7.有馬龍心

こんなに長く起きて、しかもきちんと動いている高岡さんを見るのは初めてだった。なんせいつも、常に、当たり前に眠っているし、授業どころか体育でさえも眠たそう。ろくに彼女と会話らしい会話をしている人などいなかったのだ。

なのに隣の席にも関わらず見てるだけしか出来なかった人間。つまり僕が、みんなが羨む学校一の美少女に「匂いが好きなので一緒に寝よう」なんて頼まれてしまうなんてことあってもいいのだろうか。…別に良いだろう。


「一緒に寝るんじゃなくて、話し相手になるとかなら僕にでも出来るかもしれない」


下心を抜きにして考え、絞り出した返答だった。床に寝そべる僕の上に乗ったまま、視線を伏せた彼女は頷く。


「眠れるようになるまでよろしくお願いします…」


「こちらこそ…」


僕の上からのそのそと降りて床に座った彼女は、ペコリと僕に頭を下げた。起き上がった僕も同じように頭を下げる。

そんな訳で、どうやら高岡さんと僕の、二人だけの秘密の関係が始まってしまったらしい。


「あの…僕は何もできないけど、夜に眠れるようになればいいね」


「そう思ってくれるの?嬉しい」


「そりゃあ…寝たい時に眠れないのは辛いだろうし」


「ありがとう。でも一ノ瀬くんは居るだけで良いんだよ」


そう言って彼女はニッコリと笑う。僕よりも目立っててかっこいい男子生徒達なんて沢山居るし、そんな人達がこぞって群がる可愛い子に自分の存在を認められるって悪くない。というか凄く心地良い。なんて、自己満に浸りきっている僕を控えめな笑顔で見上げた彼女。それが可愛らしくて、僕も同じように微笑む。


「とりあえず行こう」


荷物を取りに行かなきゃと彼女を促し、僕達は教室を出た。


「教室開いてるかな…」


「ふわぁ……、安心したら眠たくなってきた」


呟いた僕の隣で高岡さんは欠伸をしたあと瞼をゴシゴシとこする。ぐずる前の赤ちゃんみたいな表情に嫌な予感がしてきた。


「高岡さん眠たいの?」


「うん……」


ゆらりと頷いた高岡さんは階段を降りながら、うつらうつらと不安定に頭を揺らしている。


「ここで寝たら危ないよ」


廊下を歩く彼女に言うが返事をしない。目をしょぼしょぼとさせながら歩く彼女は、酔っ払いみたいに足元がおぼつかない。


「せめて教室まで戻ろう」


「…………」


彼女は踊り場でぴたりと足を止めた。まさか廊下で立ったまま眠るんじゃないだろうな。もう目の前に教室があるのに、と僕は思う。瞼を閉じた高岡さんの手を引っ張って移動を促す僕。


「お、詩音」


踊り場の下から声が聞こえてきた。高岡さんから教室の方に視線をやれば、僕のクラスの前に姿勢の良い男子生徒が一人立っている。


「そんな所にいたのか」


探したんだぞと、僕を見上げて嬉しそうにした龍心。彼は先程僕を呼びにきてくれた凛々果が言っていた友達。有馬ありま龍心りゅうしんだ。


「荷物も置きっぱなしでどこに行ってたんだよ」


そう尋ねてくる彼の、綺麗に並んだ歯が僕に笑いかける。なんと返せば良いのか、僕は助けを求めるように高岡さんの方に目をやった。

だけどなんだか様子が変だ。さっきまで眠っていたはずの彼女だったが、今度はぱっちりと目を開けて地面をじっと見つめてる。


「…あれ、高岡さん?」


僕は彼女を覗き込んだ。長くて艶やかな黒髪の隙間から見えた彼女の顔は、もう眠たそうじゃない。


「え…」


雰囲気が変わった彼女に僕は戸惑う。一体なんだろうと考えていると、下の階に居た龍心が僕の方に近づいてきた。


「あれ、高岡と一緒にいたのか」


特に不思議がる様子もなく龍心は階段を上がってくる。僕が返事をしたその瞬間、彼女は俯いたままバッと勢いよく階段を降りた。風を切るようにすれ違う龍心と高岡さん。


「お、なんだ?帰るのか?」


龍心の言葉に彼女が答えるはずもない。階段を一つ飛ばしで駆け降りて行った彼女は教室に滑り込み、鞄を持ってまた教室から出てきた。そしてこちらを見ることなく走って行ってしまった。


「………………」


踊り場にぽつりと残された僕と龍心。


「何かあったのか?」


「いや…急いでたんじゃないかな」


尋ねてくる彼に、僕は首を左右に振って笑った。

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