第22話(独り暮らし)

 先輩の唇が離れた後、俺は先輩の制服をつかんでいた手から力を抜いた。抱き合っていた体を、どちらともなく放す。温もりがなくなり、僅かに空気がひんやり感じられた。


「目が真っ赤だ」

「恥ずかしいから、見ないで下さい」


 拗ねるように言うと、先輩は目を細めて笑った。何もかもが穏やかだった。先輩と一緒にいたいという気持ちが、ふわふわを心を満たしていく。これが恋だからなのか、ギフト故の別の感情なのかはわからないけど、胸が温かくなる感覚はとても心地がよかった。


「これで陽生は、俺の恋人になるってことでいいのかな?」


 先輩が確認するように尋ねる。名字で呼ぶことはもうやめたようだった。さっきはこんなときに名前で呼ぶなんてずるいと感じたのに、今はまだ耳に馴染まない呼び名がこそばゆい。恋をして、恋人になる。『普通』にこだわっていた俺が夢想していた普通の関係だけど、俺は先輩の言葉に首を横に振って答えた。

 叶うとなったら、ただ手に入らないと駄々をこねていただけで、本当に得られるものには遠く及ばない関係だと気づかされる。より強く、固い絆を結べることを望んでしまう自分がいた。テイカーとギフトにしか築けない、プレゼンツによって裏打ちされた確固たる関係。自惚れるなと叱責する自分を押し退けて、図々しい自分が顔を出す。


「俺をパートナーにして下さい」


 さすがの先輩も少し驚いたのか、「いいのか?」と聞き返された。それに俺は無言で頷く。元々望まれていたことで、待ってもらっていたのは俺の問題だった。今となっては、恋人という関係を挟む意味はない。


「一応聞くが、パートナーになるってことが、どういうことか、何をするかはわかってるよな?」

「わかってます」


 テイカーとギフトが『パートナーになる』というのは、他のプレゼンツ間でいうそれとは意味が異なる。一般的なパートナーは、婚姻関係を結んだ相手を言うけど、テイカーとギフトの場合、正式にパートナーの契りを結ぶということは、性交時にある行為を行うことでその性をギフトに植え付け、特別な繋がりを結ぶことを言う。これによって、ギフトはパートナーとなったテイカー以外の子を妊娠しづらくなり、身体に花のような赤いアザが浮かぶ。また、精神的な結び付きも強くなり、互いに信頼しあうパートナーであれば、他では得難い安心感や安定がもたらされる。


「はは、自分からしてほしいと言われるとは思ってなかった」


 可笑しそうに手で口許を押さえて笑う先輩を見て、何か間違ったことを言ったかと心配になったけど、それが顔に出たのか、すぐに頭をポンポンと撫でられた。


「ありがとう。俺は、正式にパートナーになるならちゃんと段階を踏みたいと思ってる。陽生はまだ16歳だし、まずはご両親と話をしないといけない」

「はい」

「あと、今こんなこと言うのは酷く躊躇われるけど、正式なパートナーになるときには、本来の姿の陽生と契りを結びたい。これは完全に俺の本能の問題だと思ってくれていい」


 黒髪や瞳のままでもという話をした後で、先輩はとても言いにくそうにしていけど、こればかりは仕方がない。テイカーがパートナーにギフトを望むのは本能からだ。それは、恋愛感情とは区別して捉えないといけない。俺の銀色の髪と瞳が先輩の本能を駆り立てるなら、俺は先輩の望む通りにしたかった。


「大丈夫です。それに、俺の問題でもありますから」


 偽りごと受け止めてほしいという俺の我が儘を聞き、ギフトであることを隠した姿でも、好きだと言ってくれた。その言葉で、姿にこだわる必要はないの気づかされた。まるで付き物が落ちたように、頭も心もスッキリしていた。


「先輩が大学に受かったら、俺は髪を戻して、コンタクトをやめます。きっとすぐにギフトだとばれるだろうから、卒業前にちゃんと守ってください」

「もちろん。さすがに、日比野ほどの待遇は約束できないけどな」

「あれはあれで目立つから、俺も勘弁ですけど」


 俺が肩を竦めて見せると、先輩は笑った。所詮無理のきているこの姿で居続けることは難しい。それよりも、先輩が守るといってくれるなら、変わることを受け入れようと思えた。やらなければいけないこと、できなくなることはたくさんあるだろうけど、きっと良くなることもたくさんあるだろう。今ならそう考えられた。


「そろそろ、部屋を出よう。さすがの鍵を返さないと怒られる」


 先輩の言葉で、この部屋が特別な場所だということを思い出す。あまりにほいほいと約束の場所に指定してくるから、すっかり忘れていたけど、鍵はどうやって手にいれていたのだろうか。聞いたところではぐらかされそうたまから聞かないけど、誰かに怒られる先輩の姿なら見てみたいものだ。


「俺、教室に鞄おいてきたんで戻ります」


 そう言って閉めていたドアの鍵を開けようとすると、手首を捕まれた。何かと思い振り返ると、先輩が耳元で囁く。


「あんな熱烈な告白をされて、そのまま帰すとでも思ってるのか?」


 何を言われているのかすぐにはわからず、頭にはてなマークを浮かべると、いつかのように耳を食まれた。びくりと身を震わせると、先輩は唇を離して声を落とす。


「俺はテイカーだよ、赤ずきん」


 やっと意味を理解して、顔がかっと熱くなった。先輩はテイカーで、俺はギフトで、それ以前に両思いらしい俺たちが、これから先どうやって関係を深めていくのか。キスもすでに経験している自分たちに残されていることは一つしかない。頭にぽんと浮かんだ内容に恥ずかしくなって、「あの…」と消えるような声で答えると、先輩は「うちにおいで」と言って、掴んでいた手を離してくれた。


「鞄を持ったら、駅においで。二番線の最後尾で待ってるから」


 俺は小さく頷くと、今度こそドアの鍵を開けて、廊下に飛び出した。外階段を使うことも忘れて、自分の教室に戻る。幸い途中で誰にも会わなかったし、教室には誰もいなかった。俺は自分の席に座ると、走ったせいで息苦しい呼吸と、バクバクと煩い心臓を沈めようと、背もたれに上半身を預けた。天井を仰ぎながら、両腕で顔を隠す。先輩が待っているから、はやく出ないといけない。でも、俺が何とか自分の鞄を握りしめ教室を出られたのは、それから十分以上たった頃だった。


 慌てて駅まで走った俺は、自転車通学のために普段使わないICカードを改札機におしあて、言われた2番ホームへ向かった。この時間帯はそれなりに人も多く、学生だけでなく会社員もちらほらといた。指定された場所までいくと、先輩は俺を見て、すでに何人かの乗客者が並んでいる列の最後尾に立った。二列になっている横に並ぶのは躊躇われて、俺は他の人が先輩の横に並んだのを見計らって斜め後ろに並んだ。

 あまり待つことなく、ホームに電車が入ってくる。車内は隣の人と肩がぶつかる程度には混雑していた。俺たち以外にうちの生徒はいなさそうだったけど、車内でも少し距離をとってつり革に捕まった。なぜだが自分がいけないことをしているような緊張感があった。

 数駅して先輩が降りるのについて降車し、そのまま数メートルの距離を保ちながら駅から出た。最早いつ近づけばいいのかわからないまま後を付いていると、スマホが鳴った。『隣に来い』とメッセージが入っていて、慌てて先輩に駆け寄る。


「ストーカーじゃないんだ。いつまでああしているつもりだったんだ?」

「タイミングがつかめなくて」

「途中コンビニによって、飲み物でも買おう」

「いいですけど、先輩ってもしかして独り暮らしなんですか?」


 まさか家族と同居している家に簡単に自分を呼んだりはしないだろう。もし万が一先輩の家族に会う可能性があるなら、今からでも帰りたい。


「俺の両親のことは知っているだろう。俺がいると母が不安定になるから、高校入学からずっと独り暮らしをしているんだ。とはいっても、定期的にハウスキーパーやら、実家で長くついてくれている家政婦みたいな人が来るから、俺はほとんどなにもしてないんだけどな」

「一年からですか?」

「父は父なりに母を愛してるんだ。母が少しでも穏やかにいられるよう、一人息子を家から追い出すくらいにはね」


 家政婦といったけど、恐らく母親の代わりに先輩を育てていた人のことだろう。ちょうど話し終えるとコンビニについた。先輩がすぐ買ってくるというから、店の外で待つことにして、家に『今日は遅くなる。夕飯も要らない』と連絡をいれた。先輩が戻ってくると、ジュースのペットボトルやお菓子らしきものが入ったビニール袋を手に持っていた。


「もうすぐつくから」


 そう言われるままついていった先は、まだ真新しい駅近のマンションだった。俺が高校生の一人暮らしで想像していた建物とはだいぶ違ったけど、相手は先輩だったということを思い出して納得した。オートロックの入り口の先には、それほど広くはないけど綺麗なエントランスがあって、エレベーターも鍵がないと動かない。九階まであがると、フロアの一番奥の部屋に案内された。

 俺はなんだか場違いな場所に来たような気がして、終始無言になっていた。先輩に促されて玄関を上がると、廊下の左右と正面に扉があり、正面の扉の先に部屋が続いていた。高校生が住むには広い、カウンターキッチンつきのワンルームだ。正直、庶民にはこの広さが高校生に必要なのかわからないけど、先輩の父親もテイカーの成功者なのだろうから、息子にこれくらいの部屋を用意するのは当たり前かとあまり深く考えないようにした。そうして俺は、まんまと先輩のテリトリーに足を踏み入れていた。

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