第18話(甘受)

 公園に行って以降、先輩とは時々スマホで電話をするくらいの仲にはなっていた。話すと言っても、お互いの近況程度で時間は短い。かといって、相変わらず学校で見かける機会は少ないし、先輩もいくら優秀とはいえ受験生で、自由に使える時間は少ない。休日も模試があったり予備校があったりと忙しそうだった。

 だから、実際にはあの日以来、時間をしっかりとって二人で会ったりはしていなかった。特に付き合ってるというわけでもないから、俺としては公園でのこともあって、内心少しほっとしていた。先輩からは度々自衛を促すメッセージが届くから、俺をパートナーにという気持ちに変わりはないのだろうけど、急に何かを仕掛けてくる人でもない。ただたまに寂しいなと思う自分がいて、そんな自分に焦りを感じた。

 変わりたくないし変えたくないのに、先輩に言われた『俺のギフト』という言葉を思い出すと、ふわふわとした気持ちになる。テイカーとギフトが正式にパートナーになると、相手との関係次第ではギフト自身も大きな安心感や幸福感が得られると言われている。だから、この気持ちももしかしたら何かプレゼンツ由来のものなのではと推測していて、そうなると自分はもう先輩を受け入れていることになるのではないかという結論に至ってしまう。

 でも、先輩を受け入れるということは、ギフトを明かすということになるし、そこにはやはりまだ大きな抵抗があった。そもそも、先輩が卒業した後にギフトの自分がどういう高校生活を送るのかを想像することができなかった。パートナーのいるギフトに手を出すのは禁忌だから、身の危険はないかもしれないけど、好奇の目には曝されるだろう。日比野先輩のように元からギフト然としていたら、堂々としていられるのだろうけど、俺の性格では難しい。

 ギフトだと明かしていながら、人の目を気にしてこそこそ生活するのも辛そうだし、そんな例は見たことも聞いたこともない。結局、俺には向かないという答えに帰結したところでチャイムが鳴って、今が今日最後の授業中だとったいうことを思い出した。元々苦手な古文の時間で、いつも以上に上の空だったせいで、ノートは真っ白のままだった。後で直哉に写させてもらおうと思いながら、教科書を机にしまうと、ちょうど机の中にいれていたスマホが点滅していた。

 スマホを開くと、先輩からメッセージが入っていた。学校にいるときに連絡が入るのは珍しい。見れば『荷物をもって東棟の三階会議室へ』とだけ書かれていた。東棟は屋上のある校舎の一番奥の教室だ。生徒会が行事の際に予備で使う部屋で、普段は鍵がかかっていて入れない。これは所謂呼び出しというやつだろうか?そんなことを思いながらスマホを閉じると、一緒に帰ろうと誘いに来た直哉に断りをいれ、急いで教室を出た。

 東棟は元々人が少なく、特に三階には特別室だけしかないから、会議室のある廊下を歩いている生徒は殆どいない。さらに、会議室のある廊下の一番奥には外階段がついていて、俺はあまり使われることのないそこを使って、会議室のドアに手をかけた。鍵はかかっていないようで、すんなりとドアが開く。電気はついていないけど、会議用に並べられた長机を囲むように椅子がおかれた室内は、カーテン越しに光が当たっていて明るかった。先輩は、そんな部屋の窓際の椅子に座って待っていた。


「早く入りな」

「はい」

「あと、一応鍵も」


 そう言われて急いで中に入り、後ろ手で鍵をかけた。鍵をかけることには戸惑いもあったけど、途中で誰かが来ても困るから仕方なく閉めた。


「こっちに来たら?」


 電話で話すことが増えたせいか、先輩の口調は以前よりも少しフランクになっていた。俺は変わらず敬語だけど、部活の先輩と話すような気軽さはもてるようになっていた。


「この部屋、どうしたんですか」

「生徒会長の特権」

「もう元じゃないですか」


 そういうと、先輩は「そうだな」と言って笑った。結局どうやって鍵を手にしたかはわからないけど、先輩を慕う後輩は多いし、生徒会の繋がりは強い。普段使われない会議室の鍵なんて、簡単にどうにでもなってしまうのかもしれない。先輩から近くの椅子に座るよう言われ、一つ間を開けた椅子に鞄を抱えて据わった。


「久しぶりに顔が見たくなって」

「そういうこと、さらっと言うのやめてくださいよ」

「なぜ?」

「恥ずかしいからに決まってるじゃないですか」


 先輩はなぜだか満足げに微笑んでいて、整った顔でそういう表情をするのは、正直ずるいなと思った。誰だって目が離せなくなるし、何も言えなくなる。そして、この類いの人たちは、そのことを十分に理解して自分の長所を活用する。


「目を見せて」

「…嫌です」

「どうして?」

「また、…この前みたいになるから」

「わかってて、来たんだろう?」

「そう…ですけど」


 鞄を抱える手に力が入る。公園でのことが思い出されて、また顔が熱くなるのがわかった。それはもちろん怖さではなくて、でも、恥ずかしさだけでもない気がして、心臓がドキドキした。


「飯塚」


 名前を呼ばれて促されると、その声に俺は逆らえなかった。勝手に手が動いて、鞄の中のコンタクトケースを取り出す。先輩の目の前でそのままコンタクトを外してケースに入れ、何度か瞬きをすると視界がクリアになった。


「顔をあげて」


 先輩がこちらを見ているのが、伝わってくる。顔をあげたら、さっきまでの先輩はきっといない。それでも、ゆっくりと前を向いた。予想通り先輩と視線が合うと、先輩はそっと席をたって、足を一歩だけ前に出した。それだけで俺と先輩の距離はほとんどなくなってしまって、座ったままの俺には、先輩の制服しか見えなくなった。覆うように抱き締められて、先輩の制服に顔が埋まる。背中に回された先輩の手が優しいようで、でも力強くて、体温がじんわり伝わってくる。冬の教室で冷えているはずなのに体が暖かく感じた。


「俺のギフトだよ」


 屈んだ体勢の先輩が耳元で、呪文のように囁く。耳輪に柔らかな感触がしたと思うと、わざとチュッという音を立てられて唇が離れた。すぐに反対側も同じように唇が触れ、今度は啄むようにして何度か食んだ後に放される。耳が熱くてたまらない。胸の中に沸き起こる気持ちがなんなのか全然わからなかった。


「飯塚」


 もう一度名前を囁かれた後、ゆっくりと先輩が離れていく。俺が戸惑いで伏いたままでいると、先輩の手が顎に当てられ、やんわりと上を向かせられた。表情は穏やかだけど、いつもとは違う、ギフトを見るテイカーの目をしていた。でも、俺もその目から視線を外せなかった。


「綺麗な目だ。早くその髪が見たいよ」


 言われると同時に、今度は唇に口づけられた。体は無意識に強ばったけど、俺はそのまま二度目のキスを受け入れた。『逃げられない』という言い分けを理由にして。乾燥した唇が徐々に湿っていくのも、柔らかな温かさが何度も自分の唇を濡らしていくのも、離れては近づく息づかいも全部。触れては啄む口づけに、俺は抵抗しなかった。一度目とは違う。俺は、先輩とのキスを甘受していた。



 それから、週に一度、会議室への呼出しに応じることは、暗黙の了承となった。変わらずにいたいと思いながら、学校でコンタクトを外すというリスクをおかしている自分がいる。パートナーになることを拒否しているのに、キスを受け入れている自分がいる。自分が何をしたいのかわからなくなる一方で、先輩といるとギフトでよかったと思う自分がどんどん大きくなっていった。そして、俺にはすでに『逃げる』『拒む』という選択肢はなくなってしまっていた。

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