第10話(特別)

 九月の半ば、夜の風は生ぬるく、期待したほど涼しくはなかった。俺は帰るとすぐに汗を流すために風呂に入り、着けていた片方だけになったコンタクトを捨てた。コンタクトの着用時間は、目のためにもできれば短い方がいい家の中では不要だから、いつも帰るとすぐはずしてしまう。そして、髪や肌に何か変化は起きていないか、鏡でしっかり確認することが習慣となった。鏡にはアッシュブラックの髪に銀色の瞳になった自分の顔が映っていて、まだまだその姿には違和感があった。

 それは、自分の平凡な顔には、このやけに幻想的な色の瞳だけがミスマッチに見えてしまうからだった。自分がギフトだとわかるまで、自分が抱いていたギフトの印象は、芸能人やモデルのような存在だった。彼らは人の目を惹く顔や身体の造形だったり、誰をも惹き付けるオーラや色気だったり、そんなものを持っているに違いない。勝手にそう思い込んでいたのだ。

 でも、自分がギフトだとわかって、なんとなく感じているのは、俺のようにそこそこなギフトも結構いるんじゃないかということだった。そうでなければ、ギフトがメイカーを装ったり、ギフトであることを隠して生活することなど簡単にできない。もちろんそういう人たちは、皆自分の第二性がばれないように、何かしらの工夫をしているのだろう。例えば俺のような染髪やコンタクトだったり、髪型や服装、社会での立ち居ふるまいもあるのかもしれない。自分もその一員になった今、せめて自分の生き方を決めるまでは、できることはなんでもしないといけない。

 二度と同じ失敗をしてはいけない。俺は、風呂から上がってすぐ、先輩に忠告された通り、替えのコンタクトと加えてメガネも鞄にしっかり入れたのだった。



 その日は食欲もあまりなく、夕飯を終えるとすぐに自室のベッドに寝転んだ。部屋の照明を少しだけ暗くする。この目になってから、パソコンやテレビの画面を長時間見るのが疲れるようになった。パソコンいじりもゲームも趣味だから、やっている間は忘れてしまうけど、あとになって、目の疲れを実感する。今日は少し目の奥が痛む。

 さすがに寝るには早すぎる時間だけど、俺はベッドに横になったまま目を閉じて、片方の掌で瞼を覆った。そうしていると、今日あった出来事が思い出され、頭に色々な考えや思いが浮かんできた。まず浮かんだのは、家族以外にギフトだとばれてしまったということだった。そもそもモールで声をかけてきたのが矢場先輩だったということは、病院で見られた姿が自分の本来の状態だということも、知られていることになる。

 いくら自分が不用意だったとはいえ、なぜわざわざ後をつけてまで先輩はアドバイスをしてくれたのか、正直もう少し真意を聞いてみたかった。隠れるギフトを見つけようと必死になるテイカーも多い中、先輩の言葉からはむしろ逆のニュアンスを強く感じたからだ。以前は慎重なギフトになるように言われたし、今日は自衛するよう忠告された。吹聴しないとも言っていたし、誰かに言ったところで先輩にメリットもないから、本当に正義感からのお節介の可能性もある。もしかしたら、自分の望んだギフトが相手でなければテイカーの対応もこの程度なのかもしれない。

 どちらにせよ、俺だって今日のような状況は二度とごめんだし、ばれるかもという不安は、今でも思い出すと心臓がきゅっとする。相手が矢場先輩だったのは救いだったけど、それは単なる偶然でしかない。生徒会でも、違う人が見回りだったり、他に生徒がもっと残っていたらどうなっていたか。考えると恐ろしい。


 そして、一つ分かったことがある。やはりテイカーからは独特の圧力を感じるということだ。テイカーに゛捕まった゛ギフトがなぜ逃げられないのかずっと疑問だった。俺はサロンの店長くらいしかテイカーと話した経験がない上に、彼はギフトのパートナーがいる安定したテイカーだ。だから、俺にとって矢場先輩が同年代で初めて接触したテイカーになる。

 先輩との会話は、俺がコンタクトを落として挙動不審にさえなっていなければ、普通にできていたように思う。ただ、会話の要所要所で、この人の言葉に従わなければという気持ちにさせられる感じがした。相手がテイカーだからなのか、先輩でしかも生徒会長だったからなのかはわからないけど、口調は穏やかなのに相手に拒否させない言葉の力があった。

 一方で、近くにいるからといって、無闇に恐怖を感じたり、逆に迎合したくなるということはなかった。矢場先輩の場合、普段から誰にでも分け隔てなく接する人柄からか、一度助けてもらった安心感からか、今思い起こしても嫌な感じは微塵もない。

 そもそも俺が一番恐れているのは、ギフトだとばれて今の生活が変わってしまったり、周囲の目が変わってしまうことだった。そして、それがテイカーによって、あるいは誰かの暴露によって引き起こされるかもしれないから、テイカーを避けているに過ぎない。ギフトである以上、テイカーとパートナーになって幸せを得るという選択肢があることも分かっている。

 一般的に、互いに思いあってパートナーになるテイカーとギフトほど幸せなものはないと言われている。

テイカーは安定を、ギフトは安心を、体だけでなく精神的な繋がりを本能的に得られるからだ。しかし、望まない相手に心を無視されてパートナーにさせられれば、ギフトだけが不幸になる。テイカーが本能的にパートナーのギフトを定め、求める一方、ギフトは本能ではパートナーを求めない。だからメイカーとも、時にはロバーとも恋をする。プレゼンツについて調べていたときに、何かの本で読み、よく覚えている文章がある。


『テイカーは本能でパートナーを求める。

それは一目惚れに近く抗いがたく、手にいれなければという衝動である。

ギフトは心でパートナーを求める。

それは花の種のように育て芽吹くものであり、何処で何が咲くかはわからない。』


 ギフトを花に例えたのは、パートナーの契りにかけているのだろう。一般的に、パートナーとは、男女にかかわらず婚姻関係を結んだ相手のことを指す。しかし、テイカーとギフトだけは結婚前でもパートナーという言葉を使い、婚姻関係以上に『正式なパートナー』であることが重要視される。

 『正式なパートナー』とは、所謂パートナーの契りを交わした相手をさす言葉で、パートナーの契りとはテイカーが意図的に性交時にある行為をすることで、そのテイカーの優位性をギフトに植え付けることを言う。これによって、ギフトはそのテイカー以外の子を妊娠しづらくなり、身体のどこかに花のような赤いアザが浮かぶらしい。テイカーは独占欲が強く、婚姻関係以前に『花を咲かせる』ことがほとんどだと聞く。しかし、それは時間とともに効果が薄れ、一定周期で何度も繰り返すうちに完全なものになる。だからテイカーはできるだけパートナーのギフトを身近に起きたがるし、効果か薄れ自分の花が散らないようにしたがるのだ。

 正直、このことを知ったときにはテイカーの執着心にゾッとした。さすがに中学の授業でここまで性的な内容は教えないから、自分で調べて初めて知ったことで、そういった話題に耐性のない俺はその生々しさを気持ち悪いと感じた。逆にギフトについては、自分が誰かを心で求めるという実感がわかず、薄っぺらい知識として頭に残っただけだった。今もまだその情報はただの知識のままで、他人事であることに代わりはない。ただ、人付き合いが少なく、遠ざけてすらいる自分にとって、矢場先輩が今日一日で急激に特別な存在になったのは確かだった。


 自衛しろと言いながら、俺がギフトであることを忘れないといった矢場先輩はどんな顔をしていただろう。痛みの引いた目をゆっくり開け、天井を眺めて見ても、その姿が映し出されることはなかった。

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