第4話

「あ、えーと……指名は無しでフリーで。あと、ネット割引っていうのが使えると思うんですけど……」

 口調は冷静さを保っていたが翔太の心臓は緊張でバクバクだった。

 対応してくれた男性スタッフは翔太のそんな態度に薄々気付いてはいたが、さして気にもせず淡々と注意事項を説明して店内へと案内してくれた。

 翔太は歌舞伎町にあるセクキャバに来ていた。古い言い方だとおっパブというやつだ。 

 実は今日が翔太の二十六才の誕生日なのだ。

 前述した通り翔太は童貞である。性交をしたことが無いのは勿論、女性と「付き合う」という関係になったこともない。手を繋いだことは小学生のフォークダンスの授業ではあるが、店員以外の女性と会話をしたのも中学生のころまで遡らねばならないだろう。

 つまりこのセクキャバへの来店は、二十六才の自分への誕生日プレゼントであると共に、新たな自分へと向かう挑戦でもあるのだった。今の職場に入って三ヶ月。辛いことは多々あるがとりあえずは辞めずに続けてこれた。それが小さな自信になっていた。この上昇気流に乗ってゆけば、もっともっと充実した人生を送っていけるに違いない。

 その次なる一歩としてセクキャバという場所はとても適したものに思えた。いきなり本番ありの風俗に行くのは怖いし何か違うけど、童貞コンプレックスを多少克服し女性に慣れておくには格好の場所だろう。そんな判断が翔太を後押ししたのだった。


(……いやまだかよ?まだ待たせるなんて、ヤバイ店なんじゃないのか?)

 入り口で料金の六千円を払ってから「こちらでお待ち下さい」と黒服が案内してくれた席に着き、もう10分が経った。

 やはり歌舞伎町になど来るべきではなかったのか?単に女性が来ないだけならまだしも、ボッタクリの店だったらどうしようか?財布には三万円が入っていたが、翔太にとってはこれがほぼ全財産なのだ。これを失っては来月までの二週間を無一文で過ごさなければならなくなる。

「こんばんは!お待たせしちゃってごめんね」

 それぞれの席を仕切る薄いカーテンが開きドレス姿の女性が入ってきた。

「あ、どうも。こんばんは……」

 現れた女性の美しさに翔太は息を呑んだ。

「失礼します。なつみと言います。名刺お渡ししても大丈夫ですか?」

「あ、はい……」

 隣に座った彼女の甘い香りにクラクラして、翔太は上の空で返事をしていた。置かれた名刺には店名と『夏海』という彼女の源氏名だけが書かれていた。

「結構飲まれてきたんですか?」

「いや……全然です」

 彼女の方から話しかけてくれたのだが、まともに彼女に向き合って話すことも出来なかった。

「あれ?緊張してます?」

「……実はこういう所にくるのが初めてで……」

「そうなんだ!全然緊張しなくていいからね」

 彼女の零れる白い歯を見てドキッとした。彼女が笑顔を見せてくれたのはこの時初めてだったのだ。……いや翔太の心拍数が上昇したのは彼女の笑顔のせいではなく、手を握ってきた為かもしれない。女性の手は何と華奢で柔らかいのだろうか!

「上に乗っても良いですか?」

 それから何往復か当たり障りのない会話をした後、彼女がそう言ってきた。

「あ、はい」

 その言葉の意味を翔太は理解出来ていなかったがとりあえず返事をした。

 すぐに彼女は透明な高いヒールの靴を脱ぎ、ソファに座る翔太に膝立ちで跨がるような姿勢になった。そして体を密着させてきた。

 翔太は思わず彼女を抱き締めていた。すぐに彼女もそれに応えるように翔太の背中に腕を回してくれる。彼女の体温、髪の匂い……生まれて初めての女性への接触だったが、性的に興奮するというよりも、今まで味わったことのない落ち着いた気持ちを覚えた。

「……寂しかったの?」

 しばらく無言で抱き締め合っていたが、彼女が翔太の耳元でそう囁いた。

(……ああ、そうか。俺寂しかったのかもな)

 それをそのまま口にして伝えても良いものか、迷っていると彼女は密着していた顔を少し離し、翔太の顔を見てから微笑んだ。

 それから翔太の唇に唇を合わせてきた。初めはほんの軽く触れる程度、やがて濃厚に何度も。初めての経験に翔太の脳は蕩けそうだった。

「……ねえ、胸も触って良いんだよ」

 確かにそうだという情報は手にしていたが、本当にそんなことして良いのか確信が持てず自分から触りたいとは言い出せなかった。彼女の方で翔太のそうした気配を感じて言い出してきてくれたのだろう。

 彼女の着ているドレスは一般的なものとは少し違っていて、手を入れやすいように脇にスリットの入ったものだということにその時になって初めて気付いた。

「……ん」

 柔らかなその膨らみに触れた時の彼女の声を翔太はずっと忘れないだろうと思った。


「ありがとうね、また良かったら来てね」

「うん、こちらこそありがとう」

 終了の時間が来て、夏海が出口まで見送りに来てくれた。

「ありがとうございました!またお越しください!」

 男性店員も翔太に向かって頭を下げる。

 女性というのは何と素敵で優しいのだろうか?わずか数千円でこんなにも素敵な経験をさせてもらって良いのだろうか?と翔太は本気で思った。

 歌舞伎町は危険な街だという風に聞いていたし、実際に歩いていてもそんな雰囲気をプンプンと感じていた。だけど今はそのイメージも変わった。街のネオンもギラついたケバケバしいものではなく優しい光に見えたし、キャッチの怖そうな兄ちゃんたちも話せば分かり合える人間たちばかりなんじゃないだろうか?という気になっていた。人々はそれぞれの事情があり、それぞれの癒しを求めてこの街に集まっているのだ……そんな当たり前のことに気が付いた。

 とにかく二十六才の誕生日は最高のものだった。素晴らしい一年になりそうな予感がした。



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