第36話 室田先生は難攻不落で

 やるべきことは決まった。


 しかし、すべては室田夫人のご主人、室田むろた泰典やすのり先生の協力が必要だ。


 今日は20時ごろに帰ってくるというので、みんなで室田邸に移動した。


 夫婦でじっくり話し合いをしようと、当初はそう考えていた室田夫人だが、もうこうなると一気に話したほうがいいと判断した。


 待つあいだに、これまでのことを全て、小林さん、室田さん、娘の早貴ちゃんに説明する。それぞれが知っていることと知らないことがあるからだ。


「なんか、入学早々、すごいわね、ふたり」


 あきれて言ったのは小林さんだ。


「お母さん、私、女神センパイのとこ受験する!」

「あなた、お父さんの高校行くの?」

「うわー、それがあった!」


 まあ、お父さんの学校には行きたくないよな。でも室田先生は、やさしそうな先生だった。


 その人柄は、このリビングルームにもあふれている。前に来たときはバタバタしていたので、あらためてながめた。


 水色のソファーカバーに、家具は白っぽい無垢の木材で統一していた。なんて爽やかな部屋。室田夫人の趣味かもしれないが、ふたりの趣味が合致している気がする。


 その証拠に、TVの下にある棚にはブルーレイが並んでいて、昔のアットホームなコメディばかりだ。『奥さまは魔女』に『フルハウス』か。『アーノルド坊や』ってなんだ?


 それに南の庭に面した窓は大きなガラス窓だったが、西側には出窓があった。そこには花を生けた花瓶がある。


「とても、幸せそうな家庭の空気を感じます」


 玲奈が言った。おれと同じようなことを考えたようだ。それに、そうだった。玲奈は小さいときに両親をなくしている。


「おとなになったら、こういう温かい家庭を築きたいものですね」


 そのときは山河勇太郎をご指名くだされ! そう言おうと思ったら、玄関からガチャ! と音がした。


 室田夫人がさっと立ち、急いでリビングから玄関にいく。


「あなた、ちょっと、お話が」

「もういいよ、きみの話を聞いてると、頭がおかしくなりそうだ」


 ふたりの話し声が聞こえた。ありゃりゃ、のっけから険悪ムード。


 リビングに入ってきた旦那さん、つまり室田先生は足を止めた。そして、おれ、玲奈、小林さんを見る。三人とも、朝倉西高の制服だ。


「葉月玲奈・・・・・・」


 室田先生がつぶやいた。


「あなた、玲奈ちゃん知ってるの?」

「職員室で話題の一年生だ。いや、失礼!」


 室田先生はあわてて打ち消したが、まあ、そうだろうね。


「ほかのふたりは、初めて見るな」


 先生、今日に屋上で見てるはずなんですが、まあそうだよね。おれは目立つような顔じゃない。


「おれ、1ーAの山河勇太郎です」

「1-Fの小林こばやし可林かりんです、おじゃましてます」


 小林さんって、カリンって名前だったのか。むむ?


「それって、音読みすると、コリンカリン?」

「もう、小学校のときの男子と言うこと一緒!」


 おれとコカリン(略)が言い合ってる横で、室田先生がうなった。


「まさか・・・・・・」

「うん、先生?」


 室田先生は妻である夫人に向いた。怒りの表情で。


「きみは、まさか、ウチの生徒まで、だましてるんじゃないだろうな!」


 おー! 先生、変な方向に行っちゃった。


「いや、そうか、宗教か。きみはどこかの新興宗教に入ったのか!」


 夫人が答えに困っている。


「あー、先生」

「山河くんだったね。妻から妙なことを吹きこまれてないかい?」

「あー、おれらも、奥さまと同じ意見なんです」

「そうか、きみたちもか」

「ええ。ちゃんと説明を聞いていただければ・・・・・・」

「集団で勧誘に来たのか!」


 ありゃ、まずった。


「そっかー!」


 早貴ちゃんが、パン! と手をたたいた。


「私も二世だから、センパイと同じハーフなんだ!」

「さ、早貴、おまえまで入ったのか!」


 おう、早貴ちゃん、追い打ち。


「室田さん」


 玲奈が呼んだ。先生のほうではなく、夫人のほうだ。


「これは、実際に見せるしか、方法はないのではと思います」


 玲奈が言っている途中から、すでに夫人は首を横にふっていた。


「そら来た、魔術だ。そうか、きみたちは妻の言う教会とやらのスタッフか。いいだろう、見よう。トリックを暴いてやる!」


 わちゃ、こうなるのか。


「もう、お父さん、私も見たんだって!」

「そうか。早貴はだませても、こう見えて数学教師だ。いいか、この世界は数学と物理が真理だ。それは絶対に曲げることができない!」


 思わず玲奈を見た。ほぼ同じセリフを、かつて玲奈は言った。「その節は申しわけありません!」と言わんばかりに、目をぎゅっとつむった玲奈がおかしかった。


 いや、そう言っている場合じゃないか。これは難攻不落かもしれない。


「とりあえず、ティーカップをだしてみましょうか?」


 玲奈がそう言い、手にさげたビニール袋を持ちあげた。


 この家に来る前に『シックス・テン』の坂本店長から借りた『メドゥーサのカップ』だ。しかし、どうだろうか。


 玲奈が袋を持ち、となりのキッチンに向かう。


「カップを使ったマジックか。古典的だが、いいだろう。コインにかぶせて消すとか、そんな初心者向けはやめてくれよ」


 先生が鼻で笑った。これなら、あの地下のコンビニにあった『消える金貨』のほうが良かったかな。


「坂本さんのとこに行ったほうが、早かったですかね?」


 夫人に聞こうとしたのに、先生の声がそれを消した。


「拉致は、拒否する!」

「ラ、ラチ?」


 おれは思わず声が上ずった。先生がスマホを取りだす。


「私をその尊師のところに連れて行こうとすれば、そく警察を呼ぶ!」


 えー! いや確かに、ドワーフ坂本のヒゲは長いけども。


「女神センパイ!」


 絶叫に近い早貴ちゃんの声だった。ふり返ると、玲奈が包丁を持って立っている。


「みなさん、一度、座ってください」

「玲奈!」

「勇太郎もです!」


 玲奈がなにを考えているのか、まったくわからなかった。それでも本気の顔だ。L字に置かれたソファーに、それぞれ座る。


「スマホをください」


 玲奈が言ったさきは先生だ。


「は、葉月さん、こんなことをして」

「スマホをわたしなさい!」


 玲奈の声に、ビリビリッと怒気のようなものを感じた。みんなも雰囲気に飲まれている。


 れ、玲奈タン、これは【魔王モード(マジ)】なのでは?


 先生はスマホを持った手を伸ばした。玲奈が近づき、受けとる。その場で上着のポケットに入れた。


 玲奈はさがるかと思ったが、先生を見つめている。


「先生、これがトリックかどうか、しっかり見てください」


 玲奈が包丁の刃をほほに当てた。まさか!


「やめて玲奈ちゃん!」


 夫人の声も間に合わず、次に小林さんと早貴ちゃんの絶叫が重なった。玲奈のほほから、大量の血が流れる。


「トリックに見えますか?」


 先生の顔は蒼白だ。


「そうですか、まだですか」


 次に玲奈は、ひたいに刃を当てた。


 夫人、小林、早貴ちゃんが絶叫する。


 大理石のような白い肌、そこに真っ赤な血がカーテンのように垂れ下がった。


「トリックに見えますか?」

「見えない! トリックではない! 救急車を呼ばしてくれ!」


 先生がさけんだ。


「よかった」


 玲奈のからだが揺れた。倒れるところを飛びだし抱きとめる。


「早貴、霊薬エリクサー! わたしの化粧台に」

「知ってる、なぞの小瓶!」


 早貴ちゃんが駆けだしていく。階段を駆けあがる音がして、すぐに降りる音になった。


「お母さん、これ!」

「勇太郎くん、のけて!」


 玲奈をカーペットに横たえる。血のシミが拡がっていた。


 夫人が玲奈のそばにひざをつく。手渡された霊薬エリクサーをすぐに飲み、祈りを始めた。


全治癒オムニス・デ・キュリオス


 夫人が最後の言葉をとなえ、ほほとひたいの傷に手を添える。魔力が玲奈の傷口へと入っていった。


 夫人が手で玲奈の血をぬぐう。傷は跡形もなく消えたようだった。


 そのとき、玲奈が目を開けた。


「申しわけありません。カーペットを汚してしまいました」


 わっと夫人は泣きだし、玲奈の頭を胸に抱いた。それはかなり、ぎゅっと力強くて痛そうだったが、玲奈はそのままに抱かれていた。


「ひーん、センパーイ!」


 その横に腰がぬけたように早貴ちゃんが座り、こちらもわんわん泣き始めた。


 先生は目を見ひらき、口をあけ、その様子を見ている。


「室田先生」


 おれが呼ぶと先生はこっちを向いた。


「話だけでも、聞いてもらえますか?」


 蒼白な顔をした先生は、何度も何度も、首を縦にふった。


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