一章 二色のまじわり①
小鈴が生まれ育った幻倭国は、海に囲まれた細長い国だ。その海を
祖父から貰った宝珠は、小鈴を幻倭国の外──海の向こうにある
小鈴は立ち止まり、大きく息を吸い込む。
人の行き交う大通り。
馬車が通るたびに立ち上る
幻倭国の着物によく似た
「
「おはよう。最近? 元気だよ。ピンピンしてる」
近所に住む女に声をかけられると、
祖父に
幸運なことに、
「体調じゃなくて、
「あ、そっちか。えっと……変わりないかなぁ」
「そろそろ
女の言葉に、ぎこちなく笑った。そんな人は
今の小鈴は記憶
嘘をつくことに少しばかり良心は痛んだが、何もかも捨ててここに来た。新しいこの場所で普通の人生を歩むためには、遠くから来たことは言わないほうがいいに決まっている。記憶喪失の少女も十分
しかし、ここに住む人はどこの誰ともわからない小鈴を
ここでの暮らしはひと月ほど
全てを捨てて、ようやく小鈴は普通の人間になれたのだ。
女は小鈴の背にある大きな
「今日はこれから山に入るの? 一人で入るなら気をつけてね」
彼女の問いに小さく
都の外れにある小さな山は豊かで、木の実や山菜がたくさん
「もう慣れたから平気。迷ったりしないよ」
「迷子の心配じゃないわ。最近、山に変な
「変な柄の……熊? あの山は都の中にあるから、安全なんじゃないの?」
「都は第一皇子の能力によって守られている特別な場所だから、人を
女は顔を
妖獣と呼ばれる生き物は幻倭国にはいなかった。角が生えているだとか、熊の倍はあるだとか色々聞くが、どんなものかは想像ができない。
「でも、そんなに噂になっているなら国が動いているんじゃない?」
「動くとしたら、人が襲われたとか、もっと
「それもそうか。じゃあ、気をつけておくよ。教えてくれて、ありがとう!」
「絶対本気にしてないでしょ! 本当に気をつけるのよ!」
大きな声を背に、小鈴は山に向かって
嵐南国は大陸に五つある国の一つ。南側を支配する大きな国だ。五つの国の皇族は
第一皇子の天賦は《境界》と呼ばれていて、
(天賦って、私の目みたいなものなのかな?)
幻倭国には
(今は普通の人間になれたわけだし、私には関係ない話か)
小鈴は一人で笑うと鼻歌交じりに山道に足を
都の外れから入れる山道は一部が誰でも自由に入ることのできる領域になっていた。
山菜や木の実を目的にしている小鈴は遠くまで歩く気もないため、狩り場に
生活を始めたころに教えてもらった売れる木の実や山菜を、背負っている大きな籠の中に放り込んでいく。
背の高い木になった実は手が届かない。取りにくいせいか、あの実は値段が
しかし、彩絵術は黄金の瞳を
通ってきた道に印を残しながら山菜を採取する。籠がいっぱいになったら上出来なのだが、まだ半分もいっていない。
すると、どこからともなく動物の鳴き声が聞こえてきた。今の鳴き声は聞いたことがない。この大陸に存在する妖獣というやつの鳴き声だろうか。
興味が
(変な柄の……熊?)
と、それを
幻倭国にも熊はいる。全身が黒い毛で
しかも、まだ子どもだ。人間の赤子ほどの大きさで、
熊は
凶暴な熊とは思えないほど
「
見上げていた男が剣を構えた。差し込む太陽の光で
目が合った。熊の小さな瞳が確かに小鈴を見たのだ。
その
「待って!」
小鈴の声に剣を持った男の手がピタリと止まる。振り返った男に小鈴は目を見開いた。山の中に似つかわしくない
その辺にいるごろつきとは
振り返ったことで、頭の高いところでまとめられた
(噂を聞きつけて来た、国の
衛士のような武骨さはない。山菜採りに来ているようにも見えなかった。
「何だ?」
じろじろと見てしまったせいか、男は小鈴を
冷たい視線に身構える。
「そんな小さな子を殺すのはどうかと思って」
「殺す? ……この辺りに住んでいるなら噂くらい知っているだろう?」
「変な柄の熊が出るって話でしょ? それなら知っているけど、ここは第一皇子の境界内だから安全だって話じゃない? こんな小さな子が悪さをするようには見えないよ」
絵に
小鈴の言葉を受けて、男の
「捕まえたのは俺だ。これをどうするかは勝手だろ?」
何か
「そうだけど……。そうだ! 殺すくらいなら私にちょうだい。この子が悪さをしないか見張るから」
「だめだ。か弱い女では
「
小鈴が男と言い争うあいだ、熊に大きな変化はない。網の目から手足を出してわたわたとしているばかりだ。
「演技という可能性もあるだろう。頭のいい妖獣はたくさんいる」
「頭がいいならこんな単純な罠にはかからないと思う」
男がなんと言おうと、小鈴は引き下がらなかった。なんとしても助けたいと思ったのだ。
数度
「仕方ない。そんなにこいつがほしいなら、条件がある」
「何をすればいいの? お金は持ってないけど、他のことならなんでもするよ」
「金などいらん。そうだな……。なんでもか。ならば……。この辺りは昔、
男の言葉を受けて、小鈴は辺りを見回す。花どころか
「まさか、枯れ木に花を咲かせろ……なんて言わないよね?」
「その、まさかだ。それができたらこの
にやり、と男は笑った。意地悪な
(はなから
小鈴は子熊が吊された木を
この辺りの杏の木は、葉もつけられないほど弱っている。しかし、まだ生きたいと天を向いていた。まだ命の
得意の彩絵術を使えば、この木を
たったそれだけで、この熊も杏の木も助けられる。
(私の隠気は封印に使われていて彩絵術は使えないけど、
嵐南国の人間は彩絵術を使わないようだが、隠気が流れていないということはないだろう。小鈴の描いた図柄に男の隠気を流し込めば、彼の無理難題に
(だめだ。そんなことしたら、ここでも
まだひと月。ようやく手に入れた新しい人生を捨てる勇気は簡単に持てない。小鈴の黄金を見て、
彩絵術はこの国の人の目に、
「花を咲かせる以外のことじゃだめかな……?」
「いいや。その条件を
無情にも男は頭を横に
黒色に
「どうした? 無理なら無理と言ってくれ。俺も
男はしびれを切らしたのか、刃先を熊へと向ける。
(やっぱり見捨てるなんてできないよ……!)
「ま、待って!」
思わず、声を上げてしまった。救う手立てがあるのに見捨てるということは、殺すのと同意だ。それでは、人を
小さな命を
熊が吊されている杏の木に手を置いた。
(そうだ。私は鬼じゃない。だから、殺させない)
「いいわ! 望むところよ。今からここを新しい名所にしてあげる!」
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