり不規則な勤務が合わなかったんだろう?」

 よっぽど酷い顔をしていたのだろう。たった今解雇を宣告してきた社長に励まされてしまった。

「……そうですね、やはりそれは大きいと思います」

「大丈夫だよ。大橋君は仕事自体には真面目だし、体力もあるし、決して馬鹿じゃない。きっとうまく行くよ」

「……そうですかね?」

 翔太は曖昧にうなずいた。他にどんな反応が出来ただろうか?

 そこで社長の表情がまた変わった。いつもの穏やかな笑顔でも、さっきの経営者としての冷たい表情とも違う……少し後悔が混じった表情に見えた。

「……本当のこと言うとな、俺も若い頃は全然自慢できるような生き方をしてはこなかったんだ。俺、若い頃は結構不良でな暴走族みたいなこともしていたんだ」

「そうだったんですか?意外です」

 今の社長からは全く想像も出来ない。

「カミさんと二十歳の時に出会って子供が出来て『ここからは心機一転気合い入れてコイツらのために頑張ろう!』って誓ったよ。……でもな、そんな簡単に人は変われない。俺の場合どこに行っても仕事はそれなりに出来たんだけど人間関係が難しくてな……嫌がらせをされた腹いせにその先輩を殴ったてクビになった、ってことが二回あったな……」

 社長はそこで少し遠い目をした。

「不良自慢をするつもりは無いよ。そんなん一番ダサい。いや心機一転の一発で生き方変えられたんならまだ良いと思うけど、俺の場合はダサすぎる……」

 社長は自らの首を振って、やれやれと溜め息を吐いた。

「二回目にクビになって俺ははっきり気付いたんだ。『今まで不良やってたツケが回ってきてるんだ』って。俺に対して嫌がらせをしてきた先輩たちだって、誰に対してもそうしてきた訳じゃないだろう。じゃあ何故俺にはそんな態度なんだろうか?俺も先輩たちに接する態度には気を付けているつもりだったけど、結局言葉の端々や細かい態度に表れてたんだろうな。仕事の出来ない先輩を内心馬鹿にしていたのは事実だしな」

「そこからどうして社長は変われたんですか?」

 翔太はいつのまにか社長の話に引き込まれていた。

「どうしようもないよ。一つ一つ自分で変えてゆくしかない。小さな仕事にも注意を払って全力で取り組む、誰に対しても誠意を持って接する。……そう自分に言い聞かすしかない。もちろんそんな簡単には変えられない。何度も同じ失敗をしたし、そんな自分に苛立つこともしょっちゅうだった。……今もそうだよ。でも結局のところ未来の自分を救ってやれるのは今の自分の頑張りだけなんだ。俺はこの五十数年生きてきて間違いなくそう思えるよ」

「はい……はい!」

 あまりの説得力だった。

「もちろん大橋君もそうなんだよ。成功している人間はみんな必死で努力しているものなんだ。自分を変えられるのは自分だけだし、自分の人生に本気で味方になってくれるのも結局は自分だけなんだ。……なあ、今日が良いきっかけなんじゃないのか?ここから心を入れ換えて必死に生きてみようぜ!」

 翔太はもう声を出して返事をすることも出来ず、涙を流しながら大きく頷くだけだった。

「大橋君は若いんだし、すぐに良い職場が見つかるさ。次が決まったらまたここに顔出してくれよ、飯でも奢るよ!」

「はい。……そんな、僕なんかのために……ありがとうございます!」


 そこからは事務的な手続きに移った。退職届を書き、ロッカーを片付けた。

 ろくでもない職場だと思っていたが、いざ辞めるとなると半年間のことが色々と思い出された。嫌で嫌で仕方なかったはずなのに、今思い出されるのは不思議と優しくされたことばかりだった。

 なぜこの職場をこんな形で辞めなければならないのだろうか?答えは出ている。社長の言う通り、自分の生き方が甘かったのだろう。

 これからは心を入れ換えて頑張って行こう!今日という日を忘れないようにしよう! そう誓う翔太であった。



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