35.部長
放課後、帰る支度をしていた詩音は乃慧琉に呼び止められた。
「今から何か予定あるかな」
乃慧琉からの質問に頭を左右に振りつつも、また変な事を頼まれるのかと慣れない詩音は微かに身構える。
「…それなら、部活一緒に見に行かない?」
「部活ってラクロス?」
「うん……」
見に行くだけ。思っていたよりも簡単な頼み事だった。凛々果が部活をしているところを一度は見てみたかったと思っていた詩音はちょうど良かったという風に頷いた。
今日は自分の所属している将棋部が週一で活動する日だったので、同じクラスにいる部員の前田と佐々木に声だけ掛けに行く。
「今日は休むね。顧問に伝えておいて」
これだけで休めるから将棋部は緩くて良い。凛々果はいつも、下手に休むと倍返しが来ると文句を言ってるからこの仕組みを羨ましがる。
すると乃慧琉のところに戻ろうとした詩音をクラスメイトの佐々木が呼び止めた。肩を軽く掴まれてブレーキをかけられた詩音は二人を振り返る。
「詩音、お前なんか最近ちょっと高岡乃慧琉と変な感じなの?」
「え、変な感じって?そんなことないよ」
「前田と言ってたんだけど、急に仲良くなってて妙だから」
「いや…急にっていうか隣の席だから」
「そうだけど、高岡乃慧琉っていつも寝てて怖いじゃん。それこそ仲良くなるきっかけないし」
"高岡乃慧琉は顔が可愛いから何をしてても可愛い"みたいなのが、前田と佐々木の二人には無いところが詩音にとっては気楽なところだった。それが逆に今は乃慧琉を不思議な人物にする理由にもなっているけど。
「二人が思ってるより僕達は話すんだよ。たまに」
「たまにかよ」
「まぁ、話すと普通の人だよ。ちょっと変わってるけど」
「めっちゃ変わってるよ。…それか、なんか変な事頼まれてるんだろ。詩音って断れない性格だしさぁ」
「一ノ瀬くん?早く行こう?」
ゆらりと体を傾けて乃慧琉が三人を覗き込む。落ちた髪を耳にかけた乃慧琉を、前田と佐々木が驚いたように見た。そして、上目遣いの乃慧琉に何かを感じたらしく「どこ行くの?」と二人は乃慧琉に話しかけている。
「内緒です」
同じ学年のクラスメイトなのに敬語を使った乃慧琉。ふふと笑って詩音の手を引く。
「あ、じゃあ…っ、また明日!顧問に次は行きますって伝えててね!」
慌ててバイバイをする詩音と共に乃慧琉は教室を出て行った。前田と佐々木は顔を見合わせて不思議そうに首を傾げ合う。
「…高岡って実は昼に眠たくなる吸血鬼とかだったりして」
「なら詩音は血を吸われるために連れていかれてるのか?」
「だって隣のクラスの奴が、高岡が昼休みに空き教室に消えていくの見たって言うんだよ」
「……そういう映画あるよな。本当に吸血鬼なんじゃね?」
気難しい顔をしてお互いに目を逸らし廊下の方を見た前田と佐々木の奇妙な会話はそこで途切れる。
急かされる詩音は乃慧琉に連れられるままにグラウンドへ歩いていた。乃慧琉は眠ると充電したみたく本当にきびきび動けるようになるらしい。朝からずっと眠っていたお陰か足取り軽やかに詩音を引っ張っていく。
「ずっと見に行かなかったのに、どうして見ようと思ったの?」
「深い意味はないんだよ。叶音に見ても無いくせにって言われたのが悔しかったから」
「見てから文句言うって事?」
「そういう訳じゃないけど、一ノ瀬くんがいれば見に行けるかなと思ったの。それだけだよ」
力を込めた乃慧琉の柔らかい手の感触が、ぎゅうと直に伝わってくる。背筋を伸ばして前を歩く乃慧琉の手を、詩音も少しだけ握り返した。すると乃慧琉が一瞬こちらを振り向き小さく口角を上げて笑ったが、詩音は照れ臭くて目を逸らしてしまう。まだ女の子と一度も付き合ったことのない詩音だけど、それに近いことが今起きているんじゃないかと何となく思った。
「一年!もっと素早く動いて!!」
不意に、キンとグラウンドから校舎の方に響く大きな声を聞いた詩音達はハッとしたように手を離す。芝生が敷き詰められた鮮やかな緑色のフィールドに声を出した本人が立っていた。高いポニーテールに鋭い視線、ラクロスのラケットを片手に持つ叶音の佇まいは堂々としていて勇ましい。そんな叶音が険しい顔をしてパスの練習している一年や他の部員たちを仕切っていた。いつも凛々果に甘えた声をあげている叶音どころか詩音に冷たい表情をする叶音とも違う別人みたいな姿に詩音はビックリする。
「…
驚きのあまり大きな声を出してしまった。その声に一番に気付いたのは部員達と練習をしていた凛々果で、スティックを持った反対の手を降ってこちらに笑顔を送ってくる。いつもおろしているボブヘアを一つに
「練習でパスミスする人は試合でも絶対に取れないよ!」
士気を上げるように叫ぶ叶音の声に、額から汗を流した部員達が「はい!」と返す。そして視線を感じたのかふと乃慧琉達の方に目をやった叶音は乃慧琉を見るなり瞳を丸くさせた。
「乃慧琉……?」
聞こた訳ではないけれど叶音の口元はそう動いたように詩音からは見えた。驚いた顔で体は自然と乃慧琉の方に来ようとして、でも叶音は迷って来るのをやめたようにも窺える。指示をしながらも部活動に取り組む叶音や、険しい顔をして三年生に追いつこうとしている一年生を見ていると詩音はなんだか気持ちがソワソワしてきた。
「なんだかここにいるのが迷惑な気がしてきた…」
いつ戻る?と乃慧琉の方に視線をやったが、運動場を真っ直ぐ見つめる乃慧琉は食い入るようにラクロスをしている皆を目で追っていた。
「高岡さん?」
「……………」
呼びかけても乃慧琉は反応をしない。詩音はそんな乃慧琉の横顔から、またグラウンドに目線を戻す。
「ラクロス、楽しそうだね」
詩音の言葉に、ふっと我に返ったのか目を細めた乃慧琉は小さく首を左右に振った。
「…そうでもないよ。それよりついて来てくれてありがとう」
「え、もういいの?」
「うん。もう見たから」
行こうと呟いた乃慧琉は運動場に背中を向けて歩いて行く。遠くにいる叶音はなにかを言いたげな顔でこっちを見てる。だけどお互いに何も言わないまま、乃慧琉達はグラウンドを後にした。
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