第26話(公表)

 無事に両親にパートナーになる許可を得たとはいえ、実際にいつパートナーになるかというといくつか問題があった。私立学校のうちの高校は、三年は受験準備のため一月以降の登校日がほとんどなくなり、三月の上旬には卒業式を迎えてしまう。俺が先輩のパートナーになるということは、イコール俺がギフトであることを隠さず、本来の姿で生活をするということだ。容姿の特徴を明かせば目立つことになるし、生活は一変する。そうなれば、他のテイカーに襲われる危険は増すし、ちょっかいをかけられることも、好機の目には晒されることもあるだろう。それを防ぐためには、天野先輩と日比野先輩のように、相手のテイカーが誰なのかを公表し、その力-家柄やテイカーとして力量-を誇示するのが一番手っ取り早く効果がある。言ってしまえば、このギフトは矢場成海のパートナーだという認識を他の生徒に植え付ける必要があるのだ。

 ただ、先輩の志望校を考えると受験を終えるのは、三月の中旬になるから、卒業式までに正式なパートナーになることは難しい。できれば卒業までに二人が正式なパートナーであることを示し、他のテイカーを牽制し、くだらない干渉やトラブルを避けたいというのが先輩の希望だったけど、俺は自分の人生を決めるパートナーの契を焦って結びたくはなかった。結果出された提案は、正式にパートナーの契りを結ぶ前に、あたかも正式なパートナーであるかのように公表してしまおうということだった。それは俺にとっては見た目を戻して登校することになるわけで、やはり抵抗はあるものの、時間的な問題や少しずつ変化し続けている体のこともあって、家族とも相談の上、その提案を飲むことにした。



 その日はセンター試験が終わった次の週末で、次の日が三年の登校日になっていた。俺は前日に髪をなるべく地毛に近い銀髪に染め、コンタクトも外して、制服を着て玄関の中で先輩を待っていた。約束の時間の五分前。家のインターフォンがなり、ドアを開けると先輩がいて、奥にはタクシーが待っていた。俺の姿に先輩は一瞬大きく目を見開いたけど、すぐに落ち着いた様子で「行こうか」と言うと、同じく家に揃っていた家族に一礼して、俺の手を引いてタクシーに戻った。行き先を告げると、タクシーはすぐに目的地へと走り出す。その間も先輩は俺の手を離すことはなく、繋ぐというより掴むという方が正しい強さで握っていた。それなのにあまりこちらを見ないのは、自分でも見慣れないこの髪と目のせいだろう。黒染めをしていたせいもあって、染色の限界でどうしても本来よりは暗い色になってしまったけど、確実に銀色になっているそれを、先輩がどう捉えているのか正確にはわからない。ただ、コンタクトを外した瞳を見ただけでも本能が刺激されるといっていたことを思えば、先輩があえて視線をそらしているのは衝動のコントロールのためなのだろうと理解できた。

 自分ですらまだ違和感ばかりのこの姿は、蓋を開けてみればまさにギフトそのものだった。タクシーの行き先は矢場先輩の生家で、今日は俺が先輩の両親に挨拶をしに行く日だった。それは先輩がほとんど関わりのなくなっている母親と会うということも意味していて、だからこそ、尚更平静を保つ必要があるのだろう。ただ、挨拶といっても、テイカーにしてみれば親であろうと他人の決めたギフトに反対する権利はないらしく、パートナーになる報告をしに行くというニュアンスが強いようだった。それも、今回は俺と先輩が二人とも未成年だから行うのであって、両者が成人している場合にはほとんどが事後報告だと聞いて、テイカーの世界はやはり特殊だと痛感した。


 タクシーが止まり、ドアが開く。先輩が精算をし、俺の手を引いてタクシーから降りると目の前には予想よりも大きな家、というよりも門が待ち構えていた。高校生の息子の独り暮らしにあのマンションを与えるぐらいだ。家はこの規模だろうなと納得がいく思いと、ここに来るのが自分で申し訳ないという罪悪感が湧いてくる。今となってはどこにでもいる平凡な高校生とは言い難い見た目だけど、中身はやはりごく普通の高校生で、ギフトとしての知識も自覚もまだまだ不十分な自分が、この門をくぐっていいのだろうかとどうしたって怖じ気付いてしまう。

 そんな不安で足が固まっている俺を無視して、先輩は持っていた鍵で門を開けると、ずんずんと俺の手を引いて敷地内へと進んでいった。タクシーを降りてから一言も発していない先輩は珍しく余裕がなさそうだった。玄関をあけると、待ち構えていたようにすぐに「坊っちゃん」と呼ぶ声が聞こえた。見れば五十代くらいの女性が立っていて、「こっちのお部屋ですよ」と玄関から続く廊下の先を示された。その女性に声をかけられてから、先輩の俺の手を掴む力が弱まったことや、女性の優しく先輩に微笑みかける姿を見て、この人がきっと先輩の乳母に当たる人なんだろうと直観した。はりつめていた空気が少し柔らいだのを感じて、「先輩」と声をかけると、漸く視線を合わせてもらえた。


「すまない、思ってたより気が張ってた」

「ですね」


 自分も緊張しているけど、あえてラフに返すと、先輩は目を細め少し照れ臭そうに笑った。


「この荷物、俺の部屋に置いておいて」


 そう言って俺の持っていた荷物を女性に渡すと、彼女は「はい」といって小さく頷いた。それが、俺に対する会釈にも見え、嬉しかった。そのまま、長い廊下の先にある部屋の前まで案内される。そこで先輩が小さく気合いをいれるようにふぅと息を吐いたのを見て、自分もごくりと唾を飲み込んだ。緊張が最高潮になる中、ドアが開けられ中に通される。

 やたらと広い客間の中央に置かれた応接セットには、すでに先輩の両親と思しき男女が座っていて、すぐに対面のソファに座るよう促された。そこに家族の団欒とか、アットホームな雰囲気は全くなかった。俺の姿を見て男性が小さく「銀髪か」と口の端を片方だけあげて呟いたのが聞こえた。ただそれよりも正面に座る長い銀髪の女性に目を奪われた。先輩が両親だと紹介をしてくれている間も、一応目を合わせてくれた父親とは違い、母親の目はどこか遠くを見ているようで、全く視線が合わなかった。話を聞いているのかも疑わしいくらい、自分には関係がないという佇まいでそこに座っている。まるで人形を見ているようだった。

 結局その場で話したことと言えば、先輩の「自分のギフトを見つけたので受験後に正式にパートナーになります」という報告と、それに対する父親の「わかった。こちらも必要な支援はしよう」という返事だけで、その短い会話とも言えないやり取りの後に、お手伝いさんがお茶をもってくるという始末だった。



 十五分にも満たない面接のような時間が終わり、そのまま実家の先輩の部屋に戻ると、高校入学以降ほとんど使っていないという部屋は、綺麗に整えられ、暖房のついた状態で主人を迎えた。先ほど預けた荷物はドアの横にあった棚の上に置かれていた。


「とにかく、一段落かな」


 ベッドに腰を降ろして先輩がホッと息をつく。家を出てからの怒濤の展開に俺は頭がついていかず、どっと疲れが襲ってきた。あの部屋の雰囲気も、先輩の両親の様子も、話の内容も俺の想定を完全に越えていた。この異様さがテイカーとそれ以外の性の違いによるものなのか、この家独特の問題によるものなのかはわからない。でも、それが先輩をとりまく環境の一つなら、この先受け入れていかなければいけないことなのだろうと思った。


「座れば?」


 声をかけられて、手招きをされる。言われるままに重い足を動かし、先輩の横に腰掛けると、すぐに強い力で抱きしめられた。先輩の体温と匂いはいつもと変わらず、俺を安心させる。しばらくして体が離れると、今度は先輩の視線が俺の髪の先からつま先までをゆっくりと追った。銀色の髪と瞳、このひと月でさらに色素の薄くなった眉毛やまつげ、男にしては白い肌も全てが先輩の瞳に映し出される。うっとりとした眼差しは、今まで以上に熱を帯びていた。


「…···俺のギフト」


 久しぶりに聞く台詞に顔が火照った。正式なパートナーにはなっていないけど、両家の許可が下りた今、もうすでに俺たちはパートナーと呼んでいい関係になった。『俺のギフト』冗談だと揶揄した言葉が、今は現実になっている。赤くなった顔を隠したくて、部屋の中を見せてもらえないか尋ねると、「いいよ」と許可をもらえた。中学時代で時が止まったような勉強机や本棚には、古い教科書が並んでいて、他にも難しそうな参考書や図鑑、小説が並んでいた。


「そういえば、先輩ってなんでうちの学校にきたんですか?中高一貫とか、もっと上の高校も行けましたよね?」

「まあね」

「なんで受験しなかったんですか?」

「…···なんでかな」

「なんでですか?」

「笑わないって誓える?」

「理由次第では」

「…···母の母校に行きたかったんだ。それだけだよ」


 顎に肘をついて目を逸らし、困ったように言う先輩の声はいつもより小さかった。その様子に愛しさと切なさが溢れた。脳裏を過ったのは、先刻見たばかりの母親とは言い難い女性の姿で、顔を伏せる先輩が幼い少年にように見えた。耐え切れず、覆いかぶさるように先輩に抱き着くと、そっと腰を引き寄せられる。黒髪でも黒い瞳でも、俺のことを好きだと言ってくれた。でも、こんなにも先輩は母親の存在に囚われている。俺の今の姿が先輩の救いになるのなら、悔しいけど、それはとても幸せで幸運なことのように思えた。


「先輩。これからは、俺が先輩だけのギフトです」

「あぁ」

「先輩だけを見て、先輩だけを好きで――。だから、ちゃんと責任取ってください」


 そう言って、普段見ることのない頭頂部にあるつむじに口づける。先輩は返事をする代わりに両腕を俺の背中に回すと、上を向いて触れるだけのキスをしてくれた。目に涙はなかったけど、焦げ茶色の瞳はいつもよりキラキラと光って見えた。先輩の手が背中から徐々に上がってきて、繰り返した染髪のせいで軋む髪を弄び、「陽生」と名前を呼ぶ。


「名前で呼んでくれないか」

「…···成海先輩」

「もう一度」

「成海先輩」

「呼び捨てで」

「でも…···」


 躊躇いで、一瞬言葉が詰まる。それも、先輩の真剣な表情を見て、体裁なんてどうでもよくなった。


「…···成海」

「陽生」


 呼吸ごと奪われるようなキスをされ、体がベッドに沈んだ。うっすらと開けた唇から、柔らかく舌が入り込んできて、お互い舌を絡めたり、吸い付いたりして熱を確かめた。くちゅくちゅと唾液の交わる音が静かな部屋に響く。気持ちがいい、心地よい。そんな思いが頭を占めだしたところで、先輩は俺の上から退いて再びベッドの淵に座った。


「やばい、その姿だと止まらなくなる」


 ふうふうと吐き出される呼吸からは欲望の一端が感じられたけど、理性でそれを押し殺しているようだった。自分にも、このまま体を預けてしまいたいという感情が芽生えていたことに気づく。望み望まれたテイカーとギフトの関係であれば、先に進むことに何の問題もない。その本能に身を預ければいい。でも、自分達にとって今はそのときではない。


「俺の受験が終わったら、すぐに正式なパートナーにするから」


 欲望に濡れた雄の宣言に、俺は無言でこくりと頷いた。元々そういう約束だったじゃないですか、とはあえて言わなかった。そこからは、沸き上がった欲望を冷ますように、あえて現実的な話に話題を移した。俺がわざわざ荷物をもってこの家にやってきたこととも関係する。明日の先輩の登校日に合わせて、俺たちがパートナーになったことを公にするのだ。


「まずはここから家の車で二人で登校して、すぐに生徒会に向かう。俺から事情を説明して、なるべく騒ぎにならないように配慮してもらうつもりだ。天野先輩の前例もあるし、ギフトを公言している生徒を守るのも生徒会の仕事の一つだから、すぐ動いてくれるだろう」

「授業は普通に受ければいいですか」

「それしかないだろうな。何か質問されたら、俺のパートナーになったとだけ言えばいい。それが何を意味するかくらいは、誰でもわかる。俺は午前中しか授業がないから、悪いが明日だけは俺の下校に合わせて早退してほしい。車で家まで送ろう」

「わかりました」

「その後しばらく俺の登校日はないからな…。正直どうなるか予想できないところではあるが、天野先輩と日比野の時には一瞬で噂が広まっても、大きなトラブルが起きた記憶はないから、まぁ、大丈夫だろう。何かあれば連絡してくれれば、俺はマンションに戻っているからすぐに動けるようにしておく」

「受験で大切な時期に、先輩に迷惑をかけるようなことはしませんよ。ただ、公人と直哉には今日のうちに事情を伝えておこうと思います。俺がギフトだからといって態度を変えるような奴らではないですけど、それこそ迷惑をかけるかもしれないので」

「わかった。それは任せるよ」


 この姿に戻った時点で、ある程度のからかいや、好機の目に晒される覚悟はしていた。ただ、俺がギフトだとわかっても、すでにパートナーがいることが知られていればトラブルは避けられる。元々友達と呼べるのは公人と直哉くらいしかいないから、他の生徒からどういう目で見られても気にしないようにすればいい。周囲の視線については、あとは時間が解決してくれるのを待つしかない。少なくとも、相手が元生徒会長だというのはかなりの抑止力になるだろうし、生徒会からの支援も期待できる。ここまできたらなるようにしかならない。

 俺は持ってきた荷物からスマホを取り出すと、ひとまず信頼できる友人二人にだけ、自分がギフトであること、矢場先輩とパートナーとなったことを電話で伝えた。二人とも一様に驚いていたけど、俺が思っていた通り「友達であることにかわりはないだろう」という言葉をくれた。それがとても嬉しく、心強かった。先輩と親友の言葉、生徒会の支援、今はそれだけが頼りで、それだけあれば十分な気がした。



 夜は先輩とは別の部屋で過ごした。先輩が一緒にいたら何をするかわからないと言ったせいだけど、慣れない環境で一人で眠るのは少し寂しかった。あまりよく眠れない中、朝を迎えると着なれた制服に袖を通し、身支度をした。コンタクトはもうつけることはないし、鞄の中に入れていたスペアも出してしまった。

朝食は先輩の部屋でとれるよう支度されていて、ほっとした反面、家族というもののあり方には疑問を抱いた。ただ、支援はするという言葉通り、登校のための車と運転手は手配されていて、もう二度とこの門をくぐることはないかもしれないと思いながら、先輩の実家を後にした。

 車内ではお互いの今日の動きについて話しをしたけど、その間先輩はずっと俺の手を繋いでいてくれた。わざと校門の前に乗り付けて、見せつけるように先輩に手を引かれて校内に入る。車を降りた瞬間から、周囲の視線が一気に集まるのを感じた。そんな視線を気にする様子のない先輩を真似て、俺もできるだけ堂々とした態度をとるようにした。

 視線はどちらかと言えば先輩よりも俺に向けられていて、「あれ誰?」とか「ギフト?」といった声があちらこちらから聞こえてきた。遠巻きにしている生徒の中には、自分のクラスメートもいて、何かヒソヒソと話しているのが見えたけど、そんなことは無視してただ先輩の後についていった。先輩が事前に連絡をいれていたのか、生徒会室に入ると生徒会役員が勢揃いしていた。俺はドアのところで先輩の手を放し、離れた位置で先輩と現会長が話をしているのを聞き、流れに全て身を委ねることにした。漸くして笑顔の先輩が俺のクラスメートでもある生徒会役員の佐原を引き連れて戻ってきた。クラスメートとはいえ、これまでほとんど接点はなかったけど、当面は俺の補佐をしてくれることになるらしい。俺が「よろしくお願いします」というと、彼は「クラスメートだろ。気にするなよ」と言って何てことないことのように笑った。

 始業のチャイムが鳴る十分前に、俺は先輩と佐原と一緒にクラスに戻った。クラスの雰囲気は異様で、全員の視線が俺に向いているのではないかと思えるくらい、色々な感情の混ざった視線を感じた。その中には、嫉妬に近いものもあったように思う。「俺の授業が終わったら迎えにくるから」と言って去る先輩の背中を見送って、まるでモーセの十戒のようになっている中、自分の席についた。すると、すぐに直哉が「おはよう」と声をかけに来てくれた。


「おはよう」

「事前に言われててもすごいな」

「本当だよ。全校生徒に見られてる気分だわ」

「ちげーよ。その髪とか目だよ!マジで銀色なのな。ちょっとゲームのキャラみたいでかっこいいな」

「え、そこ?」

「いや、だってあんな登校の仕方したらこうなることなんて予想できるし、俺としては付き合いの長い友達が突然アプデされてSSRになった感じなんだけど」

「なんだその例え」

「でも、似合ってるよ」

「そう言ってもらえるのは嬉しいけどさ」


 いつの間にか俺に集まっていた視線は感じられなくなっていたけど、皆が俺たちの会話に耳をそばだてているのはわかった。でも、それでいい。俺は、これまで俺を大切にしてきてくれた人たちと変わらず接していく。それを阻むことがあれば、先輩が守ってくれると約束してくれたのだから、それを信じればいい。当たり前だけど、先生たちの態度は変わらないし、授業間の休み時間には公人も心配して会いに来てくれた。そして直哉と同じように「光属性のキャラだな」と言って俺を笑わせた。

 午前の授業が終わり、先輩がクラスまで迎えに来るとやはり周りはざわついていたけれど、俺はできるだけ堂々と先輩と接した。手を繋ぎながら昼休みで騒がしい校内を歩き、迎えの車が来ていた校門まで向かったし、なんなら先輩が腰を引き寄せるのも当たり前という顔をして受け入れた。それが後々自分を守ることになると理解できたからだ。そして、こんな光景をどこかで見たなという既視感とともに、学園祭で見た天野先輩と日比野先輩を思い出した。あの二人の関係を見せつけるようなやり取りには、ギフトが自分のものであることを誇示するだけではなく、ギフトがテイカーに本気で愛され守られていることを示す目的があったのだろう。それを真似するように、俺たちも同じ道を進んでいた。同じようなことは先輩も考えていたようで「天野先輩と同じようなことをする羽目になるとは思わなかった」と愚痴にようなことを零していた。車に乗り込むと、先輩は運転手の存在も無視して俺を強く抱きしめてくれた。


「何もなかった?」

「視線がうるさいくらいでしたよ」

「明日から、何かあったらすぐ教えて」

「佐原もいるから大丈夫ですよ。先輩は受験に集中してください」


 結果が出るまで二ヶ月近く。その間に先輩と会える時間はとても少ない。三年の登校日と卒業式だけだ。それ以外では会わないことを提案したのは俺からだった。先輩の時間をこれ以上取りたくなかったのもあるし、二人きりになってもその先に進めないことが辛かった。自分がこんなにもパートナーになることを望むようになるとは思っていなかった。ただ、望まれ求められているのにそれに応えられないことが苦しくて、切なかった。時間にしたらほんの数分。先輩の肩に頭を持たれかけ、先輩が俺の髪を梳いていると、車が止まりエンジンの切れると音がした。


「合格の知らせ、待ってますから」

「あぁ」


 短い返事を聞くだけでは名残惜しくて、先輩の頬にキスをする。お返しのようなキスを唇にもらって、俺はゆっくりと車を降りた。すぐにエンジンのかかる音がして、先輩を乗せた車はあっという間にその場から去っていく。生活が変わることが一番怖いと思っていたのに、そんなことより、この先の人生に先輩がいなくなる方が恐ろしくなるなんて、だれが予想できただろう。『早く、早く』心ばかりが、ただ一人のギフトになることに急いていた。

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