25.大事件

高岡家の門の前で、着替えてくると告げた乃慧琉を自転車に跨った状態で待つ。家においでと威勢よく誘ったは良いが後のことは何も考えてない。

それに、登校初日の謎にやらされる自己紹介程度には緊張している。なんてったって学年のアイドルを自転車の後ろに乗せるんだ。そもそも女の子と二人乗りなんてしたことないし、家に連れ込むなんてもってのほか。誘った時の自分は、詩音が知っている範囲で考えると恐らく自分ではない。


「お待たせ。行こっか」


白い生地のシャツに濃いネイビーのジーンズを合わせたシンプルスタイルの乃慧琉が家から改まった様子で出てくる。こう見ると本当に乃慧琉は抜群にスタイルが良い。こんなに素朴な服装なのに、というかそのシンプルな格好がより乃慧琉を綺麗に見せてる。

でも、可愛いねなんて面と向かっては恥ずかしくて言えないので頭の中だけでその言葉を再生した。


「後ろ、乗るね」


「うん」


本来は人を乗せてもいい場所では無いが、後ろのキャリアーに乃慧琉が座ったのを確認して、ぐっと前に漕ぎ出す。途端に乃慧琉の体がぐらりと傾いて詩音の背中にぶつかった。慌てて体勢を立て直す乃慧琉。


「あ、ごめんなさい…!」


「いやっ、僕こそ急に動き出してごめんね」


慌てて後ろを振り向いた詩音と乃慧琉の目が合う。少しの間、黙ったまま見つめ合う二人。


「…………」


「……………」


「背中掴んでても良い?」


「うん…」


小さく返事をすると、俯いた乃慧琉は腰の下の方をぎゅうと軽く握った。熱い手の感触が少しくすぐったくて体をよじらせれば、何が面白いのか後ろで乃慧琉が笑う。同じように笑った詩音は行くねと声を掛けて再び地面を強く蹴った。自転車は音を立てて前に進む。凛々果達と登って来たゆるやかな坂道を降りていけば、心地よい風が頬をするりと撫でた。


「風が気持ち良い」


家から遠ざかるほどに、乃慧琉の軽やかな気持ちを風へ乗せていくような声色に詩音も心が弾む感じがした。閑静な住宅街を越え、詩音達は人の行き交う道をご機嫌に駆け抜けていく。



***



それから数十分後、白を基調とした外観の一軒家の前に二人は立っていた。サーモンピンクの屋根がちょんと乗っているシルバニアファミリーみたいな二階建ての家を見上げた乃慧琉。


「…可愛い家」


玄関先には沢山の花壇が置いてありミニ薔薇のアーチや動物や植物を模した小物達が並んでいた。閑静で色彩が少なく、高圧的な雰囲気さえもある乃慧琉の家とは正反対だ。乃慧琉は物珍しそうに小さなそれらを一つ一つ眺める。


「ごちゃごちゃしてるよね。父さんの趣味なんだ」


少し恥ずかしそうに言った詩音は家のインターホンを鳴らした。どこか優しげな男の人の返事、かと思えばすぐに玄関の扉が開いて中からエプロン姿に黒縁の眼鏡をかけた男性が出て来る。


「詩音おかえり〜。今日は遅かった、な…」


笑顔で玄関から出て来た父さんは、眉をハの字にする詩音の隣にいる女の子を見て目を丸くさせた。こんばんはと頭を下げる乃慧琉だが父さんの様子がおかしい。ガーン、みたいな擬音を顔で表した父さんに何かを感じた詩音は慌てて「クラスメイトの高岡さん!」と声を張ったがもう遅かった。


「まっ、ママぁーーーー!どうしよう!!大変なことが起こった!事件だ!詩音が女の子を連れて帰って来たよ!!」


玄関の扉を全開にしたままエプロン姿で家の中へバタバタと走っていった父さんの背中は、我が子から見ても普通に面白い。取り残された詩音は苦笑いをしながら乃慧琉の方へ目をやった。予想通り、乃慧琉は心底驚いた様子でそれを見てる。


「なんかごめん…」


「一ノ瀬くんのお父様、エプロンがよく似合うのね」


しみじみと呟いた乃慧琉に、絶対そっちじゃないだろとツッコミそうになったけどやめた。そもそも突っ込みどころなんて初めから満載だ。


「私、お邪魔して良いのかな」


「もちろんいいよ!ちょっと……すごく騒がしいかもしれないけど…」


楽しそうと頷いた乃慧琉は少しばかりワクワクした様子で家の中に入って行く。


「お邪魔します」


靴を脱いだ乃慧琉は玄関に上がって靴を静かに揃えていた。そういえば乃慧琉の家の靴も、スリッパ含めて同じ方向を向いていたことを思い出す。ちゃんとした家の子なのかと記憶を蘇らせていると、廊下の突き当たりにある部屋の扉が勢いよく開いて父さんが飛び出してきた。


「ようこそ、一ノ瀬家へ!詩音の父の一ノ瀬 健志けんしです」


突き当たりの、父さんが今まさに出て来た部屋は母のいる書斎だ。助言でも求めに行ったのだろうか。再度不思議なテンションで出てきて、息子の友達にしっかりと自己紹介をしてみせる父さんに負けじと乃慧琉はニコニコして頭を下げた。


「こんばんは。一ノ瀬くんと同級生の高岡乃慧琉と言います」


「ほー!ノエルちゃんかぁ、嬉しいな〜!詩音が凛々果ちゃん以外の女の子連れてきたのは初めてなんだよ〜」


父さんは笑いながらそう言うけど、凛々果をここに連れてくるのは一緒に勉強をする為で、その時は必ず龍心が居るし、しかも数えれるほどしか無い。だけどそんなことはあえて言うほどでもないかと何となく口籠る。


「ご飯食べて行くんだよな。よしよし、今日はグラタンなんだ!詩音と手を洗ったらリビングへおいで」


明るいオレンジ色のエプロンを括り直した父さんはご機嫌な様子でリビングに歩いてった。陽気で、どこか可愛らしい性格の父親だ。ようやく家に戻ってきた感じがして、ホッとした詩音は洗面所の方を指差す。


「とりあえず手、洗おっか」


乃慧琉を洗面所の方に案内した。水を出してサラサラと手を洗う乃慧琉の後ろ姿に、とりあえずといった感じで一息つく。

一人であの部屋に置いておくのはどうかと思って勢いで家に連れてきたけど、ここからどうするかの計画を立てている筈などない。ノープランで行き当たりばったり。

はてさてどうしたものかと考えていれば二階から、スドドドドドドド!と階段を流れるように降りてくる音がした。乃慧琉がびくりと肩を揺らして音の聞こえてきた天井の方を見る。


「あおいーーー!走ったら危ないぞーー!」


父さんの当たり前とも思える声が聞こえた後、バーンと洗面所の扉が弾け飛んだんじゃないかってぐらい思い切り開いた。


「お兄ちゃんが彼女連れてきたって本当!!?!?」


からの、これだ。次から次へと勘弁してくれと詩音は頭を抱える。"あおい"と呼ばれたその女の子は詩音の二つ下の妹であり、良くも悪くも兄を兄だと思っていない、ある意味でいえば乃慧琉よりもやっかいな女子の一人だ。そして乃慧琉と対峙した葵は、売れっ子の芸人みたいにデカいリアクションをしてその場で飛び跳ねる。


「えええええ!!!ほんとにいる!!しかも可愛い!外国人?日本人?ま、どっちでもいっか!」


馴れ馴れしく詰め寄る葵に乃慧琉は押され気味だ。


「高岡、乃慧琉です…」


と、水でびしょびしょに濡れた手を中途半端にぶら下げたままで自己紹介をしてる。だが葵は、ドラクエでいうところの "ガンガンいこうぜ" とかを作戦に選ぶタイプの人間だ。


「ノエルちゃんって言うの!?めっちゃ可愛い名前じゃーん!素朴な疑問だけど、お兄ちゃんの何処が良かったんですか?地味だし目立たないし、ダサいのに」


「一ノ瀬くんの、匂いが良くて」


「匂い?柔軟剤の?なんか変わった人だね」


「葵、失礼だろ!高岡さんも変なこと言わなくて良いから…!」


慌てて二人の間に割り込んだ詩音だが、ガンガンいこうぜの葵は力強く押し退けてくる。


「なーんで彼女のこと苗字でさん付けしてるの?病院の受付じゃ無いんだからさぁ、これだからお兄ちゃんは…」


「高岡さんは彼女じゃないって!もうやめろよ」


のちの彼女ってこと?なら凛々果ちゃんとライバルだね」


「アホか………ほんとに…」


アホなんだと思う。しかも葵は乃慧琉どころか凛々果を連れてきた時もこうだった。女子を連れて来た!なんて父さんと散々騒いだあと、互いに好意が無いと知って萎えたのか一緒に来ていた龍心に宿題のわからないところを聞いてた。祭りのように騒ぎ立ててはサラッと波のように引いていく。それが葵だ。


「乃慧琉ちゃんって呼んでもいいですか?いいよね、もしかしたら彼女になるかもなんだし」


一人で聞いて一人でウンウンと納得してる。もはやヤバい奴じゃないか。呆れる詩音を他所よそに、葵は乃慧琉の腕を組んで陽気な歌を口遊くちずさみながらリビングまで連れていった。洗面所を出る瞬間に乃慧琉が至極不安そうにしてたけど「お兄ちゃん手洗いなよ!」と葵からキツめに言われたので素直に従う。


「…これじゃ変に疲れさせちゃうかな」


ポンプ式の手洗い石鹸を深く押し込み、両手に乗せた大量の泡を揉み合わせながら呟く。自分はこの家族に慣れてるし基本は楽しいけど、初めて対峙した乃慧琉はこの空気に気を遣ってしまうかも。ぷつぷつと弾ける泡を見つめながら、詩音はこの後の事を悪い方向に考えずにはいられなかった。

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