23.ずっと子供部屋

「また遊びに行くねー」


 門の前まで詩音達を見送ってくれた乃慧琉に凛々果は大きく手を振る。骨の玩具を持ってコポリと共に敷地の外に立つ乃慧琉は、凛々果みたく手を振って微笑んでいた。詩音と龍心も手を振りながら自転車にまたがる。


「乃慧琉ちゃん、長い時間起きてたね」


 自転車を最初に漕ぎ出した凛々果が興奮したように言った。龍心も同意するように頷く。


「夕方までずっと寝てたって言ってたもんな」


「あんなにちゃんと話せる子だって知らなかったよ」


「てかさ、凛々果はなんで急に下の名前で呼んでるんだよ?僕だってまだ苗字で呼んでるのに……」


叶音かなねが友達だって言うから、なんか親近感湧いちゃってさ。まぁ女の子同士だし別に良いかなと思って」


「ははは、諏訪は良い意味で適当だよな」


 悪い意味だと雑なんだ。詩音は心の中で思う。テレビがアニメだけだって話になった時、空気が一瞬重くなったように感じて心の中でめちゃくちゃ焦った。

 乃慧琉の親が忙しいのは先日叶音から聞いたけど、まさかそれが幼い頃からずっと続いていて、しかも家の中でにまで顕著に現れているなんて思ってもみなかったのだ。


「また絶対遊びに行こうよ!それか私から乃慧琉ちゃんに声掛けてみようかなぁ」


「いいんじゃないか?高岡は何故か女友達が全然居ないからな」


「だよね。明日は叶音も一緒にご飯に誘ってみる」


 ご機嫌な様子で言った凛々果。自分がもしこんなタイプだったら、きっと乃慧琉は自分には絶対声を掛けなかっただろう。だけれども、明るく天真爛漫な凛々果を羨ましくも感じつつポケットに手を突っ込み「あっ」と声を漏らした。


「ん、なに?忘れ物?」


 急ブレーキを掛けた凛々果に詩音は頷く。


「どうしよう。高岡さんちにスマホ忘れたかも」


「鳴らそうか?」


「多分鳴らない。機内モードにしてるんだよ」


「えー、なら行った方がいいよ。悪いけどあたし達先帰ってるね」


「ごめん…また明日」


「おう。じゃあな、詩音」


 待つことを選ばないのは二人らしい。軽く手を振って、シャーっと坂を降りていった二人の背中を見送り詩音は、乃慧琉の家に戻る為に下った坂道を上り始める。


「あれだけ騒いだしな…、ポケットから落ちたのかも」


 妙な気まずさを引き連れ、またもやあの大きな家に舞い戻ってきた。そして門の前に立って顔をしかめる。来た時は閉まっていた門が、家の持ち主がその場に居ないにも関わらず開けっ放しになっているのだ。

 しかも封筒を届けに来た時は未だ明るかったけど、空が暗くなった今改めて見てみると意外にも無機質で圧迫感のある建物にみえた。


 ピーンポーン……


 詩音は恐る恐るインターホンを押す。家の奥の方からコポリが吠える声が聞こえた。だけど乃慧琉からの返事は無い。


「何度もごめんね、一ノ瀬です。部屋にスマホ忘れちゃったかも知れなくて…」


 無反応のインターホンに向かって話しかけた。少し待ってはみたが、やはり返事は無い。詩音は今一度大きな家を見上げる。全部の電気が消えていて少し不気味だ。


「…勝手にお邪魔します」


 呟いた詩音は、門の隙間から家に侵入して玄関の方にコソコソと歩いていく。


「高岡さ〜ん…」


 そして玄関の扉を開けて家の中にそっと足を踏み入れた。廊下を越えてさっきまで自分達が居た部屋へ向かうが、再度立ち入ったリビングの空気は妙に重い。全開だった縁側の扉はぴっちりと閉まっていて、薄暗いリビングに乃慧琉の姿はなかった。

 少しだけ怖くなってくる詩音だが、戻るわけにもいかないので廊下に出て乃慧琉を探す。


「おーい…、高岡さん」


 小さな声で確認するように乃慧琉を呼んだ。そしてふと、一つの部屋の前で立ち止まる。


 "のえる"


 平仮名の可愛いフォントで書かれた少女チックなデザインの札、それが吊り下げられた扉が目に入ったのだ。ここしかないだろ。生唾を飲んだ詩音は恐る恐る部屋をノックする。


「ワゥ…!」


 乃慧琉の代わりに、コポリが返事をするかのように唸った声が聞こえた。


「高岡さん、入るよ」


 乃慧琉はこの部屋に居ると確信した詩音は扉をゆっくりと開いた。室内から漏れた明かりが廊下に光の筋を作り、そっと部屋を覗いた詩音は目を丸くさせてその場に固まる。


「……………」


 どんな状況であろうと好きな女の子の部屋に仄かな期待を寄せる男はきっと、数えるまでもなく沢山居る。詩音も例に漏れずそうであり、可愛くて綺麗で良い匂いのする部屋を無意味に求めてしまったりするのではないのだろうか。

だけど目の前に広がる空間は思ってたものとは遥かに遠く、どんなに上手く言い繕っても自分と同い年の高校生の部屋だといえる内装ではなかった。

 空を模した天井に、壁紙はファンシーな色合いで、床に敷かれたカーペットも同じような雰囲気のふわふわとしたもの。部屋の端にある勉強机とカーテンはお揃いの桃色で、椅子の背丈なんて見るからに低く、机の上にある歴史の教科書と英和辞典がひどいぐらいに不釣り合いだ。整頓されては居るが、どこか気持ちがソワソワするような。

 そう、乃慧琉の自室はまるで子供部屋だった。


 そして二重になったレース生地の天蓋が付いた大きなベッド、無数の愛らしいぬいぐるみの中に乃慧琉は埋もれていた。


「ん…………、一ノ瀬くん…」


 虚な声を上げた乃慧琉は長い黒髪をシーツに散らし一人丸まっていた。くぅんと寂しそうに声を上げたコポリが隣に、ベッドの下だが乃慧琉に寄り添っているのが見える。


「大丈夫?具合が悪いの?」


 迷うことなく部屋に足を踏み入れた詩音は慌てて駆け寄る。天蓋を手で掬い上げるように避けて乃慧琉の顔を覗き込んだ瞬間、すぅと白い手が詩音の方へ伸びた。


「あ、わ、」


 何かを言いかけた詩音だが、ベッドの上に並ぶウサギやリスのぬいぐるみを見て言葉を飲み込む。手を広げて詩音を抱きしめた乃慧琉が「寂しかった」と耳元で小さく囁いた。


「……っ!」


 鼓膜の奥深くを揺らすその声に、思わず身を硬くさせた詩音。緊張で動かなくなった詩音の身体を、乃慧琉はベッドの中に勢いよく引き摺り込んだ。

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