第13話(顛末)
学園祭から三日後、俺は件のトラブルについて生徒会から呼び出しを受けていた。うちの学校は学園祭が終わるとすぐに生徒会の役員改編かある。今年は生徒会長には現副会長しか立候補しなかったから、選挙は行われない。それ以外の役員については、二年から三年は基本的に持ち上がりだ。三年の補填として一年から数名役員が選出されるものの、候補者には生徒会から直接声がかかるらしい。成績優秀で、人望のある人物が選ばれるので、生徒会の大半がテイカーになるのも頷ける。
俺は見なかったけど、すでに学園祭中から仮の腕章をつけていた一年もいたらしい。選挙がなければ改編は引き継ぎだけになり、学園祭の後処理が同時進行で行われる。そんな絶対に多忙を極めるであろう中の、生徒会長から直々の呼び出しだった。傷は大したことはなかったし、本当はもうあまり関わりたくなかったけど、俺には断る口実も術もなかった。
放課後、生徒会室の前まで来て、二度ドアをノックする。中から返事はなかったけど、失礼しますと声をかけてドアを開けた。普段入ることのない生徒会室は、会議室のようなつくりになっていて、中央に大きな会議用のテーブルが置いてあった。その奥に生徒会長用の一番大きなデスクが、その両端にそれよりは少し小さめのデスクがあった。壁は全面白いファイル庫で覆っているものの、入りきらないのか、使用中なのか、会議テーブルの上は書類で山積みになっていた。床もビニールやフローリングではなく、絨毯のような材質で、上履きのまま入っていいのか一瞬ためらってしまった。
部屋の奥のデスクにいた矢場先輩から、こちらに来るようにと声をかけられ、そそくさと中に入る。室内には他に大野先輩と蔵前先輩がいるだけで、奥までいくと、先輩はすぐに話を始めた。
「急に呼び出して申し訳ない。この前の件について、先方から謝罪があってね。本人からではないのだけど、保護者から無関係な生徒に怪我をさせたらしく申し訳ないと、これを渡された」
矢場先輩はそういうとデスクの上においてあった白い封筒を俺の前にスッと差し出した。視線で手に取るよう促される。緊張で震える指先で封筒を開けると、中には一目でかなりの額だとわかるお金がはいっていた。俺は慌てて封を閉じると、デスクにそれをおいて会長に突き返した。
「こんなの受け取れません。俺の怪我なんて病院にもいっていないし、こんな、こんなの…···」
俺の言葉に矢場先輩は悩ましげに首を傾ける。
「怪我の程度は関係ないんだ。ある政治家の息子が、他所の学校の学園祭でギフトをめぐってトラブルを起こした。そして全く無関係の怪我人を出した。それが問題なんだよ」
「それって」
「言葉を選ばなければ、慰謝料兼口止め料というところかな」
意味がわからず、俺は柄にもなく声をあらげていた。
「俺、誰にも言ったりしません!」
先輩たちはじっとこちらを見ているだけで、何も言わない。
「そもそも他に目撃者が何人もいるのに、俺だけ口止め料をもらうなんて変です。それに、相手の名前も知らないし、プレゼンツのことに首突っ込むようなこと…···」
そこまで言って言葉に詰まると、矢場先輩がふっと苦笑した。
「先方は騒動を起こしたこと自体は問題視していないんだ。今回のことも、こちらとしては甚だ迷惑な話だけど、息子が望んだギフトを見つけて、断られてトラブルになった程度にしか考えていない。そんなトラブルはテイカーとギフトにはよくあることだ」
「それなら俺も、今回のことはどうとも思ってません」
「でも、そういうことは、本来当事者だけの問題で完結させなければいけないルールになってる。例えば君が彼の恋人で、ギフトである彼を奪い合った結果怪我をしたということなら、君が立場の弱いメイカーだろうと、テイカーにとっては奪い合いの相手で、怪我をしようが関係ない。でも、今回の君は違う。君は全く関係がなく巻き込まれて、怪我をした。それはルール違反で、ただの傷害だ」
「そんな、勝手な」
無関係な人間をプレゼンツの問題に巻き込むなというのは理解できる。しかし、テイカーがギフトを得るためにトラブルを起こしても、当事者同士なら問題がないというのは納得がいかなかった。ギフトやメイカーは当事者のようで、当事者として扱われていない。恐怖し、傷付き、奪われる、ただの被害者だ。俺はメイカーを装わなければいけないというのに、腹が立って、唇を噛み締めた。
「これはもう君のもので、さすがに俺もこれを先方に突き返すことはできない。申し訳ないが、君に受け取ってもらうしかない」
そう言うと、矢場先輩は再度封筒を俺に渡した。少し厚みのあるそれがとても汚いもののように思えた。封筒を受けとれば、不条理を認めてしまうような気がして、俺は封筒を手にしたまましばらく言葉を失っていた。その沈黙を破ったのは大野先輩だった。
「あまり深く考えない方がいいですよ。今までの話はテイカーのルールで、あなたはそれを押し付けられただけだ。テイカーとギフトの関係に何かを感じても、あなたが何か変えられるわけではない」
「そうですね。この問題にさっさとケリをつけるためにも、降って湧いたお金だと思って受けとってもらえると助かります」
蔵前先輩にも促され、俺は仕方なく「わかりました」とだけ言って、封筒を受け取り、ギュッとそれを握りしめた。
「では、この話はこれで終わりだ」
矢場先輩が話を締めるように、パンパンと両手を叩く。すると大野先輩も蔵前先輩もすぐに動き出し、各々ファイル庫から書類を探したり、デスクからパソコンを取り出し始めた。やはり、こんな話に時間を割くほど余裕があるわけではないのだろう。俺は憂鬱な気分のまま、その場を後にしようとしたけど、一つだけどうしても気になることがあって、途中で足を止めた。後ろを振り返り、「あの…···」と声をかけるとバラバラの場所から三人がこちらに顔を向ける。
「この前のギフトの先輩は無事だったんですか?」
俺の質問に矢場先輩は少し悲しそうに眉を下げた。それだけで、あぁ、あまりいい答えは得られそうにないなと感じた。
「今日付で転校したよ」
「そうですか」
俺はそれだけ聞くと生徒会室を後にした。この時期の急な転校だ。普通の学校なら受け入れてもらうことは難しい。それが通ったということは、『誰か』が無理をきかせたのだろう。俺はただ、三日前のあの瞬間、恐怖に怯え困惑していたギフトの先輩が、これからでも、あのテイカーと少しでも安心できる関係を築けたらと願った。
生徒会室を出たあと、俺はすぐに教室に戻り手にした封筒を鞄に放り込んだ。気にして待ってくれていた直哉が「大丈夫か?」と声をかけてくれたけど、胸のモヤモヤは膨れるばかりだった。その後も直哉は一緒に帰るか?と誘ってくれたけど、イライラしているのを、親友に気取られるのは嫌だった。
「悪い、ちょっと一人になってくる。先、帰ってくれていから」
俺はそう言うと、大金の入った鞄を掴み、走って教室を後にした。一人になれる場所、そう考えて屋上に向かった。重いドアを押して外に出ると、幸い誰もいないようだった。フェンスに腰を掛けて座り込み空を仰ぐと、すでや青空の端にオレンジ色の夕べの色が交り始めていた。雲がゆっくりと流れていくのを眺めていると、気持ちが少し落ち着いてくる。それでも、自分が何にこんなにイライラしているのかはわからずにいた。
テイカーがギフトを強引に手に入れようとすること、ギフトが望まない形でパートナーになることを強いられること、生活が壊されて、作り変えられること。全てどこかで聞いたことのある話で、知っていた知識だった。知っていたのに、いざそれが身近で起きてショックを受けているのもあった。
でも、それだけじゃない。生徒会室でのあの雰囲気に当てられて、結論が決まっている生徒会長の話に納得したふりをして、疑問や不満を無理やり飲みこんだ自分が嫌だったのだ。メイカーを装っているからこそ、テイカーの世界で許されていることや独自のルールに口を紡ぐしかない。目がじわじわと水気を帯びて、涙が流れずに溜まっていく。その時、ガチャンと屋上のドアが開く音がして、慌てて目をこすって音のした方を振り向いた。
「…···矢場先輩」
「生徒会室から、丸見えだよ」
自分が腰掛けていたフェンスの先を見ると、ちょうど正面に生徒会室の窓が見えた。普段はカーテンが閉まっているけど、開ければ確かに俺の姿に気づくだろう。そして、生徒会長自ら様子を見に来たということだろうか。
「何でもないです。もう平気なので、先輩は仕事に戻ってください」
「さっきの話がそんなにショックだったか?」
「違います」
「不満だった?」
「違います!」
答えられない問いを突きつけられているようで、つい声を荒げてしまった。ただ、すぐに相手が先輩で生徒会長だということを思い出して、小さい声で「すみません」と謝った。
「巻き込んだことはすまなかった。生徒会の力不足だ。でも、これがテイカーとギフトの現実だ」
「…···わかってます」
俺がそう言うと、矢場先輩は何も言わずに俺の隣に腰を下ろした。距離が急に近づいてドキリとする。綺麗な横顔がさっきよりもオレンジ色に染まった空をキャンバスにしてよく映えた。この前ちらりと見えたピアスは、ゴールドの小さなフープピアスだった。左の首筋にほくろがあるな、なんてつい見とれていると、空気を変えるように矢場先輩が話し始めた。
「病院に行かなかったようだけど、怪我は大丈夫だったのか?」
「痣とかかすり傷だったので。それももう治りかけてますから」
袖を捲くって、すでにかさぶたになったかすり傷を見せる。痣はまだ青紫色だけど、触らなければ痛くはない。自分としては、大したことはないということを伝えたくて見せたのだけど、俺の意図に反して矢場先輩は顔を顰めてしまった。腕を掴まれて、袖を更に上に捲られる。
「真っ青じゃないか」
そろりと痣を撫でられて、「痛むか?」と聞かれた。その声が妙に優しくて、恥ずかしくなって慌てて腕を引いて袖を下げた。
「俺、ギフトだってわかってからどんどん色が白くなってて、痣とか傷がちょっと目立つようになっちゃったんです。見た目ほど痛くないんでもう平気です」
「そうか」
「髪も目も、元は真っ黒だったんです。でも、初めてモールで先輩にあった日の少し前から脱色が始まって。黒髪のままだったら誰も俺がギフトだなんて気づかずに過ごせたと思うんですけど…···」
髪の色は、染髪しなければ今は恐らく病院で見られたときよりさらに色の抜けた、もはやグレーとは言えない銀色になっているはすだ。体の変化を話したのは、単純に弱音を吐きたくなったからだった。メイカーを装って、テイカーとのトラブルに巻き込まれて、お金を受け取って、ギフトの現実を突きつけられて、自分の立場がわからなくなった。
「ちゃんと、自衛できてると思いませんか?」
そう言って矢場先輩の顔を見ると、夕日のように温かな笑顔で「そうだな」と返された。自分でも、ちゃんとメイカーを演れているし、ギフトであることもしっかり隠せていると感じている。ても、やっぱりテイカーの存在には気を張っていて、どこかいつも不安だった。かと思えば天野先輩と日比野先輩の関係を羨ましく思ったり、件のギフトの境遇に動揺したり、日々感じることが変わって、気持ちが追い付かないでいた。
「自分の生き方を決めるって大変ですね」
「うまくいかないこともあるさ」
「先輩でもそんなことあるんですか?」
「まぁ、そこを思い通りにしていくのが、人生なんだろう」
「…···さすがテイカーですね」
ふふと笑うと、矢場先輩も口角を上げて不敵に笑った。
「君は十分よくやってる。今はまだでも、少しずつわかってくるようになる」
「そうだといいんですけど」
「俺が保証するよ」
優秀な生徒会長が言うのだ、きっと大丈夫に違いない。俺はなぜだか急にほっとして、堪えていた涙を一粒頬に落とした。先輩はそれに気づかないふりをして、すっと腰を上げると、「俺は戻るから、君も早く帰るんだよ」と言い残し、屋上を後にした。
俺も頬を制服の袖で拭うと、あの大金が入った鞄を今度はしっかり肩にかけて、立ち上がった。空はすっかり夕日に染まり、地平線は群青に色を変え、夜の気配を醸していた。
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