第二章

杉ちゃんが自宅内で着物を縫っていると、インターフォンがなった。

「おーい杉ちゃんいるか。ちょっと教えてもらいたいんだが、時間はあるだろうか?」

この間延びした言い方は、華岡であるとすぐわかる。

「いいよ入んな。また、事件のことでわからないことがあって来たんだろう。もう見え見えだよ。」

杉ちゃんにいわれて、華岡はありがとうなと言って、玄関のドアを開けて家の中へはいった。今回は長風呂をする気力も、無くなってしまっているようなほど、しょぼんとしている。

「まあ座れ。」

と、杉ちゃんにいわれて、華岡は食堂のテーブルに座った。

「今日はどうしたんだよ。」

「杉ちゃん、俺、今回の事件がよくわからなくなっちゃんったんだけどさあ。」

杉ちゃんに出されたお茶を飲みながら華岡は言った。

「わからないって何がだよ。」

と、杉ちゃんが言うと、

「三浦良太郎だよ。自殺をするようなこともないし、二胡教室のほかの生徒や、血縁者を当たってみたけど、だれも三浦のことを妬むやつも、恨むようなやつもいなかったぞ。」

華岡は、本当に困った顔をしていった。

「まあそうかも知れないけどさ。犯罪ってのは、怨恨だけじゃないぜ。」

杉ちゃんがそう言うと、

「うーんそうなると、例えばどうなるのかな。ほかに何があるのかな?」

「だって、人間関係はほかにもあるじゃないか。時々、とんでもない理由で他殺をするやつだって居るだろう。もしかしたら、二胡の関係者とか、そういうやつじゃないかもしれないよ。誰か、海外の関係者とかいないの?もともと中国の楽器なんだし、それを当たってみたら?」

「ちゅうごくねえ。人口が多すぎて、全部の人を、調べきれないよ。」

華岡は大きなため息を付いた。

「でもさ、音楽やっているやつだったら、絞れるかもしれないじゃないか。日本に興味持ってくれる中国人はそんなに多くないでしょう。反日デモも頻繁に起きてるし、そこを狙うんだよ。」

「そうだねえ、、、。」

杉ちゃんの話に、華岡は、困った顔をした。

「まあそういうことだから、そこらへんは、警察らしくちゃんとやるんだな。僕達は、小林萌さんという女性が、なにか絡んでいるのかなと思ってたけど、その当たり違うのか?」

「うん、俺たちもそれを狙ってみたんだけどさ。だが、彼女には、あの三浦良太郎に対して、何も反感は持っていないようだし、第一に、彼女が、二胡教室に申し込んだ事以外、接点がない。だから違うと思う。」

華岡が答えると、杉ちゃんは、

「本当にそうなのか?そもそもだよ。なんで、彼女は、三浦良太郎の二胡教室に通いたいと思ったんかな?」

と聞いた。

「ウン。その当たりは、ちゃんと調べたから分かる。彼女は、あるホールで、三浦良太郎の演奏を聞いて、感動し、二胡を習ってみたいと思ったそうだ。まあ、三浦が、自宅から近くに住んでいて、それがショッピングモールの近くにあったので、バスで行くことができたから、選んだだけだと言っていた。それは、彼女の家族にもちゃんと聞いたので、間違いは無いと思う。ホールの名前は、10年前のことなんで忘れてしまったといった。」

「はあ、10年前ねえ。それは覚えているのに、ホールの名前を忘れるなんて、何なんだろうねえ。」

華岡が答えると杉ちゃんは、そう言ったが、

「いやあ、よくあることじゃないか。年代は覚えやすいけど、ホールの名前とか、出演者の名前とか、そういうものを忘れてしまう事は、結構あるよ。」

と、華岡は一般的な事を言った。

「うん、まあそうだけど、、、。」

杉ちゃんは少し考え込む。

「杉ちゃん考えすぎじゃないの。まあ、いずれにしても、三浦が開いたコンサートは、この10年間で、800本以上あるので、それを全部調べるにも手間がかかるわな。」

華岡は、嫌そうな顔をした。

「まあ、芸術家なんてそういう事は、慣れっこ見たいにやっているんだからさ。警察は、慎重に根気よくやれよ。早く事件を解決させたいばっかりに、ずさんな捜査になっちゃだめだぞ。」

「わかったよ。杉ちゃんにいわれたらかなわないな。俺たちもちゃんと事件を操作しなきゃ。」

「そうそう、警察の仕事は、犯人を捕まえることばっかりじゃないの。それが二度と起こらない様に何とかすることも大事だよ。だから、それもちゃんとやってね。」

杉ちゃんにいわれて、華岡は一言わかったよといった。それと同時に、華岡のスマートフォンが音を立ててなった。

「はいもしもし。ああ、そうか、じゃあ、その女性に話を聞いてみるか。おう、俺もすぐに戻るからちょっとまってくれ。」

電話の奥で、警視いつまでも杉ちゃんという方の家に入り浸ってないで、早く帰ってくださいねと言っている部下の刑事の声が聞こえる。華岡が杉ちゃんの家に来ているのは、もう、知られているらしい。華岡はわかったよとだけ言って電話を切った。

「どうしたの華岡さん。」

杉ちゃんはわざと聞いてみた。

「ああ、何でも、戸倉文さんという女性が、三浦良太郎さんのもとに、最近入門に来たそうであるが、数ヶ月でやめてしまっているそうだ。彼女がなにか知っているかもしれないというので、今から行ってみようということになってな。」

「戸倉文。戸倉って、あの、製造会社を経営している大金持ちの家か?」

と、杉ちゃんが聞くと、華岡は、ああ正しくそうだけど?と言った。

「そうなんだ。そこの奥さんは、戸倉文という名前ではなくて、戸倉由美さんだったと思うけど?それに、確か、戸倉さん夫婦に女の子はいなかったと思うけどね?」

と、杉ちゃんが急いでそう言うと、

「ああ、あの家の息子さんが嫁さんをもらったそうだ。その嫁さんが戸倉文さんだよ。」

華岡は急いで答えた。

「はあ?あの息子さんが嫁をもらったのか?あの自慢大好きな戸倉さんだから、嫁を貰えば、大っぴらにアピールするはずなのに、そんな事は、まったくなかったよ。」

確かに杉ちゃんの言うとおりでもあった。戸倉さんというと、バネの製造工場を経営している、富士市でも屈指の大金持ちである。お父さんが一台限りで起こした会社というが、現在は息子さんが継いでいるということは知っている。だけど、その息子さんが嫁をもらったというのは杉ちゃんもだれも聞いたことがない。いつ嫁をもらったのか聞くと、去年の12月だと言うことだ。そうなると、一年近く前だ。それまでに一度も会ったことがなかったなんて、おかしいなと杉ちゃんは言った。

「まあとりあえず俺、署に戻るわ。戸倉文のところへ行ってみるよ。じゃあ、杉ちゃんありがとう。」

と、華岡は、急いで椅子から立ち上がり、玄関へ走っていってしまった。杉ちゃんは頑張れよとだけ言っておいた。

「戸倉文ねえ、、、。そんな人物がいたのかな?戸倉家に。」

そう呟いた杉ちゃんだが、頭を仕事に切り替えて、また着物を縫い始めた。しばらく着物を縫う作業に没頭していたが、糸が足りなくなってしまったので、手芸屋に行くことにした。でも、杉ちゃん一人では行けないので、ジョチさんにお願いすることにした。スマートフォンで電話をかけると、すぐ行くとジョチさんは答えてくれた。数分後、小薗さんの運転する障害者用の車が、杉ちゃんの家にやってきた。玄関先で待機していた杉ちゃんを、小薗さんは手早く車に載せた。

「杉ちゃんどうしたんですか?何か考えているみたいですけど?」

と、ジョチさんがそうきくと、

「いやあねえ。華岡さんが来て、なんでも戸倉文という女性が、三浦さんの二胡教室に行っていたようだが、数ヶ月でやめているということで、その人が、なにか知っているのではないかと言っていたので、、、。」

と杉ちゃんは答えた。

「ええ、戸倉さんというのは、あのバネ工場の社長ですよね。戸倉さんの息子さんが、文さんという奥さんをもらったことは全く知りませんでした。あの、豪快な社長ですから、息子さんがお嫁さんをもらったら、何をするにも連れ回して歩いていると思うんですけど、そういう事は一切ありませんでしたね。」

ジョチさんもそういう事を言った。

「戸倉さんは、奥さんを、事故かなんかでなくされて、その後は、男で一人で息子さんを育ていましたよね。僕は、戸倉さんと会食した事があって、その事はよく口にしましたよ。おしゃべりな方だったので、明るい顔でそう話していらっしゃいました。そういう方ですから、息子さんが、お嫁さんをもらったのなら、みんなに紹介するんじゃないでしょうか?」

「そうかあ。やっぱりそうだよなあ。あれだけ自慢するのが大好きな人だぞ。それなのに、紹介も何もしないって変だよね。」

杉ちゃんは、ジョチさんの話に賛同した。そうこうしている間に、手芸屋についた。二人は、店の中に入って、必要な色の絹糸を買い求めた。店の中はラジオが流れているらしく、誰かが喋っている声が聞こえた。

「えー、次のニュースです。先日、静岡県富士市で発覚した殺人事件で、警察は、被害者の経営している二胡教室に通っていた女性が事情を知っていると見て、話を聞いていることが関係者への取材でわかりました。この女性は、富士市内でバネ工場を経営している一家に嫁いだそうですが、その生活に馴染めず、精神疾患を患い、治療の一部として、二胡教室に通いだしたということです、、、。」

「はあなるほどね。そういう事情があったわけか。それでだれにも紹介しなかったのね。」

と、杉ちゃんは、レジ係からお金を受け取りながら、一言呟いた。

「なんでも取材で分かるのはいいけどさ。もうちょっと、そっとさせておいてやるってことはしないんだねえ。」

「まあ、そうですね。だれのことでも、ペラペラ喋るのは、あまりいいことでは無いですねえ。」

ジョチさんもそういう事を言う。

「いずれにしても、戸倉さんのところは、報道陣がすごいでしょうね。警察も、余計に力が入るでしょう。すごいスキャンダルですよ、あの戸倉さんの息子さんの奥さんが、そういう病気だったって言うんだったら。」

「それだけじゃありません。戸倉さんは、非常に困っていたようです。ここで放送が流れているから、よく聞くんですがね、あの戸倉文さんは、仕事をしていないことで、誰かからひどいことをいわれていたようですよ。それがだれなのかわかりませんが、まあ、良かれと思って言った事が、傷ついてしまうことは、ありますよね。」

と、手芸屋の定員が暇そうに言った。

「はあ、そうだったんですか。そんな事、全然知りませんでした。なんで、戸倉さんは誰かに話したり、相談したりとか、そういう事をしなかったのでしょうか?精神疾患とか、そういうものは絶対家族だけでは解決できませんよ。」

とジョチさんが言ったところ、

「まあそうだねえ。でも、答えを出すってのは、今の時代、なかなか難しいと思うぞ。解決の糸口を見つけるのだって、本当に難しいからね。当事者ってのは、非常に難しいところだと思うよ。」

と杉ちゃんが言った。そうですねとジョチさんは言って、とりあえず、杉ちゃんとジョチさんは店を出た。そういう事は、結局噂をするしか、できることは無いのだった。直接関わっているわけでも無いし、なにか関係のあるわけでも無いのだから。

その翌日のことだった。杉ちゃんの家に、またドヨーンと落ち込んだ顔をした華岡がやってきた。

「どうしたんだよ華岡さん。いつもの元気はどうしたの?そんなに落ち込んじゃって、なにかあった?」

と、杉ちゃんはお茶を渡しながらそう言うと、

「ああ、戸倉文を、三浦良太郎殺害の容疑で引っ張り込もうと思ったんだけどさ、三浦良太郎が死亡した時刻、彼女は、亭主と一緒に、田貫湖へ旅行にでかけており、犯行はできないということがわかったんだよ。」

と、華岡は言った。

「はあ、そうなんだねえ。まあしょうがないじゃないか。捜査ってのはそういうもんだろう?それでいちいち落ち込んでどうするんだよ。」

と、杉ちゃんは華岡にいうが、

「だってね!今度の被疑者、つまり、戸倉文だが、ちゃんと動機もあったんだぞ。戸倉文は、三浦良太郎の二胡教室を訪れて、数回二胡のレッスンを受けている。だけど、彼女は、三浦に、就職しないから悪いといわれて、ひどく落ち込んで帰ってきたことも、主人の話でわかっているんだ!だから、今度こそと思ったのに、なんでそうなってしまうんだ!」

と、華岡は悔しそうに言った。

「はあそうなのね。三浦良太郎がそういう事を言ったのか。」

と、杉ちゃんは言った。

「それは、不特定多数に言った言葉だったのかな?それとも、戸倉文が、個人的にいわれたのか?」

「ああ、基本的に三浦の稽古は、個人レッスンが中心で、一対一の稽古が、基本だったようだ。ご主人の話によると、戸倉文は、やっと一人で通えるようになったと思ったら、数回でやめてしまったので、非常に困ってしまったようだ。」

「なるほどねえ。戸倉さんの息子に嫁さんがいたなんて全然知らなかったけど、結婚した当初から、おかしくなっていたのだろうか?」

杉ちゃんは、華岡に聞いた。

「うん。なんでも、一般人と、大富豪の結婚だからね。多かれ少なかれ、辛く感じてしまうことはあったんじゃないかな。それは、まあ、しょうがないといえばしょうがないんだけど、それをそれで解決できない人も、また居るってことだよな。」

まあ確かにそうだ。HSPとかそういう名前で、あらゆることに過敏になってしまう人が居る事はいる。それを区分することは必要なのかもしれないが、そういう人たちを社会から出ていけとしてしまうのは、ちょっと問題ではないかと思う。

「まあ、動機があったとしても、戸倉文さんが、でかけていたことは、ご主人の話でも、確か何だろうな。それは、諦めろ。」

と、杉ちゃんは、華岡の肩を叩いた。華岡は、本当に悔しそうなかおをして大きなため息を付いた。

「華岡さん、警察は、競争する相手が居るわけでも無いんでしょう。スピード解決にこだわらないの!」

「はい。」

華岡は、杉ちゃんの話に、しっかり頷く。

一方、製鉄所では。

「水穂さん、またご飯を食べなくなりましたね。ご飯を食べないと、何もできなくなりますよ。ほら、ちゃんと食べてくれませんか。」

と、ブッチャーが、水穂さんにご飯を食べさせようと試みていた。また水穂さんは、食べる気がしないと言って、ご飯を食べないのである。

「布団に寝たままではだめです。ちゃんとご飯を食べないと、大変なことになります。」

ブッチャーは、おかゆのお匙を水穂さんの口元へ持っていったが、水穂さんは、そうですねとしかいわなかった。

「もうどうしたんですか?また考え込んだ顔をして、なにか悩んでいることがあったんですかね?」

ブッチャーが言うように、水穂さんはなにか考えている顔をしているのだった。

「はあ、また、あの、三浦とかいう人のことですか?」

ブッチャーが言うと、水穂さんは、小さく頷いた。

「そうですか。でも、水穂さんが、考え事したって、その人は戻ってくるわけではないんですから。もう考えるのはやめたほうがいいのではないですかね。それに、あんまり考えすぎていると、仏はうまく川を渡れないって言うじゃありませんか。」

ブッチャーはちょっと苛立って、そういったのであるが、

「でも、よくわからないんですよ。思い当たらないんですよね。あの人が、殺害されなければならない理由って。」

と、水穂さんは言った。

「だって、水穂さんは一回共演しただけなんでしょう?それなのに、なんで、そんなにその人の事を覚えているんですか?」

ブッチャーがそうきくと、

「ええ、そうなんですけどね。その一回がとても印象的だったので、よく覚えているんです。」

と、水穂さんは答えた。

「はあ。それはどういうことですか。印象的ってなにかあったんですか?」

ブッチャーがまた聞くと、

「ええ。だって、僕みたいな人が、出てはいけない公演に出させて頂いたので、それは、よく覚えています。本当は僕のような人は、出演すべきではないと、しばらく自問自答していましたから。」

と、答える水穂さんに、出てはいけないとはどういうことかとブッチャーは聞いた。多分同和地区の人間は出てはいけないということだろうなと思うのだが、それはきっと、水穂さんにとっては、絶対避けて通れないことだろう。

「本当に出ては行けなかったんですよ。確か、ロゴセラピーを普及させるためのイベントで、第一部が偉い研究者の方のお話で、第二部が、僕と三浦さんの演奏だったんですよ。そこで、ツィゴイネルワイゼンを演奏した事はよく覚えています。あの時思いました。僕みたいな、人間が、精神障害のある人の上の立場に立ってしまってもいいものかどうか。」

そういう水穂さんに、ブッチャーは、よく覚えているんですねとだけ言った。そういう事を思い出すよりも、ブッチャーは、ご飯を食べることをしてほしかったのであるが、水穂さんは、そういう事はしなかった。

「まあ、水穂さんが演奏技術があったから、そういう事ができたんだと思いますよ。それよりも、ご飯を食べてもらえませんかね。口が不味くても、食べる気がしないとか、そういうことでも、食べるということはちゃんとしなくちゃいけませんよね。」

と、ブッチャーはもう一度、水穂さんの口元に、お匙を持っていった。水穂さんは、そうですねと言って、静かにお匙を受け取って口に入れ、またお匙を返した。

「ほら、どうなんですか。俺が作ったおかゆですけど。杉ちゃんみたいにうまくはないですけどね、少しは味があるでしょ?」

わざとそういう事を言っても、水穂さんは、美味しいとはいわないのであった。三浦さんのことではなく、別の方へ感心を向けてくれないかなと思うブッチャーだったが、そういう事はまだ出来なさそうだった。ブッチャーは、せめて、おかゆを完食してほしいと思って、おかゆのうつわにお匙を入れた。



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