第21話(心奥)

 半日スルーしていたメッセージの返信をしたのは、ちょうど日付が変わる頃だった。家には帰っていたけど、返信を忘れていてことを謝罪してから、直接話したいことがあるから時間をとってほしい旨のメッセージを送信した。すぐに電話がかかってきたけど、出ずに返信を待った。十分くらいして、月曜日にいつもの会議室ではどうかと打診され、『忙しいのにすみません』と送ると、自分だって起きていたくせに、『夜更かし厳禁』のスタンプが送られてきた。

 先輩は、最初に宣言した通り焦ることなく、優しく接してくれている。そして待ってくれている。勝手に不安になって、猜疑心に苛まれて、動かないでうだうだしているのは自分だ。今日あったことも、俺がギフトという性に感じていることも、先輩に抱いている感情がなんなのかも、全部はっきりさせないと、何も変わらない気がした。ずっと、今までと変わらない生活がしたいと言い続けてきたし、今だってそう思っている。でも、本当はもうその我儘が通用しないこともわかっていた。何かを変える、何かが変わるときがやってきたのかもしれない。



 チャイムがなり、ホームルームが終わった。集中力は家に忘れてきたようで、今日の授業の記憶はさっぱりなく、一日中ずっと落ち着かなかった。緊張で頭が痛くなってくるのを我慢して、待ち合わせの場所に向かった。

 一目につかないよう、外階段をこっそり上るのも、待ち合わせの会議室のドアをさっと開けて入るのも、もう慣れた。ただし、今日は自分の鞄は教室に置いたまま。必要なものをひとつ、制服のズボンのポケットにいれただけだった。先輩は、窓側の壁に備え付けられている真っ白なホワイトボードに寄りかかって本を読み、いつもと変わらない様子で立っていた。気も漫ろに挨拶をして、部屋の奥に進む。


「急にすみませんでした」

「電話じゃダメな話なんだろう?」


 言われて頷いてはみたものの、何から話せばいいのかは俺もよくわかっていなかった。聞きたいこと、聞かなければいけないこと、言いたいこと、言わなければいけないこと。どの話題がどれに当てはまるのかさえ、整理できていなかった。黙り混んだ俺に、先輩は「どうした?」と優しく声をかけてくれたけど、その声に胸の奥がじんわりと温かくなって、余計俺は苦しくなった。その気持ちに任せて、ズボンのポケットに入れていたものを握りしめて先輩に突きつけた。先輩は丸まったその紙を広げると、わかりやすく眉間にシワを寄せた。


「これをどこで?」

「映画館の帰りに」


 渡したのは、先輩の異父兄だと名乗った男の名刺だった。先輩が忌々しそうにそれを見る。そんな表情を見るのは初めてだった。


「…···油断したな」


 経緯を聞かれるかと思っていたけど、そんなことはなかった。彼が何かを仕掛けてくることは、先輩も予測していてのかもしれない。でも、それを防げず、俺が名刺を持っているという結果に、先輩は腹を立てているようだった。


「何か言われたんじゃないか?」

「…···色々と」

「あいつの言うことは気にしなくていい」


 先輩はそういうと、名刺を二つに破って、近くにあった空のゴミ箱に捨てた。気にするなという言葉から、俺は先輩が何も語るつもりがないことを悟った。でも、それを受け入れられるほど、俺もお人好しではなかった。


「異父兄だと言われました。それは本当ですか?」

「あぁ」

「お父様にお母様をとられたと、家庭を壊されたと言っていました」

「結果的には間違いない」


 昨日聞いた話を思い出しながら、言葉を選んで聞いていく。でも、先輩の答えは最小限で、感情は読み取れなかった。


「今も月一回お母様に会っていると」

「離婚時の約束らしいからな」

「望まないパートナー関係のせいで、ギフトのお母様は不安定だと嘆いていました」

「…···」


 先輩は口を閉ざした。先程から、視線は窓にかけられたカーテンの隙間に逸らされたままだった。異父兄だというあの男性の言っていたことは、きっと本当なのだろう。「先輩?」と呼び掛けると、漸く目が合った。


「俺は、先輩の両親のことは正直どうでもいいと思ってます。ただ、彼の言ったことが本当のことなのか、嘘なのか知りたかったんです」

「本当か嘘か?」

「はい」

「あいつがどう説明したかは知らないけど、むこうの立場からみたら、概ね間違いないだろうな」

「そう…···ですか」


 先輩の両親が、確かに略奪によって成立したパートナーだとわかっても、やはりそこに大きな気持ちの変化はなかった。学園祭でテイカーとギフトのトラブルを目の辺りにしたときのような嫌悪感もなかった。それは、ほんの数ヵ月の先輩とのやりとりで、テイカーとギフトの関係は、あくまでその中だけの問題で、外野がとやかく言うことではないと納得してきたからかもしれない。だから、これは俺にとって聞きたかった、確かめたかっただけの話になる。

 そして、ここからが本題だった。心臓の音がトクトクと聞こえる中、言葉を紡ぐ唇が僅かに震えた。


「写真を見ました。銀色の髪と目をしたお母様の」


 極力冷静に聞いたつもりだった。でも、先輩の瞳が動揺で揺れたのがわかってしまった。途端に、自分の中の不安がぶわりと大きくなった。心臓の動きがどんどん速くなっていく。堪えようと深く息を吸い、ゆっくり吐き出す。『落ち着け、落ちけ』と頭の中で唱えながら話しを続けた。


「先輩が俺を望むのは、俺がお母様と同じ色の髪と瞳をもっているからですか?」

「それは関係ない」

「じゃあなんで、そんなに余裕でいられるんですか?俺が今は黒髪だからですか?銀色の髪も目も見えないからですか?」


 抑えようとすればするほど、溢れるように言葉が出てきた。段々視界が少しずつぼやけてくる。あぁ、まずい、泣きそうだ。こんな一方的な不安や疑問をぶつけるつもりではなかったのに、俺の口は止まらなかった。


「俺の髪も目も、銀色じゃなかったら、先輩は俺にきっと気づかなかった。俺がコンタクトを外さなければ、テイカーの本能だとか衝動だとか、そんなもの、先輩は微塵も感じさせない。それを俺は、待ってくれているんだと思ってました。でも違う。本当は俺のこの姿じゃ本能が反応しないんじゃないですか?だからいつも穏やかでいられる。違いますか?」


 責めるような言葉が勝手に口から出てきても、先輩は最後まで口を出さなかった。自分でもその内容に驚くほど、卑屈で、惨めだった。ギリギリ涙を流すことを堪えた目で、先輩を見つめる。先輩は、怒りでも呆れでもない、まるでこの場を丸くおさめる答えはないか探しているみたいに、困ったような表情を浮かべていた。それが、本心を隠されているようで、余計に俺の不安や疑念を煽った。


「俺は誰かの代わりですか?」


 声は震えていた。『母親の』とはさすがに言えなかった。それでも言いたかったことは伝わったようで、先輩はすぐに「それは違う」と否定した。俺の目尻を拭おうとする先輩の指先を、やんわりと押し返す。


「先輩が本当に望んでいるのは、俺ですか?」 


 自分でも、本当に馬鹿なことを聞いているのはわかっていた。本能を疑うのは愚かなことだ。テイカーがそうだと言ったなら、それに間違いはない。それがテイカーとギフトの原則だ。


「銀色の髪と瞳。それに惹かれるのは確かだ。衝動を感じるのも。でも、そこに母が影響しているかどうかは関係ない。俺がお前を望んだ。それを疑う必要はない」


 先輩が言っていることは正しい。正しいのに、素直に受け取れない。望まれるとはどういうことで、望むとはどういうことなのか。それは、メイカーだったらどういう気持ちとして表すのだろう。


「こんな姿にならなければ、俺はギフトとも気づかれずメイカーとして生きて、普通に恋をして、恋人を作ってって。そんなことを夢見てた、普通の男なんです」

「なぜ、メイカーの普通にこだわるんだ。普通から外れるのがそんなに怖いか?自分を外見で縛ってるのは飯塚自身だ。不本意な変化だったのはわかる。でも、それを否定することはできないし、お前はギフトで、その髪も目もお前のものだ」


 突きつけられる言葉が胸に刺さって苦しかった。自分はギフトで、それ故にパートナーに望まれてる。それがプレゼンツのあり方だ。だから、ギフトというだけで先輩に見られたくないというこの気持ちの根底にあるのは、俺の我が儘だ。


「ギフトにはテイカーのような本能はありません。それでも先輩と一緒にいるっていうことが、俺にとってどういうことなのかわかりますか?」


 デートまがいなことをしたり、頻繁に連絡をとったり、こっそり待ち合わせをしたり。先輩が待つと言ってくれたから、少しずつ縮まる距離を許してきた。ギフトであることがばれる危険をおかして、自分はテイカーである先輩を受け入れた。心を許したから、キスだって嫌ではなかった。でも、それが先輩にとっては本能によるものだと言われると、途端に悲しい気持ちになる。それがどういう感情なのか、俺は本当は知っている。でも、これを言ってしまったら、変わることから逃げられなくなってしまう。テイカーに望まれたからだと、言い訳ができなくなる。だから、言ってしまいたいのに、言いたくなかった。


「陽生」


 初めて名前で呼ばれて、心が揺れた。先輩の瞳はいつも真っ直ぐで、温かい。俺の口はするりと、本音を引き出されていた。


「…···先輩のことが好きなんです」


 堪えていた涙が、ついに溢れて頬をつたった。本能で俺を望む先輩に、俺だけ恋をしている。ギフトである自分自身への嫉妬を、八つ当たりのように先輩にぶつけただけだ。それなのに、先輩の指が今度こそ頬を拭う。そのまま、俺の体は先輩の腕の中に導かれていた。背中に回されらた腕に、ゆっくりと力が入る。


「俺もだよ」


 先輩が静かに囁く。俺は決壊した堤防のようにボロボロと泣いていた。すがるように先輩の背中にしがみつくと、さらに強く抱き締められた。


「そんなことを、気にしてたのか」


 問われて、抱きついたまま小さく頷いた。


「普通の恋愛だと思えばいいと、言ったはずなのになぁ」


 先輩が独り言のように呟く。その声は、少し笑っているようでもあった。涙が止まり、体から力が抜けていく。先輩の肩口に顔を埋めたまま、渇いた口が最後の悪足掻きをする。


「俺が…···黒髪と瞳のままでも?」

「それを恋っていうんだろ」


 先輩はそう言うと、俺のカサカサになった唇にそっと触れるだけのキスをした。黒い髪と瞳の俺が抱いていた恋が、花開いた瞬間だった。先輩の本能や望みすら愛しく感じる。漸くギフトとしての自分を受け入れることができた気がした。

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