22.犬と妄想と友情と
「やめろよ凛々果!!」
縁側に差し込む陽が少し薄くなってきた頃、詩音の切羽詰まった声が広い部屋に響いた。そのすぐ後に爆笑する凛々果の笑い声と、コポリの元気な鳴き声が続く。
ケラケラと笑う凛々果の手にあるのは骨の形をした犬用の玩具。それをコポリが追いかけ、追いつきそうになった頃に凛々果がわざと詩音の方に投げつけるのだ。犬が怖い詩音は死ぬんじゃないかっていうレベルで部屋の中をドタバタと逃げ惑う。
「待て!り、凛々果!早まるな!!」
追いかけることに必死なコポリは玩具が飛んだ方向に突進してくる。そこに人が居ようとお構いなしだ。そして楽しそうに吠えるコポリから激しいタックルをかまされ、床に吹き飛ぶ詩音を見る度に凛々果はお腹を抱えて笑う。
「これだけ触れ合えば、流石にもう怖くないでしょ?」
コポリと骨を引っ張り合いながら凛々果は言うけど、そういう問題じゃないと詩音は心臓をバクバクさせながら首を左右に振った。しかも触れ合ってるんじゃなくて、どう見ても一方通行だ。
「僕は飛びかかってくるのが怖いんだ…!」
「乃慧琉ちゃんと仲良くなりたいなら、先にコポリと仲良くならないとね」
「……………」
「ほら!いけ!」
叫んだ凛々果は大型犬から奪い取った骨を詩音に投げ付けた。すると待ってましたとばかりにコポリが詩音に飛び掛かる。
「あっ!痛い!爪が!お、重い!」
途切れ途切れの単語と、犬の鳴き声と凛々果の笑い声が広い部屋の中に充満していた。
大騒ぎしている二人と一匹から少し離れたところに、打って変わって落ち着いた様子で龍心と乃慧琉が座っている。どちらも静かな顔をして、活発に走り回る凛々果達を眺めていた。
「…あいつら元気すぎるだろ。悪かったな、高岡。急に来たと思えばこんなに騒ぎたててしまって」
「全然、いいの。家にテレビ以外の音があるのがすごく嬉しい」
「普段からそんなに静かなのか」
「静かだよ。いつもこの家は私一人だけで、特に話す相手もいないし…」
「こんなに広い家にずっと一人で寂しく無いか?」
「どうだろう。もう慣れちゃったかな」
「…もし、高岡が良ければ毎日俺がここに」
「…え?」
なんて、そんな会話をしているのだろうか。詩音は犬にのし掛かられながらも、縁側に座る二人を見てそんな事を思った。割と遠くにいるし、凛々果とコポリの声がデカいから龍心達が話しているのか話していないのかさえも分からない。けれども美男美女のカップルのように見えて、お似合いで良さそうな雰囲気さえ漂う。なのに自分は犬が怖いとか言って走り回ってるし、なんだか腹が立ってきた。
「くそー!なんで僕は犬が怖いんだ!」
自分に問い詰めるように大きな声で叫べば、コポリがワン!と答えるように大きく吠える。
「はは、なんか逆ギレしてる」
詩音の方が怖いからと凛々果は笑うけど、確かに凛々果の言う通り飼い犬のコポリと仲良くなれば乃慧琉とも親しくなれるかもしれない。
「凛々果!骨貸せよ!」
「何急にテンション上がっちゃってんの」
「いいから!僕は犬を克服するんだ!」
「もう克服してるように見えるけどね」
呆れた顔をしてる凛々果から骨を受け取った詩音。するとそれを見たコポリが尻尾を振って詩音を見上げた。遊んでくれる新しい人間を見つけて、キラキラと輝く琥珀色の瞳は愛おしくも見える…‥たぶん。
「ワン!ワンワンワン!」
一際大きく吠えたコポリは、全速力で詩音に向かって走ってきた。途端に詩音の顔がこわばる。やっぱりめっちゃデカい、勢いが凄い、玩具を持つ手をガブって噛まれるかも。
「うわわわっ、わぁーーー!!!」
コポリよりも大きな声で吠えた詩音は、思わず骨を遠くに投げる。するとコポリは急ブレーキを掛けて身を翻し、骨が飛んでいった方向に駆け出した。
「きゃあ!」
投げた骨は縁側に居た二人の方に飛んで行き、コポリは興奮した様子で乃慧琉に飛びかかる。コポリに押され、後ろに倒れた乃慧琉のショートパンツの隙間からレース生地の黒い下着がチラリと見えた。本能でパンツに目をやったあと、凄い勢いで視線を逸らした詩音は「ごめん!」と謝って彼らに駆け寄る。
「おい、高岡大丈夫か?」
龍心が心配そうに乃慧琉を覗き込んだ。木の床に寝そべる乃慧琉は何が面白いのか満面の笑みでコポリと
「大丈夫だよ。いつもこんな感じなの」
大きな舌が乃慧琉の頬や耳を舐める。くすぐったいと笑う乃慧琉を見て、凛々果達はホッとしたように微笑んだ。
「じゃあ、そろそろ帰ろうか」
手に持ったスマートフォンを見てそう言ったのは龍心だ。詩音はハッとして掛け時計を見上げる。封筒を届けるだけだったのに、いつの間にか家に入ってから二時間ほど時間が経っていた。
「玄関まで送るね」
コポリを押し退けて起き上がり、スリッパを履き直した乃慧琉は立ち上がる。
このまま一人にしても良いのだろうか……詩音は微かに不安を覚えるが、だからといってここから自分に出来ることが何も無いのにもなんとなく勘付いていた。
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