第16話(待ち合わせ)
あの後、先輩は俺の手を放すと、「また」と一方的に言って去っていった。放心した俺は家に帰って漸く、またってなんだ?と思ったけど、それから四日、先輩からのアクションは特にないままだった。クラスのあるフロアが違うから、学校でそうそう会うこともないし、三年は週の半分が午前授業で、午後は選択授業になる。俺はほっとしたような、気の抜けたような感じがしていた。
一方、日常生活は至極平和で、代わりなく過ぎていた。週に数回の部活も三年が抜けて寂しくなったけど、下らない話をして楽しんでいた。バイトは学園祭明けから週に三日にした。土日のどちらか一日と、平日は二日夕方からのシフトにしてもらった。
その週は日曜に公人と直哉に予定が入ってっていたから、土曜の俺のバイト後に夕方、二人と遊ぶ約束をしていた。バイト終わりの時間になって、二人と合流するために私服に着替える。待ち合わせはいつもの雑誌コーナーで、離れた位置からでも二人の姿がはっきりと見えた。ただ、見慣れた二人の横に、もう一人見知った人物がいて、俺は驚きとともに急いで三人の元へ駆け寄った。
「矢場先輩!?」
「お、陽生お疲れ」
「あぁ、飯塚。お疲れ様」
「あ、お疲れ様です。いや、そうじゃなくてなんで…···」
俺が言葉に詰まっていると、公人が近寄ってきて、肘で脇を小突きながら話し始めた。
「お前、なんで生徒会長と知り合いなこと何もいわなかったんだよ」
「え?」
「さっき急に声かけられて、飯塚の友達じゃないかって」
「いきなり生徒会長が来たからビックリしてさ」
「飯塚からよく話を聞いていたから、そうじゃないかと思って。一方的に声をかけてすまなかった。あと、俺はもう生徒会長じゃないから、その呼び方はやめてほしいかな」
先輩はキラキラと眩しい笑顔を二人に向けていて、その姿は、オタクにも分け隔てなく、優しく親しみやすい元生徒会長そのものだった。なかなか一般の生徒が元とはいえ生徒会長と話す機会はないから、公人も直哉もやや興奮している様子で、完全にテイカーのオーラにやられていた。
そんなことよりも、俺は矢場先輩に二人の話をした記憶などなかった。直哉は学園祭のときに、生徒会役員に事情を話したりしてくれていたけど、生徒会長のところまで名前が入るとは思えない。勝手に調べたなと一瞬イラッとしたけど、そもそも俺の交遊関係は狭いから、調べるも何も俺に目を付けた時点で既に知っていたのかもしれない。その上で、しれっと距離をつめてきたのだろう。外堀から埋められていくパターンで、非常にまずい気がした。
「ところで、先輩はどうしたんですか?」
まさか俺の友達を待ち伏せするために来たわけではないはずだ。
「予備校で勉強中だったんだけど、参考書が必要になって買いに来たんだ」
そう言うと、片手に持っていた袋を胸元まであげて見せられた。乳白色の袋からうっすらと、難関大学向けの問題集が透けて見えた。
「これから予備校の自習室に戻ろうと思ってたところだったんだけど、せっかくだしお茶でもするか?奢るよ」
お茶と聞いた途端、公人も直哉も怯んだのがわかった。俺たちみたいなタイプは、いくらその場で少し盛り上がっても、慣れない人間に急にグイグイこられると逆に引いてしまうところがある。先輩もそれは察したのか、押すことはなく、すぐに自分から身を引いた。
「はは、急に誘われても困るな。じゃあ、それはまた今度」
「はい」
先輩があっさり引いたので安心したのか、二人もすぐに笑顔に戻った。そのまま出口に向かって歩き出したから、これで解散かと気を抜いていたら、矢場先輩がふと足を止めて俺の方に向き直り口を開いた。
「そうだ、飯塚。この前教えてもらった連絡先の番号、メモを他の書類とシュレッダーにかけてしまったみたいなんだ。番号、もう一度教えてもらえるか?」
「え?」
「ここに入れてくれ」
「へ?あ、はい」
徐に渡されたスマホに、咄嗟のことで頭が回らず、言われるまま自分の連絡先を入力し先輩に返していた。先輩が満足げにそれを持っていたバッグにしまうのを見て、俺はすぐに、スマホの番号交換なんて元々してないことを思い出し、騙された!と叫びそうになった。でも、公人と直哉がいる手前何も言えず、恨めしげな視線を向けて黙るしかなかった。
本屋を出ると先輩は予備校へ、俺はやたらテンションの高い二人に挟まれながら、元気なくゲームセンターにむかった。
その日の晩、すぐに見知らぬ番号からショートメールが届いた。内容を見なくても、通知だけで矢場先輩だろうとわかった。メッセージアプリは連絡先からの検索避けの設定をしているから、勝手に友達登録をされることはない。いきなり電話がかかってくるよりはましかと思い、メッセージを確認すると、まず最初に『バイト中もメガネをかけるように』とあった。名乗りもしないのかとか、突っ込みたいところはあったけど、もっともなことだから素直に『わかりました』と返した。ただ、俺をギフトだとばらしたくない先輩自身のためだとも思うと、余計なお世話だと言いたくもなった。
その後すぐに『明日十時、例のモールの正面入り口で待ってる』と返信があった。明日の予定はなかったけど、もちろん『行きません』と返した。すると、『家まで迎えにいく』とすぐに畳み掛けられ、仕方なく『わかりました』と返すはめになった。
結局先輩とのやり取りの最後は俺がいつも折れて終っている気がする。そう思っていると、突然スマホに着信が入った。まだ登録はしていないけど、それまでやり取りをしていた先輩の番号からだった。メッセージのやり取りをしている最中の着信を無視することもできないから、恐る恐る受話ボタンを押す。
「もしもし」
「待ってるから」
「せめて名乗ってくださいよ」
「言わなくても分かっただろう?」
「先輩、受験生なのに遊んでていいんですか?」
「そのくらいで落ちる頭はしていないから」
自信満々に言われてしまったら、反撃のしようがなかった。何より生徒会長を務め上げたテイカーだ、本当に心配する必要なんてないのだろう。矢場先輩は再度時間と場所の確認をすると、また「帽子とメガネはしてくるように」と付け加えて電話を切った。元よりそのつもりでいたけど、ここまで繰り返されると小言のように聞こえてくる。俺は先輩の番号を登録すると、スマホをベッドに放り投げ、盛大に溜め息をついたのだった。
モールのオープンは朝十時だ。俺はなるべく約束の時間ぴったりにつくように家を出て、待ち合わせの正面入り口にむかった。すでにオープン待ちの人溜まりができている中、矢場先輩を見つけるのは簡単だった。ベージュのジャケットに、黒の綿パンとラフな格好にもかかわらず、自分なんかが呼び掛けるのが申し訳なくなってしまうくらいには、格好がよかった。すぐにむこうも俺に気づいたのか、手にしていたスマホをパンツのポケットにしまって近づいてくる。
「ギリギリですみません」
「いや、家まで迎えにいかないといけないかと思ってたから、来てくれてよかった」
先輩はそう言って、にっこりと笑った。あのメッセージは本気だったのかと少し動揺してしまう。
「飯塚は押しに弱くて逆に心配になるな」
「否定はしません」
「まぁ、俺にとっては都合がいい」
あんなメッセージを寄越しておいてよく言うなと思う一方、それにまんまと乗ってしまう自分にも呆れてしまう。時間になり入り口が開くと、人だかりが建物の中に一切に吸い込まれていった。買い物でもするつもりだろうかと思っていたら、先輩は1階に入っているコーヒーショップの前で俺を待たせ、飲み物と軽食をテイクアウトし、店から出てきてしまった。
「どこかいくんですか?」
「あぁ、今日は天気がいいから散歩でもしよう」
先輩は俺が横についてきていることを確認すると、もときた道を戻り、すぐにモールから出てしまった。そのまま大通りに出て無言のまま歩くのについていくと、周囲から段々と人通りが少なくなっていく。それでも先輩は迷いなく道を進んでいて、行き先が決まっているようだった。
「どこに行くんですか?」
「近くに結構大きな公園があるんだ。歩いて10分くらいかな、知らなかったか?」
「だいたいここへは家族と車で来ることが多いので。今日はバスでしたけど、先輩はどうやって来たんですか?」
「俺もバスだよ」
「先輩でもバスに乗るんですね」
「飯塚の中で俺はどういうイメージになっているんだ」
「送迎車とか?」
「天野先輩に感化されすぎだな」
先輩が苦笑すると、俺も少し緊張がほぐれた気がした。さらにしばらく歩くと、公園が見えてきた。入り口には数十台分の駐車場があり、奥へと木々が繁っていて、なかなかの広さなことがわかる。まだ紅葉には早く、所々気の早い葉が色を変えている程度だけど、シーズンにはきっと多くの人が訪れるのだろう。俺は先輩の「行こうか」という声にひかれるように、その後を追っていた。
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