第14話(始まり①)

 十月中旬、生徒会役員の改編があり、退任式の後、矢場先輩は生徒会長の座を降りた。と言っても、人気に陰りが出ることはなく、天野先輩の前例もあるからか、早々に誰かパートナーを選ぶのではないかという話で周囲は持ちきりだった。

 生徒会は普段からプレゼンツの問題解決に力を入れている。ギフトだと噂になり騒ぎになったり、テイカーがギフトとトラブルを起こしそうになったときには、解決や仲裁に入るのが生徒会の役目の一つだ。そのため、ギフトあるいはギフトだと噂される人物からの信頼も厚く、元生徒会役員がその後ギフトにアプローチをすることになっても、トラブルになったという話は聞かない。

 もちろんパートナーを作らず卒業を迎えるテイカーの方が圧倒的に多く、例えば蔵前先輩は退任後すぐに、「校内には自分の望むギフトはいない」と言い放ち、余計な噂のネタにされることを回避した。高校を卒業すればより世界が広がり、出会う人間も増え、ギフトと出会う確率も高くなる。そもそも、本能的な衝動を掻き立てられるようなギフトを高校という狭い世界で見つけられる方が、珍しいことなのかもしれない。



 一方俺はちょっとした問題にぶち当たっていた。眉毛やまつげまで、色が変わり始めたのだ。今はまだ鏡でじっくり見ないと気づかない程度だけど、これまでの経過を考えると、徐々に脱色が進むのは目に見えていた。眉毛はサロンで染められたけど、まつげの対応は難しい。姉にはいっそマスカラでもすればと言われたけど、正直体の変化を隠すのにも疲れてきていた。どうすればメイカーに見えるのか、それはテイカーから見てもばれることはないのか。そんなことを考える時間が増えた。

 そして、何か考えるとき、あの屋上に足が向かうようになった。そこでボーッとしていると、一時でも悩みが頭から消え、スッキリした気持ちになれた。


 その日も、俺は部活を断って夕方の屋上に向かっていた。薄暗い階段を登りドアを開けると、少し肌寒い空気が体にあたる。この屋上は、階段のある建物の裏が一番他の教室から見えにくい。俺がいつもの場所に行こうと歩き出すと、珍しく先客がいた。


「矢場先輩」

「あぁ、飯塚か」


 先輩は、階段から少し離れた、生徒会室が見える場所にいた。『君』とかではなく、突然名前で呼ばれて面食らってしまった。自分から名乗ったのは一度だけだ。その後名前を呼ばれた記憶はない。ただ、あんなことがあったのだから覚えもするかと思い直す。

 すると、先程より少し大きな声で「どうかしたのか?」と聞かれ、俺はその場に立ったまま「気分転換です」と答えた。本当のことだから何も問題はない。でも、矢場先輩は凭れていたフェンスから肩を起こすと、優雅な足取りでこちらに歩いてきた。


「気分転換が必要なことがあったのか?」

「まぁ…···色々と」


 俺がボソボソと言うと、先輩は「色々か」と繰り返した。それだけの会話で、すでに俺が先輩に相談を持ちかける流れができてしまったような気がした。でも、決して「どうしたんだ?」とは言わない。嫌らしいなと思いながら、せめて誰かに見られるのだけは避けたくて、俺は何も言わず階段裏に場所を移動した。矢場先輩も当たり前のようについてくる。

 本来ギフトの相談は小松先生にするべきなのだろうけど、今は大人の正論や励ましは聞きたくなかった。それに、実際にこの前のようなことを目の当たりにすると、メイカーの小松先生にどこまで相談できるのか不安で、それも保健室に足が向かない理由の一つだった。俺がいつものように壁に凭れて腰を下ろすと、人一人分ほど空けた位置に先輩も座った。制服が汚れそうだけど平気だろうかと気になったけど、口にはしなかった。


「ちょっと疲れちゃって」


 先輩が相手では、隠し事なんてできる気がせず、自分から話を始めた。


「脱色が進んでるみたいで、眉毛やまつげまで薄くなってきてるんです。眉毛はどうにかなるんですけど、睫毛は今後ちょっとどうしようかなって状態で。まぁ、まだかなり近づかないとわからない程度なんですけど…···」

「今は何もしていないのか?」

「眉毛は染めました。睫毛は難しくてそのままです」


 そう言い終わるか否か、先輩の顔がぐっと近づいてきた。近距離で目と目が合って、驚きのあまり俺は反射的に体を引いたけど、先輩はお構いなしに俺の顔を横から覗きこむ。先輩の焦げ茶色の目に、自分の情けない顔が映っているのがわかった。整髪料の匂いが感じとれるほどの距離で俺がしばらく固まっていると、先輩は満足したのか漸く顔を離してくれた。


「確かに、近づいてみるとわかるな」


 俺が口から心臓が出そうなほど動揺して、何も返せないでいると、今度は腰を浮かせて頭頂部に視線を移す。学園祭前に染めたばかりだから、まだそんなに延びていないはずだけど、検閲されているようで今度は居心地が悪い。すると、プチっと髪を一本引き抜かれた。公人や直哉のときもそうだけど、なぜ皆勝手に人の髪を引き抜くんだろう。さすがの俺も抗議の目を向ける。でも、先輩は俺の視線など気にする様子はなく、抜いた髪の先端を持って、根本部分を夕日に透かして見ていた。


「綺麗な銀色じゃないか」

「そうですか?」

「以前見たときよりも薄くなってる。境目を隠すのは大変じゃないか?」

「いずれ無理が来るとは言われています。でも、今はそれしか方法がないので」

「いっそ全部止めてみたらどうだ?」

「え?」


 予想外のアドバイスに耳を疑った。少し前に自衛しろと言ったのは矢場先輩本人だ。本来の状態に戻したら、顔がいくら平凡だからとは言え、一発でギフトだと疑われるだろう。


「いや、えっと、どういう意味ですか?」

「そのままの意味だ。染髪をやめて本来の状態にする」

「それじゃ、ギフトだってばれちゃうじゃないですか。俺はただのオタクだし、髪を明るく染めました、ついでにカラコン入れましたなんて冗談通じませんよ」

「はは、それはそうだろうな」


 俺の言葉を聞いておかしそうに笑う矢場先輩を見て、俺はからかわれた気分になった。


「自衛しろっていったり、止めてみたらっていったり、なんなんですか」

「そう怒るな。メイカーを装うならギフトが自衛するのは当たり前のことだ。今はそういう話じゃない」


 俺は鼻息を荒くしながら、口を噤んだ。バカにされているわけではないのはわかる。確かに先輩の言うとおりだ。自衛ができない、偽装ができなくなりそうだからどうしたらいいかという話をしていたのだから、先輩の答えは間違いではない。でも、もう少し真剣に考えてくれるのではないか、もしかしたら自分では考えつかない策があるのではないか、そんな期待みたいなものがあった。それを裏切られたような気持ちになって、勝手に腹をたてただけだった。


「俺が見たのは随分前の姿だけど、あのときですら、病院で見かけたことを抜きにしても、見た目だけで飯塚がギフトだとわかった。今なら尚更だろうな」

「俺は…···メイカーとして、ひっそり生活したいんです」

「それが難しいという話だったんじゃないのか」

「…···そうです」


 話が戻ってしまって、俺は虚しくなって俯いた。そろそろ空も暗くなってきた。得策などというものはないのだから、この話はもうお終いにしよう。そう思って顔を上げると、いつの間にか矢場先輩が俺の正面にしゃがんでいた。


「一ついい考えがある」

「なんですか?」

「メイカーを装うのを諦める」

「それで、どうやっていけって言うんですか?」


 少しやけくそ気味に聞き返す。ギフトであることをさらけ出して、どうやって学校生活を送れというのだろうか。すると、先輩は薄く綺麗な形の口に微笑みを浮かべ、生徒会長だったときによく見た、紳士的で落ち着いた、けれど威厳のある声色でこう言った。


「俺のパートナーになればいい」


 あまりに唐突な申し出に、俺は暫しその言葉の意味を理解することができなかった。

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