29.大人の定義
「第1回!恋バナ大会!!」
詩音が風呂から上がりリビングに入るなり、それは唐突に開幕された。母さんの仕事がどうやら切羽詰まっているようで、書斎へは行けなかったらしく早めの開催だと葵が言う。
しかも、お客さんを泊める時に使う布団達がリビングの真ん中にドカンと敷かれているから驚いた。
「パパが今日はここで寝ても良いよって、リビングに葵達の分の布団を敷いてくれたの」
「どうせならパパも参加したいなぁ」
「いいよー。ママの話以外ね」
「え〜、それだと話すこと無いなぁ」
そう言って呑気に、離れたところにあるリビングの椅子で楽しそうにしている父さんに詩音は少しだけ感心する。切り替えが早くて柔軟なところが、詩音から見た父さんの好きな所だからだ。
「お兄ちゃんの席、ここね」
ぼふぼふと、こっちへ来るようにと真っ白な布団を手のひらで叩いた。詩音から見て右側に葵、乃慧琉、そして詩音と布団が並んでいる。
「お兄ちゃんも乃慧琉ちゃんと話したいだろうから、仕方なく乃慧琉ちゃんを真ん中にしてあげたよ」
「それはどうもありがとう」
本気で言ってたら面白いなと思いつつも、詩音は布団では無くソファーに座った。すかさず葵が不思議そうな顔をして尋ねてくる。
「なんでそっちに座るの?」
「まだ眠たくないから」
「ふぅん…葵はもう7割ぐらい眠いよ。乃慧琉ちゃんは?」
欠伸をしながら葵からパスを回された乃慧琉は「少し眠いかな」と小さく微笑んだ。それが本音かどうかは分からないけれど、葵と話す時の乃慧琉はいつも穏やかに見えて、詩音はその乃慧琉が沢山の乃慧琉の中で一番好きだと思った。
「みんなが寝る前に始めなきゃね。誰から話す?」
ウキウキとした様子で布団を首まで被った葵の横に居る乃慧琉は、敷布団の上に三角座りをして優しい顔をしてる。
「私は恥ずかしいから、葵ちゃんに先に話してもらおうかな」
「じゃっ、葵の好きな人の話ね」
そう言って、へへへと布団を頭まで被った葵はクラスメイトにあんまり話したことないけど気になる子がいるという話を始める。乃慧琉は笑顔を保ったまま葵の話に耳を傾けていた。
すると椅子に座っていた父さんがチラリと時計を見上げ、そっと立ち上がる。恐らく忙しい母さんの仕事を手伝いに行くんだと思う。あとは自分の可愛い娘の好きな人の話に嫉妬するからあえて聞かないのかも。父さんが立ち上がったことに気付いた乃慧琉が小さく頭を下げれば、返事するように手を振った父さんはリビングを出ていった。
メンバーが一人減ったことに気付かない葵はクラスメイトの話を続けている。
「その子、学校ではあんまり他の子とも話さないしいつも静かなんだけど毎朝通学路で葵と挨拶だけするんだよ」
「へぇ、面白いね。毎朝葵ちゃんが声を掛けるんだ」
「ほとんど葵からだけど、たまーに向こうからおはようって言ってくれる。でもそれだけ」
「挨拶だけなんだね。他に色んな話をしてみたいなって思わないの?」
「思うけど、相手がそれで良いなら葵も良いかなって」
ソファーに保たれて話を聞いていた詩音は、葵の言葉に少しだけ驚いていた。家でも外でもマシンガントーク炸裂の葵が、気になる子を相手にすると向こうの気持ちを汲み取ろうとしているなんて、想像もつかなかったから。
「本当は話したいんだよ?でもあんまり話すの得意そうじゃ無いし、葵からグイグイは行かないことにした」
それを聞いた乃慧琉が三角座りをゆらゆらと揺らしながら笑った。
「でもその子、ちょっと一ノ瀬くんに似てそうだね」
「えっ!?」
驚嘆をあげて布団から勢いよく出てきた葵は「似てないよ!」と嫌そうに顔をしかめる。
「どうして?一ノ瀬くんもあんまり話さないし」
「多分だけどその子は話せばお兄ちゃんよりは面白いよ」
「あのなぁ…」
黙って聞いていればと口を挟もうとしたが、流れるように乃慧琉と視線が合ったので詩音は思わず口を
「でも葵ちゃんのお兄さんはいつも優しくて、ここぞって時に頼りになるの」
「……お兄ちゃんがぁ?」
「そうだよ。だからお兄さんみたいな人を好きになったなら、幸せなことだと思う」
そう言ってチラリとこちらを見た乃慧琉の視線から、慌てて目を逸らした詩音の脈拍は異様なほど速くなっていた。まるでドロドロに溶けた甘くて熱いチョコレートを指で
「…やっぱり乃慧琉ちゃんとお兄ちゃんって付き合ってる?」
流石に変な空気になっていることに気づいたのか、疑心暗鬼な顔をした葵は詩音と乃慧琉とを交互に見た。そんなんじゃないからと否定をしようとすれば、すぅと伸びた乃慧琉の人差し指が詩音の前に差し出される。そして目を丸くした葵に近付いた乃慧琉は悪戯っぽく笑って囁くように言った。
「私と一ノ瀬くんはね、大人の関係なの」
ガーーーーーン!!
なんて、頭上に大きく効果音が浮かび上がりそうなぐらいには衝撃を受けましたみたいな顔をして固まる葵に「高岡さん!!」と慌てた詩音の大きな声が滑り込む。途端に乃慧琉が吹き出した。
「ふふ、なんか二人とも可愛いね」
布団にころりと寝そべった乃慧琉は薄い唇を綺麗な形に広げて笑った。それを見た葵はなんだ冗談かといった顔をして、だけど騙されたことが不満だったのか微かに唇を尖らせている。詩音はというと乃慧琉のお陰で忙しなく移り変わる自分の感情についていけないでいた。
「でも、大人の関係ってなんだろうね」
ひとしきり笑ったあと目を細めた乃慧琉は詩音達に視線をやった。それを聞いた葵も確かにと考え出す。流れるように布団に散らばった乃慧琉の艶やかな黒髪は、一ノ瀬家のシャンプーで洗っても乾かしても変わらず綺麗だ。髪の束を眺める詩音の横で何かを思いついたのか、ふっと顔を上げる葵。
「そもそも大人が分からないよ。20歳を超えたら大人なのかな」
「なら葵はあと4年で大人になるのかよ。父さんみたく40歳でも心が子供みたいな人はいるよ」
「そういえばパパが言ってたよね。自分のしたことに責任を取れる人は大人だって」
葵の言葉に詩音は頷く。葵の言うように、父さんはよくそんな話を葵や詩音にするから覚えてる。
「難しい事はよく分かんないけど、葵はママみたいな大人になりたいなー」
そう言って大きな欠伸をした葵は布団の形を整えてかぶり直す。そして目を閉じ「もう眠いかも」とモニャモニャしながらボヤいた数分後、力尽きたように寝息を立てて眠ってしまった。頬がぷっくりと丸い葵の寝顔は小さな子供みたく幼い。
他人がいても自由人をかまし続けた葵がようやく眠りについたことで詩音は深い溜息を吐く。自分のいないところで葵から何かデリカシーの無いことを言われなかったかと乃慧琉へ聞こうとした時、頬杖をつきながら葵の寝顔を眺めていた乃慧琉が先に口を開いた。
「可愛いね。一ノ瀬くんの妹さん」
乃慧琉の伏せたまつ毛はつぅと長くて、瞬きするたびに儚く揺れる。詩音はまつ毛の下にある整った鼻筋を見つめながら言った。
「…それ、葵が聞いたら喜ぶと思うよ。さっき冗談だって言ってたけど本当にお姉ちゃんが欲しいと思ってた時はあったと思うから」
自分で言って少し切なくなる。だけど乃慧琉は、そんなことはないと頭を左右に振った。
「だって一緒にお風呂に入っている時にね、葵ちゃんてば何度も聞いてくるの」
「な、……なにを?」
「本当に付き合ってないの?って」
「……………」
「もし付き合ってたら、内緒でも良いけどお兄ちゃんのこと絶対振らないであげてねって言われたの。可愛いよね」
くすくすと笑った乃慧琉に、詩音は急激に自分の顔に体温が集まってくる感覚に襲われていた。どうやらさっき詩音に言ってきた、"乃慧琉の布団を真ん中にしてあげる"は本気だったらしい。そして反対に、自分達の奇妙な繋がり方を葵が知ったら、嫌な気持ちになるかもしれないなぁと思って温度が冷めていく感じもした。可愛い妹に、最低な兄だとは思われたくないのが本心だった。
詩音は掛け時計を見上げる。短い針は11のところにあった。そして時計から乃慧琉の方に視線を移した。
「高岡さん、眠たい?」
聞かれた乃慧琉は当たり前のように首を横に振る。
「…そっか。それなら眠くなるまで二人で色んな話をしてみようよ」
そう言って誘うように詩音が笑うと、乗ったと言いたげに乃慧琉も口角を緩ませて微かに笑った。
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