第2話

 そのような会話が繰り広げられてから約一ヶ月後の火曜日。相変わらず二、三十分経つと生徒はほとんどいなくなり、図書委員だけになる。


「ねえ、蒼遥君って数学得意なんだね。いいなあ。教えてよ」

「美優さんこそ、国語と英語、上のクラスじゃん。数学だって上のクラスで苦手なわけではないし、満遍なくできるんだね」

「いや、それでもこの間のテストが良くなくって。この複素数のさ……」


 私立文系に絞っていて数学は忘却の彼方に行きかけている真司にとっては未知の世界の会話が始まったので、読み終わった小説をこっそりと返しに行こうとした。美優も読みたがっていた新刊だったので、そのまま貸し出し手続きをすればいいのだが、どうせ本棚に戻してもすぐに見つけるだろうとタカを括っていたのだ。人とのパーソナルスペースが広い美優にしては蒼遥に近づいているし、蒼遥も満更ではない様子で数学を教えている。


「あ、ちょっと待って。先輩! なんでその本を棚に戻そうとするんですか!! 私読みたいですって言ってたのに!」


 ぎくりと真司は足を止める。付き合っているはずではない二人なのに醸し出されるなぜか甘い雰囲気に当てられて逃げようと思ったのだが、本には目がない美優に見つかってしまった。


「ああ、ごめん。お取り込み中みたいだったから」

「数学より新刊の方が重要に決まってます」


 一瞬で目の据わった美優に内心びびりながらも本を差し出す。


「はい、どうぞ」

「ありがとうございます」

「美優さん、貸し出し手続きするよ」

「お願いします!」


 真司には、貸し出し手続きをするという蒼遥の声に笑顔になった美優が、もはや本が嬉しいのか蒼遥とのやりとりを喜んでいるのかわからない。ちょうど五時にもなったことなので、煩悩とは何か違うこのもやもやとした気持ちを、体を動かしてボールを追いかけることで解消しようとそそくさと図書室を後にした。

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