一章 二色のまじわり①

 小鈴が生まれ育った幻倭国は、海に囲まれた細長い国だ。その海をえた先にも国があることを身をもつて知ったのはひと月前のこと。

 祖父から貰った宝珠は、小鈴を幻倭国の外──海の向こうにあるらんなんこくへと導いた。



 小鈴は立ち止まり、大きく息を吸い込む。

 人の行き交う大通り。きゆうくつそうに立ち並ぶ店の一つに、昼から赤ら顔の男が千鳥足で入って行く。その二けん隣からは洒落しやれた女が品物を大切そうにかかえて出て行った。

 馬車が通るたびに立ち上るすなぼこり

 幻倭国の着物によく似たころもを着た子らは、長いくしさった肉をほおっている。横を通ったときにこうばしいにおいがきっ腹をげきし、つい腹をさすってしまう。

 かたがぶつかるほどのにぎわいの中、小鈴は顔を下げることなく歩く。堂々と歩いてもだれからもり返られない。小鈴は異質な存在ではなく、雑多なはんがいの一部だった。

しやおりん、おはよう! 最近どう?」

「おはよう。最近? 元気だよ。ピンピンしてる」

 近所に住む女に声をかけられると、みを返す。

 祖父にあたえられた宝珠は、嵐南国のみやこの外れに小鈴を連れて行った。

 幸運なことに、たおれていたところを近くに住む人たちに助けられた。身につけていたお守りにほどこされた「小鈴」というしゆうを見て、皆が「しゃおりん」と呼んだため、その日からすずではなくしやおりんとして生きている。

「体調じゃなくて、おくのほうよ。ここに来てひと月だけど、何か少しでも思い出せた?」

「あ、そっちか。えっと……変わりないかなぁ」

「そろそろしやおりんさがしに来る人が現れてもおかしくないと思うんだけどねぇ」

 女の言葉に、ぎこちなく笑った。そんな人はしようがい現れない。すべてはうそだからだ。

 今の小鈴は記憶そうしつということになっている。助けられたとき、この国のことを何も知らない小鈴を皆が記憶喪失だとかんちがいしたのだ。その勘違いに便乗している。

 嘘をつくことに少しばかり良心は痛んだが、何もかも捨ててここに来た。新しいこの場所で普通の人生を歩むためには、遠くから来たことは言わないほうがいいに決まっている。記憶喪失の少女も十分あやしいとは思うが、祖国からげて来る人の事情など、ろくな理由ではないと、簡単にし量ることができてしまうだろうから。

 しかし、ここに住む人はどこの誰ともわからない小鈴をかんげいし、やさしい老婦人は空いている部屋を貸してくれた。それ以来、小鈴は都のはしにある集落に身を置いている。

 ここでの暮らしはひと月ほどっていて、そんなことは初めてのことだ。人の住む村で五日以上きできたためしはない。ひとみの色が黄金きんから黒になっただけだというのに、おかしな話だと思う。

 全てを捨てて、ようやく小鈴は普通の人間になれたのだ。

 女は小鈴の背にある大きなかごを見た。

「今日はこれから山に入るの? 一人で入るなら気をつけてね」

 彼女の問いに小さくうなずく。小鈴は数日に一度、山に入っていた。

 都の外れにある小さな山は豊かで、木の実や山菜がたくさんねむっている。これらを市場に持っていくとお金になった。特技を失った小鈴でもできる仕事の一つだ。

「もう慣れたから平気。迷ったりしないよ」

「迷子の心配じゃないわ。最近、山に変ながらくまが出るらしいの。ようじゆうかもってうわさ

「変な柄の……熊? あの山は都の中にあるから、安全なんじゃないの?」

「都は第一皇子の能力によって守られている特別な場所だから、人をおそうような危ない動物や妖獣は入れないようになっているから安全だって話だけどね。でも、噂になっている以上もしもってこともあるし……」

 女は顔をゆがめ山の方角に視線を向ける。

 妖獣と呼ばれる生き物は幻倭国にはいなかった。角が生えているだとか、熊の倍はあるだとか色々聞くが、どんなものかは想像ができない。

「でも、そんなに噂になっているなら国が動いているんじゃない?」

「動くとしたら、人が襲われたとか、もっとさわぎになってからだと思うわ。だから、気をつけるに越したことはないわよ」

「それもそうか。じゃあ、気をつけておくよ。教えてくれて、ありがとう!」

「絶対本気にしてないでしょ! 本当に気をつけるのよ!」

 大きな声を背に、小鈴は山に向かってけた。声をかけてくれた彼女はどちらかというと心配しようの部類に入るので、いつも不安を抱えている。きっと、今回もそのたぐいだろう。

 嵐南国は大陸に五つある国の一つ。南側を支配する大きな国だ。五つの国の皇族はみな、〈てん〉と呼ばれる能力を持って生まれるのだという。

 第一皇子の天賦は《境界》と呼ばれていて、しき者を内に入れないのだとか。近所の人たちからは、目に見えない大きなかべが王都を一周しているようなものだと教えられた。

(天賦って、私の目みたいなものなのかな?)

 幻倭国にはさいかいじゆつを使える人は数多くいたが、小鈴と同じような能力を持った人を見たことがなかった。天賦を持つ人は小鈴のように変わった色の瞳を持っているのだろうか? いつか見てみたいと思うものの、相手は皇族。雲の上の人だ。

(今は普通の人間になれたわけだし、私には関係ない話か)

 小鈴は一人で笑うと鼻歌交じりに山道に足をみ入れる。

 都の外れから入れる山道は一部が誰でも自由に入ることのできる領域になっていた。ほかには皇族のり場があって、そちら側に入ることは禁止されているのだとか。

 山菜や木の実を目的にしている小鈴は遠くまで歩く気もないため、狩り場にちがえて入ることはないだろう。

 生活を始めたころに教えてもらった売れる木の実や山菜を、背負っている大きな籠の中に放り込んでいく。

 れた木の実を一つかじって、腹を満たす。てんくしきはりよく的だが、あれを買うのに三文。山菜の束と同じ値段だ。今の小鈴が気軽に買える物ではなかった。

 背の高い木になった実は手が届かない。取りにくいせいか、あの実は値段がね上がる。こういうときに彩絵術が使えればと頭をよぎることがある。

 しかし、彩絵術は黄金の瞳をふういんするときに、自ら手放すと決めたものだ。代わりに普通の生活を手に入れられたのだから、あしもとの山菜を採るのが道理というものだろう。

 通ってきた道に印を残しながら山菜を採取する。籠がいっぱいになったら上出来なのだが、まだ半分もいっていない。

 すると、どこからともなく動物の鳴き声が聞こえてきた。今の鳴き声は聞いたことがない。この大陸に存在する妖獣というやつの鳴き声だろうか。

 興味がいた。もしも妖獣ならば、一度くらいは見ておきたい。小鈴は声の聞こえるほうにゆっくりと足を進める。そして、そっと草木のあいだから顔を出した。

(変な柄の……熊?)

 と、それをつかまえている男が一人。後ろ姿でよく見えないが、けんを構えているようだ。

 幻倭国にも熊はいる。全身が黒い毛でおおわれていて、むなもとに白い三日月の模様を持っているのがとくちようだ。「山で三日月を見かけたら、神にいのるしかない」と言われるほどきようぼうかつ足が速い。しかし、すぐそこで捕まえられている熊は、どちらかといえば白の面積のほうが多いように感じる。手足や耳、目の周りだけが黒い。変わった柄であることは間違いない。

 しかも、まだ子どもだ。人間の赤子ほどの大きさで、き上げられそうなほど小さい。

 熊はなわでできたあみの中に入れられ、れた木につるされていた。わなにでもかかったのだろう。パタパタと小さな手足をばたつかせている。

 凶暴な熊とは思えないほどけな姿だった。

うらみはないが、放っておくわけにもいかないんだ。すまんな」

 見上げていた男が剣を構えた。差し込む太陽の光でさきかがやく。

 目が合った。熊の小さな瞳が確かに小鈴を見たのだ。

 そのしゆんかんには、草木のあいだから飛び出していた。

「待って!」

 小鈴の声に剣を持った男の手がピタリと止まる。振り返った男に小鈴は目を見開いた。山の中に似つかわしくないれいな顔立ちをした男だったからだ。勝手にしようひげを生やしたさんぞくのような男を想像していた。

 えんいろの上着と黒のこし布。すそすぼまったはかまひざまでかくれる長いくつ。どれもわずかな刺繍が施されているだけで質素ではあるが、自体はしっかりしていて清潔感がある。

 その辺にいるごろつきとはちがっていた。

 振り返ったことで、頭の高いところでまとめられたかみが、馬ののように風になびく。

(噂を聞きつけて来た、国の? いや、かんかな?)

 衛士のような武骨さはない。山菜採りに来ているようにも見えなかった。

「何だ?」

 じろじろと見てしまったせいか、男は小鈴をげんそうな顔で見下ろした。

 冷たい視線に身構える。

「そんな小さな子を殺すのはどうかと思って」

「殺す? ……この辺りに住んでいるなら噂くらい知っているだろう?」

「変な柄の熊が出るって話でしょ? それなら知っているけど、ここは第一皇子の境界内だから安全だって話じゃない? こんな小さな子が悪さをするようには見えないよ」

 うさぎ栗鼠りすに比べたら身体からだは大きいかもしれないが、大きな犬に比べたら小さい。せいぜい、まれたらをするだろうなという程度だろう。命の危機を感じるほどではない。

 絵にいたようなきようあくさであるならば、細い縄を引きちぎり二人を襲っているころだ。

 小鈴の言葉を受けて、男のまゆがピクリと跳ねた。

「捕まえたのは俺だ。これをどうするかは勝手だろ?」

 何かおこらせるようなことを言ってしまっただろうか。いらちに満ちたこわいろに足がすくむ。

「そうだけど……。そうだ! 殺すくらいなら私にちょうだい。この子が悪さをしないか見張るから」

「だめだ。か弱い女ではうでを食いちぎられるかもしれないだろ?」

だいじよう。私のかんは良く当たるの。柄は変かもしれないけど、人を襲うほど凶暴じゃない」

 小鈴が男と言い争うあいだ、熊に大きな変化はない。網の目から手足を出してわたわたとしているばかりだ。じようきようが状況なら、遊んでいるようにも見える。

「演技という可能性もあるだろう。頭のいい妖獣はたくさんいる」

「頭がいいならこんな単純な罠にはかからないと思う」

 男がなんと言おうと、小鈴は引き下がらなかった。なんとしても助けたいと思ったのだ。

 数度こうぼうが続いたあと、男は大きなため息をく。

「仕方ない。そんなにこいつがほしいなら、条件がある」

「何をすればいいの? お金は持ってないけど、他のことならなんでもするよ」

「金などいらん。そうだな……。なんでもか。ならば……。この辺りは昔、あんずの花がほこり春になると多くの人でにぎわっていたそうだ」

 男の言葉を受けて、小鈴は辺りを見回す。花どころかつぼみすら見当たらない。この山は草木がしげっているが、この辺りだけは色を失ったかのようだ。

「まさか、枯れ木に花を咲かせろ……なんて言わないよね?」

「その、まさかだ。それができたらこのくまを君にやろう」

 にやり、と男は笑った。意地悪なみだ。

(はなからわたす気なんてないってことか)

 小鈴は子熊が吊された木をあおぎ見た。

 この辺りの杏の木は、葉もつけられないほど弱っている。しかし、まだ生きたいと天を向いていた。まだ命のともしは消えていないのだろう。

 得意の彩絵術を使えば、この木をよみがえらせることなど朝飯前だ。枯れた木はいんを失った状態なのだから、それを補うために人の隠気をほんの少しあたえればいい。

 たったそれだけで、この熊も杏の木も助けられる。

(私の隠気は封印に使われていて彩絵術は使えないけど、がらだけなら描ける。この男の隠気をうまく使えれば……)

 嵐南国の人間は彩絵術を使わないようだが、隠気が流れていないということはないだろう。小鈴の描いた図柄に男の隠気を流し込めば、彼の無理難題にこたえることができる。

(だめだ。そんなことしたら、ここでもつうじゃなくなってしまう)

 まだひと月。ようやく手に入れた新しい人生を捨てる勇気は簡単に持てない。小鈴の黄金を見て、の目を向けた幻倭国の人々を思い出す。

 彩絵術はこの国の人の目に、おにの所業のように映るのではないか。

「花を咲かせる以外のことじゃだめかな……?」

「いいや。その条件をゆずる気はない。この杏の木に花が咲かせられないなら、おとなしくあきらめてくれ」

 無情にも男は頭を横にった。

 黒色にふちられた小さなひとみが小鈴を見つめる。そんな風に見られても、今の小鈴にはこれ以上何もできない。思わず、目をらした。

「どうした? 無理なら無理と言ってくれ。俺もひまじゃないんだ」

 男はしびれを切らしたのか、刃先を熊へと向ける。

(やっぱり見捨てるなんてできないよ……!)

「ま、待って!」

 思わず、声を上げてしまった。救う手立てがあるのに見捨てるということは、殺すのと同意だ。それでは、人をらう鬼と変わりないではないか。

 小さな命をせいにして手に入れる普通は、祖父に誇れるものではない。

 熊が吊されている杏の木に手を置いた。

(そうだ。私は鬼じゃない。だから、殺させない)

「いいわ! 望むところよ。今からここを新しい名所にしてあげる!」

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