36.将棋部と微睡み

 ラクロスを見たあと、さっきまで軽かった乃慧琉の足取りは打って変わって重い。俯いたまま早歩きで前をゆく乃慧琉を追いかけた詩音は憂いが漂う背中を呼び止めた。


「高岡さん。よかったら僕の部活も見にこない?」


 乃慧琉が足を止めて後ろを振り向く。


「一ノ瀬くんの部活?」


「うん。将棋部…なんだけど」


「私、将棋したことないから出来ないよ」


「全く問題ないよ。見るだけでもどうかな」


 僕も最初は分からなかったと笑った詩音は乃慧琉に追いつき、今度は詩音が乃慧琉を案内するように前を歩きだす。唇を噛んだ乃慧琉は足を踏み出す前に一度だけグラウンドに目をやり、直ぐに逸らして詩音のあとを追った。



 …………


 パチンと将棋の駒を指した音が狭い部室に響く。その瞬間、碁盤の前に座る佐々木がううんと唸り声を喉からあげた。


「…そう来たか」


 目の前に居る前田は口角を上げる。


「どう来ると思ってたんだよ」


「それ言ったら俺の作戦がバレるから」


「どう指したとしても、それ言うんだろ」


「……………」


 佐々木と前田の間に沈黙が流れるが、静寂を割くようにコンコンと扉が鳴った。


「どうぞ」


 余裕の表情をしていた前田が返事をすれば、開いたドアの隙間から詩音が顔を出す。


「お、詩音………と、高岡…乃慧琉、さん」


 前田の語尾が鈍った声に、次の手を考えていた佐々木も顔を上げた。机とパイプ椅子が無造作に並ぶ狭い部屋へ入っていく詩音。


「やっぱり今日は出ることにした。それと見学、いいかな」


「お邪魔します」


 お辞儀をした乃慧琉に、前田と佐々木の二人もぎこちなく頭を下げる。詩音と乃慧琉は近くにあった椅子に腰掛けた。


「今日は佐々木達だけなんだね」


 将棋盤を挟んでいた二人に詩音は呟く。


「顧問は課題の準備があるから終わったら来るって」


「新しい将棋の本2.3冊持ってきて棚に置いていった」


 前田が目で本の場所を教える。数年前までこの部屋は写真部の為だったらしく、小さな本棚には写真と将棋の本がごちゃ混ぜになって並んでいる。

 部室も小さければ将棋部は規模も小さく、滅多に無いが全員揃えば顧問と、二年生が三人の計六人だ。一年生は今年は入ってきていない。叶音かなねひきいるラクロス部とは比べ物にならないぐらい部員は少ないが、将棋部の仲の良さは抜群で時には顧問がラーメンに連れて行ってくれたりもした。


「高岡…ってちゃんと起きてる時あるんだね」


 パイプ椅子にちょんと座る乃慧琉を感心したように見た佐々木。どう呼べばいいのやらと迷いながらも乃慧琉へ尋ねると、話しかけられて微妙に顔が強張った乃慧琉は綺麗に頭を縦に振った。


「今日は昼間に寝たから」


 笑顔で言った乃慧琉の台詞に、"いつも寝てるじゃん"と思っているのがもろ顔に出ている二人に詩音は慌てて紹介を始める。


「高岡さん、紹介するね。右にいる長髪の団子結びが前田 桂麻けいまで、こっちのセンター分けが佐々木 仁廉じれん


「えー、なんだよその紹介の仕方」


 不満そうに言った佐々木だが、詩音が言ったように佐々木はセンターパートで前髪が分けられていて言葉通りの風貌。その隣で笑っている前田も、鎖骨ぐらいまで伸びた長髪を小さな団子にして高く結んでいて、やっぱり見た目通りの紹介だ。


「本名がじれんって言うの?初めて聞く名前」


 驚いた顔をして佐々木の方を見た乃慧琉の反応が面白かったのか、前田がケラケラと楽しそうに笑う。


「スゲーよな、俺も初めて会った時思った。アニメのキャラクターから取ったらしいよ」


「アニメのキャラでもなんいいけど、弱いキャラじゃなくて良かったよな〜」


「それよりも、名前がビルスとかじゃなくて良かった!だろ」


「ビルスって名前かっこいいじゃん」


「佐々木ビルスはやばいよ。そんなことより次の手決まった?」


 急かされて、腕を組んだ佐々木はまた難しい顔で考え込む。二人の身内ネタなやり取りに付いていけない乃慧琉は目をぱちくりとさせていた。

 苦笑いで立ち上がった詩音は木製の折れ将棋盤を持ってきて、箱から出した駒を四角いマスの中に並べ始める。


「高岡さんもやってみようよ」


 乃慧琉は佐々木達から碁盤に視線を移した。


「いいの?」


「もちろん。僕が並べるのと同じように駒を並べて、始めてみよう」


「分かった」


 頷きながら小さな笑顔を見せた乃慧琉の駒に触れる指は細くて、いつも対戦相手として見ている男のクラスメイト達とは全然造りが違う。女の子と将棋を指すってなんだか緊張するなと、駒を並べながら思った。すると待っていることが退屈なのか横から顔を覗かせて乃慧琉に話しかける前田。


「知ってた?詩音って将棋めちゃくちゃ強いぜ」


 それに乗るように、次の手を悩んでいた佐々木も口を開く。


「そうそう。チェスとかモノポリーなんかも詩音が一番強いよ」


「人間としての能力値をボードゲームに全振りされたんだよな」


「その代わりスポーツは何やらせてもダメダメだけど、とにかく球技と仲悪いし」


「へぇ、そうなんだ」


 持っていた香車を並べる手を止めて、興味がある様子で二人の話を聞く乃慧琉に耳を赤くした詩音は思わず「高岡さん始めよう!」と声をあげた。


「始めよっか」


 明るく声を返した乃慧琉は将棋盤に視線を落とし桂馬を定位置に置いた。ずらりと並ぶ駒を眺める乃慧琉へ詩音はとりあえずといった風に、駒の動き方が書かれたプリントのようなものを手渡す。


「…難しいね。なんだか眠たくなりそう」


 まだ始まってもいないのに目をしょぼしょぼとさせて呟いた乃慧琉。これを夜にやれば彼女は自然に寝れるんじゃないかと、俯く乃慧琉を眺める詩音はなんとなくそんなことを考えていた。

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隣の席の彼女は不眠症で、今夜にでも僕を食べたい ヒロウミ @hiroumi263

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