さいま
増田朋美
第一章
朝から降っていた雨は午後には止んだ。今日は、ショッピングモールの特売日ということで、そういうものには目がない杉ちゃんは、ジョチさんに手伝ってもらいながら、ショッピングモールへ行くことに成功した。ショッピングモールの食品売場に言って、また爆買のような感じで買った食品を、杉ちゃんが風呂敷で包んでいると、
「あの、すみませんが。」
と、細長いケースを持った女性が、二人に近づいてきた。
「はい何でしょう。」
と、ジョチさんが聞くと、
「あの、失礼ですが、このショッピングモールの近くに、三浦という家は、ありますでしょうか?」
と、言うのである。
「はあ、名前まで言ってもらわないと、どこの三浦さんなのかわかりませんね。」
杉ちゃんがそう言うと、
「はい、三浦良太郎さんという方で、」
女性は答えたので、杉ちゃんもジョチさんも、どこの三浦さんなのかすぐに分かった。その女性が持っている、楽器のケースを見ても、なんとなく推量できたのであるが。
「三浦良太郎さんですね。あの、二胡の奏者で有名な方ですね。その方のお宅であれば、このショッピングモールを出て、すぐのところです。ご案内しましょうか?」
と、ジョチさんがいうと、女性は、お願いしますと言った。そこで、杉ちゃんたちは、ショッピングモールを出て、その三浦先生のお宅へ案内するため、道路を歩き始めた。
「お前さん、二胡を習おうと思ったの?」
と、杉ちゃんがそうきくと、
「ええ、ちょっと前から、二胡に興味を持ったんです。最近は、日本人の先生も増えたということで、習いやすくなったかなと思いまして。」
と、女性は答えた。
「そうですか。まだ日本ではマイナーな楽器ではありますが、最近では二胡の合奏団もあるそうですね。あの、人が歌うような独特な音色は、一度聞いたら忘れられないって言いますよね。」
と、ジョチさんが言うと、彼女ははいとにこやかに言った。
「ええ、人間の声のようで、そこにハマってしまったんです。おかしな話かもしれませんが、亡くなった母が、そばにいてくれるような気がするんです。」
「まあたしかにそうだねえ。人間の声に近い楽器だからね。ちょっと妖艶なところもあるけど、そこがまた庶民的でいいのかもしれないね。三浦先生の家はここだよ。」
と、杉ちゃんは、目の前の一軒の家を、顎で示した。表札に三浦良太郎二胡教室と描いてある。小さな家であるが、玄関先に花がおいてあるし、かわいい感じの家だという事ができるだろう。
「ありがとうございます。これで、道順も覚えました。これ以降、間違えずに三浦先生のもとへ通えそうです。」
と、彼女は言った。そして、どんどん三浦先生の家にあったインターフォンを押した。ところが、何も反応が無い。
「あら、おかしいわね。いくら押しても、反応が無いわ。」
女性は、もう一度インターフォンを押したが、何も反応がない。
「どうしたんですか?」
心配になったジョチさんがそう尋ねてみた。
「ええ、インターフォンを押しても何も返ってこないんですよ。」
と彼女はもう一度インターフォンを押してみたが、やはり反応がなかった。
「先生、お約束どおり参りました。小林萌です。あの、今日の13時にここへ来るようにといわれて参りましたが?」
と、小林萌と名乗った女性は、玄関に向かってそういう事を言ってみたが、何もなかった。杉ちゃんが思わず、玄関のドアに手をかけてしまうと、玄関のドアはギイと開いてしまった。まさか、開けっ放しにして外出するとは、今の時代であればありえない話だよなと杉ちゃんは思わずつぶやく。度胸のある杉ちゃんは、その玄関のドアを開けてしまって、家の中へ入ってしまう。そして、居間に行ってみると
「おい!見てくれ!」
と、でかい声で叫んだ。何だと思って、ジョチさんも、萌さんも中に入ってみると、
カーテンレールで首を吊った、男性の姿が見えたのである。ジョチさんは、すぐに警察に通報した。数分後、すぐに警察官がやってきて、三浦良太郎先生の家は、大変な事になってしまった。杉ちゃんたちも、華岡を始めとする刑事たちから、話を聞かれた。部屋を物色した後もなく、三浦良太郎さんは、首は吊っていたが遺書のようなものはなかった。警察の人たちは、自殺かなと言っていたが、
「おかしいですね。」
と、萌さんが、思わず言った。
「自殺と言っても私は、昨日二胡を習いたいと、先生のお宅へ電話したばかりなんです。其時、先生は、何も思い詰めた様子もありませんでした。それなのになんで?」
「すみません。この数字の羅列はなんでしょうか?」
と、一人の刑事が、一枚の紙切れを取った。読めるのは、さいまというひらがなのみで、後は、数字と記号が並んでいて、なんだか暗号文のようなものであった。
「ああ、これは、二胡の楽譜ですね。五線譜で二胡を習う方も多いのですが、基本的なことから教えたい場合、数字譜を利用すると、知り合いから聞いたことがありました。さいまというのは曲の名前で、中国の民謡です。」
と、ジョチさんが急いで説明すると、
「ああ、そうですか。確かに、この部屋には楽器もありますよ。ということは、この男性、音楽家だったんですかね。」
と、刑事が間延びした顔で言った。確かに、部屋の片隅には、立派な二胡が五本置かれている。
「そんな事わかりきっているじゃないか。三浦良太郎さんといえば、有名な二胡奏者だよ。音楽家の間では名前が知られているよ。」
と、杉ちゃんが急いでそう言うと、刑事は、はいわかりましたとぶっきらぼうに言った。
「そんな事、調べていられるほど、警察はのんびりしていないのでね。それよりも杉ちゃんたちはなんでこの方の部屋へ?」
と、華岡が聞いたので杉ちゃんは、
「なんでもこの小林萌さんが、三浦先生に二胡を習いたいというが、場所がわからないから案内してくれって言うから、付き合ったんだよ。僕らは何もしていません。それだけは確かだぜ。」
と言った。
「わかりました。まあ、第一発見者のお三方には、ちゃんと聞かなければならないので、それはやらせてもらうぞ。で、小林萌さんと言いましたね。あなたは、三浦先生のところに、二胡を習いに来たんですか?」
「ええ、私は、まだ新人会員で、三浦先生のところに今日は、初めて習いに行くところだったんです。」
萌さんは正直に答えた。
「それでは、その前に、三浦良太郎に、変わった事はありませんでしたか?」
「ええ、何も知りません。三浦先生は、私が二胡を習いたいと言っても、ぜひ、来てくれというだけで、何も自殺するような感じではありませんでしたけど?」
萌さんがそう言うと、華岡は手帳にそれらをメモした。
「ほかの生徒さんとか、その他の関係者で、なにか変な関係にあった人物とかご存知ありませんか?」
「いえ、私は、そんな事何も知りません。私は、本当に、何も知らないんです。そういう事は、、、。」
いきなり警察の捜査になって戸惑っている萌さんに、杉ちゃんもジョチさんも、あまり詰問しないほうがいいと華岡に言った。そういうことになれていないから、もうちょっと、優しくしてあげたほうがいいと言うわけで。
「いずれにしても、びっくりしたよなあ。人生にはいろんな事があるもんだ。まあ、今の時代だから、こうなっても、おかしくないよねえ。まあ、不運だったくらいに思ってさ、それで、頑張ろうよ。」
杉ちゃんにいわれて、彼女は小さな声ではいといった。
「まあ、二胡教室は、どっか別のところを探せばそれでいいさ。僕達も、大変だったら手伝うよ。」
そういう杉ちゃんに、ジョチさんは、本当に杉ちゃんという人は、何でも簡単に言ってしまうんだなと思ったが、それはいわないでおいた。
「わかりました。」
それだけいう彼女は、なんだか可哀想に見えた。もしかしたら、特別な思いがあってここに来たのかもしれない。それだったら、たしかに悲しいだろう。
「とりあえず、彼女をもう戻してやってもいいですか。あまり、一般の方はなれていないと思いますので、少し休ませてやったほうがいいと思いますが。」
ジョチさんがそう言うと、華岡は、それもそうだなと言って、三人に家に帰ってもいいと言った。杉ちゃんたちは、涙をこぼしている、萌さんを大丈夫だよと励ましながら、その場を後にした。とりあえず、ショッピングモールへ戻ったが、萌さんは、バスで帰りますからといった。バス停はどこかと聞くと、吉原中央駅だという。杉ちゃんたちは、災難だったかもしれないけど、気を落とさずにな、と、言いながら、彼女が帰っていくのを見送った。
それから数日後のことである。杉ちゃんとジョチさんは、用事があって、吉原中央駅にいった。二人が、バスを降りると、別のバスから、小林萌さんが出てきたのを偶然目撃した。萌さんも、すぐに二人に気がついて、こんにちは、と言いながら駆け寄ってきた。
「やあ、お前さんどこに行くの?」
と、杉ちゃんが聞くと、
「どうもこんにちは。今日は、洋裁教室に行き始めたんです。こないだは、ありがとうございました。あの時、一緒にいてくれなかったら、私どうなっていたのかわかりません。あの後も警察が何回も来て。」
と、彼女は、杉ちゃんたちにそう話した。
「はあ、やっぱり、しつこいのか?」
と、杉ちゃんが聞くと、
「ええ、何回も私のところに来て、二胡教室の、人間関係などを聞いていかれました。私は、正直わかりませんでしたけど、とりあえず、二胡教室に入った動機を聞かれたので、それを答えました。」
と彼女は答えた。
「はあなるほど。音色に感動したっていう軒ね。」
「ええ、そうなんです。ただ、警察はそうではないと思っているみたいで。」
「それはおかしいですね。あなたは正直に喋りましたか?あなたが疑われる理由がなにかお有りなんでしょうか?」
彼女の発言にジョチさんが聞いてみた。
「ええ。私、働いてないで、ずっと家に居る人間なので。何か情けないかもしれないんですけど、ずっと仕事をしていないんです。この間、二胡教室に行ったのが、学生の時以来の外出だったんですよ。だから、私が疑われてもしょうがないのではないかと。」
と、彼女は答えるが、こうなってしまうのも、偏見だろうなと杉ちゃんもジョチさんも思った。こんなふうに、犯人扱いされてしまうなんて、なにかおかしなところがある。
「そうだけど、お前さんは、疑われるような事をしたのか?」
杉ちゃんがそう言うと、
「いえ、そういうことでは無いのですが、私が働いていないから。」
と彼女は言うのだった。
「まったく、警察も、困ったもんだよな。なんでらくしたいと思っちゃうんだろう。お前さんを、犯人にしてもしょうがないのにな。それに、お前さんは、あの男性を手に掛ける理由もないだろう?」
杉ちゃんがそう言うと彼女は、ええとだけ言った。
「それじゃあ、お前さんが、ビクビクする必要もないよ。疑われるような事してないんだったら、なにもないと、正直に堂々といいな。それでいいのさ。害虫退治じゃないんだから。」
「それにしても、あなたは、いつからそういう生活をするようになったんですか?なにか理由でもあったんでしょうか?」
ジョチさんは彼女の態度が気になって、そう聞いてみた。
「ええ、まあ、学校の成績が悪かったんです。体育もできなかったし、それ以外の科目だって、いい点数がとれませんでした。だから、県立高校に行けなかったんです。そこで親戚とか、そういう人たちに滅多刺しにされて、私は、何も価値がないんだと思って。それで、もう外へ出ることも怖くなってしまって。」
「はあ、そうなのね。まあ大変かもしれないけどさ。どっかで居場所が見つかるといいね。今回は、ちょっと見つからなかったかもしれないけどさ。きっとまた見つかるよ、位に覚えとけ。」
萌さんがそう言うと、杉ちゃんは、サラリと言った。そのような反応をされたのは、意外だったようで、彼女は、ちょっと表情が揺れ動いた。杉ちゃんもすぐにそれを察知して、
「僕は何もしてないよ。ただ、それだけのことだよ。」
と言ったが、彼女は、嬉しそうな顔をして、
「いえ、このままだと8050問題とか、親に苦労させている悪人とか、そういうことしかいわれた事はありませんでした。それに私は、いい学校にも行けなかったし、もう終わりだと思ってたんです。」
というのだった。確かに、そういう事は、善人ぶって、平気で他人は言いふらすものだ。仕事をしていれば、こんな辛い思いなんて、しなくてもいいと思うのに、それをしなければならないのだから、それは当事者にしかわからない悲しみだろう。自立していないということは、実は、楽をしているように見えて、意外に苦しいものなのである。
「まあいい。お前さんは、そういわれちゃうかもしれないけどさ、かわれないことだってあるんだろうし、しょうがないというか、そうなっちまった事をまず認めることだな。そして、それから、何をすればいいか、考えるといいよ。よかったら、僕達のところにも遊びに来てよ。変な事言うやつは一人もいないよ。そうだろう、ジョチさん。」
と、杉ちゃんが言うと、ジョチさんもそうですねといった。そして、カバンの中から、手帳を取り出し、そのメモページを破って、製鉄所の住所と電話番号を書いて、彼女に渡した。
「じゃあ、何かあったら、来てくれや、いつでも待ってるから。」
杉ちゃんとジョチさんは、そう言って、その日は別れた。二人は、その後近くにあるコンビニに立ち寄ったのであるが、入り口に、週刊誌がおいてあることに気がつく。杉ちゃんは、気にしなかったが、ジョチさんがそれをとって読んでみると、
「二胡奏者死亡事件、死因は、窒息死か。」
と書かれていたので、その記事を読んで見る。すると、二胡奏者の三浦良太郎さんは、カーテンレールで首を吊ったのではなく、別の場所で首を締められたのではないかという内容が載っていた。
「あの事件のはなしかい?」
杉ちゃんに聞かれて、ジョチさんははいと頷く。
「ここにも載っていますが、三浦さんは、細い紐のようなもので首を締められたとあります。」
とジョチさんが言うと、杉ちゃんは、
「こんなことはさ、考えたくないんだけどね。さっき中央駅であったあの女性、あの女性は、たしかに、殺す動機はないが、世の中に対して、嫌な思いは持ってるよな。」
といきなりそんな事を言いだした。
「だからね、あの女性は、もしかしたらだよ。何も知らないというのは大嘘で、本当は、三浦さんと、関係があったんじゃないかな。何か僕、そういう気がするんだよな。何かそういう気がするんだよ。警察も、そこら辺わかっているんじゃないの?」
「そうかも知れませんね。」
とジョチさんも言った。
「彼女も、目は口ほどに物を言うということを知らないのではないでしょうか。」
「きっとそういうことなんじゃないかな。その証拠に、彼女のカバンの中にさ、巾着と一緒に紐があった。覚えてるか?」
杉ちゃんは、意外なところに目をつけるものだ。確かに、紐を持ち歩く人はそうはいないかもしれない。
「確かに、洋裁教室とはいますが、この近くにあるのかも不詳ですしね。簡単に気持ちが切り替えられるとは思わないし。それに、洋裁教室に通い出すきっかけもあったんでしょうか。」
ジョチさんも、杉ちゃんに言った。
「それに、この記事にもよりますと、あの三浦さんは、妬まれたりしたことはなかったみたいですし。」
そこも確かに、ポイントとして付くことができた。
「そうだねえ。」
と、杉ちゃんは一つ頷いた。
「ただ、本当に彼女かどうか、はまだわかりませんけど。僕達の予想ですから。」
ジョチさんも杉ちゃんも、遠くに行ってしまった彼女を見て、そういうのだった。
「でも、何もしていないからと言って、彼女を犯人にしてしまうのは、危険なことでもありますよね。」
一方その頃、水穂さんも、同じ週刊誌を読んでいた。
「水穂さん、なにか知り合いのことでも描いてあるんですか?そんなに真剣な顔をして。」
と、ブッチャーが聞くと、
「いえ、この三浦という人は、一度だけ共演させてもらった事があるんです。」
と、水穂さんは答えた。
「はあ、その人は、中国の二胡奏者だと聞いていますが、水穂さんがどこかで接点があったんですか?」
とブッチャーが聞くと、
「ええ、覚えてます。提案したのは、三浦さんの所属していたプロダクションの方だったんですが、一度共演したら面白くなると。確か、さいまとか、弾いたことあります。」
と、水穂さんは答えた。
「へえ。水穂さんがそういう人と、共演したことがあると言うのは初耳です。その人は、どんな人だったんですか?」
と、ブッチャーがまた聞くと、
「大変、良い方でした。マイナーな楽器だからこそ、なにか役に立ちたいと使命感を持って演奏していたのを記憶しています。僕達みたいなありふれている楽器の奏者より、ずっと意欲がある方でしたよ。そんな方が、なくなるなんて、残念でなりませんね。」
水穂さんは、残念そうに言った。
「そうですか。水穂さんがそう言うんだったら、きっとそうなんでしょうね。俺も、そう思うことにします。それが、他殺だなんてはっきりしてしまったら、水穂さんも辛いですね。」
ブッチャーがそう言うと、
「ええ、奏者としても期待できる人であったのに、もったいないです。」
と水穂さんは言った。
「早く容疑者が捕まってほしいですね。彼もそうでなければ浮かばれませんよ。」
いつも、自分より他人の事を考えている水穂さんをブッチャーは、はあとため息をついて見た。本当は水穂さんには、他人のことより自分の体がよくなることを考えてもらいたいものであるが、なかなかそうは行かない。そうなってくれるにはまだまださきだなとブッチャーは思った。
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