水面の列車

中田もな

Wildes Heer

 冷たい風の吹き荒れる、寒いさむい冬の夜。僕を乗せたこの列車は、一体どこへ向かうのだろう。

「威勢良く飛び乗った割には、随分としょぼくれた顔をしているな」

 僕の座った赤いシートは、ふかふかとしていて心地良い。目の前の黒いシートには、銀色の重そうな鎧を着た、古臭い喋り方をする人がいる。

「あの……。この列車って、どこ行きなんですか……?」

「何だ、貴様。そんなことも知らずに、のこのこと足を踏み入れたのか」

 鎧の人はふんと鼻を鳴らすと、足元で丸まっている犬の頭を撫でた。茶色の犬は嬉しそうに、耳を上下にパタパタさせている。

「だって、僕……。お母さんに、『もう帰って来るな』って言われたから……」

「ならば、別に気にする必要はないだろう。この列車が停まるまで、ゆっくりとしていれば良い」

 真っ黒な髪の女の人が、緑色のドレスを引きずって、隣の通路を歩いている。手押しのワゴンを押しながら、お弁当や飲み物を販売しているみたいだ。

「魔女の娘よ。私に一杯、ワインを注いでくれぬか。そこの少年にも、ベリーのクッキーをくれてやれ」

 鎧の人は意外と優しくて、僕の分のお菓子を買ってくれた。金色の器に注がれたワインを飲みながら、足元の犬にも干し肉をあげている。

「実を言うとな、私にも分からないのだ。このような動く箱に飛び乗るのは、全く初めてのことだからな」

「……そうなんですか?」

「ああ、そうだ。どのような仕組みで動いているのか、皆目見当もつかない」

 この人は、列車のことを知らないらしい。昔の人のような格好をしているけれど、本当に昔の人なのかもしれない。

「だがしかし、これはこれで面白い。冒険に出るときはいつも、分からないことだらけだからな」

 この人の「冒険」という言葉が、僕の心にストンと落ちた。僕はお母さんに殴られて家を飛び出したんじゃなくて、冒険に出るために家を飛び出したんだ。

「僕も……、僕も、冒険に出たいです!」

 僕がそう言うと、鎧の人は嬉しそうに笑った。光のような金髪が、肩の上で踊っている。

「ならばこの列車が停まったら、私とともに来い。上等な騎乗馬と、立派な鎧を用意してやる」

 鎧の人が冒険の話をした途端、茶色の犬がすっと立ち上がった。僕の膝の上にぴょんと飛び乗って、尻尾をブンブンと振り始める。

「全く、おまえは。最早、冒険に行く気分か?」

 この犬の名前は、「カヴァス」というらしい。鎧の人が、何度もそう呼んでいた。

「ほら、こちらに戻れ。あまり興奮すると、すぐに腹が減るだろう」

 鎧の人はひょいと犬を抱えると、犬の温かいお腹をこしょこしょとくすぐる。そして窓の外を見ると、緑色の瞳を輝かせた。

「おい、貴様も見てみろ。この列車、水の上を走っているぞ」

「えっ……!? み、水の上……!?」

 慌てて窓に顔をつけると、確かに列車は水の上を走っていた。星の欠片が落ちたみたいに、小さくきらきらと輝いている。

「最初は『やけに速い箱だ』と思ったが、慣れれば実に快適だ。おまけに景色も美しい」

 鎧の人は優しく目を細めると、残ったワインを一気に飲み干した。僕も残りのクッキーを全部食べ、犬も取っておきの干し肉を食べた。

「ようこそ、新たな乗客よ。神々の名の下に、心から歓迎いたす」

 ……そのとき、列車についたスピーカーから、男の人の低い声が聞こえてきた。少し怖いような、だけど穏やかような、そんな感じの声だ。

「あなたが、この列車の主か。名は何と言う」

「我が名はオーディン。九つの世界を見渡す神であり、『ワイルドハント』の軍を動かす神でもある」

 僕は全く分からなかったけれど、鎧の人は理解できたらしい。「ワイルドハント……。ふむ、そうか……」と言いながら、ゆっくりと腰を下ろしていた。

「この列車が私の前に現れたのは、私がワイルドハントの一員だからか。あなたは私を乗せるために、はるばるブリテンまでやって来たのだな」

「左様だ、アーサー王。我々は風の強い冬の夜に現れ、人々の世界を駆け回るのだ」

 ……何だか僕は、びっくりするような場所に来てしまったみたいだ。だけど不思議と、怖くはなかった。

「この列車は様々な場所を巡り、我々は新たな仲間を見つけ出す。アーサー王よ、次はどこへ向かうべきか?」

「ならば、オークニーに行けば良い。あそこには沢山の妖精と、寒い夜にしか現れない馬がいる」

 僕はこの列車に乗って、色々な世界に行けるんだ。そしていずれ終点に着いたら、馬に乗って冒険に出掛けるんだ。

「さあ、貴様も腰掛けろ。じきに海が見えてくるぞ」

 鎧の人にそう言われて、僕は大きく頷いた。僕もきっと、ワイルドハントの一員になれたんだって、そう思ったから。

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