第9話(発覚)
見回りに来たのは、生徒会の矢場先輩と、大野先輩だった。突然目の前に現れた二人から離れるように、一歩後退り、慌てて左目を瞑り、前髪で目元を隠すように顔を伏せる。一瞬矢場先輩と目があったような気もしたけど、矢場先輩は俺の様子に言及することなく、部室を見回し、俺以外に誰もいないことがわかると、「一般生徒の居残りは禁止されてる時間だよ」と言い、窓の鍵がしまっているかの確認を始めた。俺はなるべく先輩たちを見ないように視線を下に向けたまま、「すみません」と謝罪を伝えた。
「学園祭の準備で時間を忘れてて。すぐ帰るので」
「熱心なのはいいことだけど、今後は気を付けるように」
「はい」
「部室の鍵はこちらで職員室に戻しておくから、早く帰るように」
矢場先輩がそういうと、ドアの前に立ったままだった大野先輩がすっと右手を差し出した。俺は鞄と一緒に掴んだままだった鍵をそっと先輩に渡した。手にはじんわりと汗をかいていて、俺の頭はこの場から離れることばかりを考えていた。しかし、「失礼しました」と言って俺が大野先輩の脇をすり抜けようとしたところで、またも矢場先輩の声に足止めされてしまった。
「あ、一応、顧問に伝えないといけないから、学年と名前を教えてもらえる?」
「え?」
「ここは高価な備品も多い部屋だから、君を疑うわけではないけど、聞かれたときのために」
この状況で名前を教えないなんて選択肢はなかったから、顔は伏せたまま素直に一年の飯塚陽生だと伝えた。でも、体はドアの先の廊下側を向いたままだった。生徒会の先輩を前にして顔もあげないなんて、失礼なのは重々承知だったけど、顔を向ければ片目を閉じた不自然な姿を見せることになる。人見知りの無礼な後輩だと思ってもらえればという願いとは裏腹に、矢場先輩が口にしたのは予想外の言葉だった。
「ところでこのパソコン、消えてないけど大丈夫?」
「えっ?」
「たぶん消せてないプログラムがあるんじゃないかな」
俺は慌てて鞄を近くの机に置くと、それまで自分が使っていたパソコンの元に戻り、画面を確かめた。確かに、終了させていなかったプログラムがあったせいで、画面はシャットアウト直前で止まってしまっていた。シャットアウトしないまま放置したところで、特にそれまで自分がしていた作業に影響があるわけではなかったけど、パソコンには負荷がかかってしまう。
俺は立ち上がったままだったプログラムを終了させ、最後まで作業を終えると、ほっと一息つくと矢場先輩に「ありがとうございます」とお礼を伝えた。そして、言った後に重要なことに気が付いた。パソコンに気をとられて、左目のことを完全に失念していたのだ。
「…···目が」
俺はオッドアイ状態のまま、ばっちり矢場先輩と目を合わせてしまっていた。離れた位置にいる大野先輩からは見えないだろうけど、矢場先輩の茶色い目が大きく見開かれたのはわかった。しまったと、今更ふいて目を隠してみても後の祭りだ。どう言い訳するか、回らない頭で考えてみても答えは出ないまま無言になってしまう。
動かなくなった俺たちを見て不審に思ったのか、大野先輩が「どうしたんです?」と近寄ってくる。どうしよう、どうしようとぐるぐる考えていると、矢場先輩がそれまでと全く変わらない口調で一言。「コンタクトを落としたらしい」と言ったから、俺の頭の中は今度は疑問符で一杯になった。
この人は何を言っているんだろうか。さっきばっちり目があったはずなのに、もしかしたらよく見えなかったのだろうか。しかし、俺はすぐに一つの可能性にたどり着いた。銀色の目の方をコンタクトだと思ったのかもしれないということだ。黒のコンタクトをしていると思うより、銀色のコンタクトをしていると思う方が普通の思考に違いない。矢場先輩の言葉に大野先輩が足を止めると、矢場先輩は何事もなかったようにそのまま話を続けた。
「君、帰りは?」
「自転車です」
「片目が見えなくても、押して帰ることはできる?」
「あ、はい、まぁ」
視力云々はあまり関係ないから、俺の答えは歯切れが悪かった。それでも、さっさとこの場から離れられるなら余計なことは言わないに限る。しかし、神様はどうしたって俺を一人にはしてくれなかった。
「大野、俺はこの子を駐輪場まで送るから、後の見回りと鍵の返却を頼む」
矢場先輩が駐輪場まで俺を送ると言うのだ。この部室から駐輪場まで近くはないけど、いくら片目が見えなかったとしても(本当は見えているけど)付き添いが必要な距離ではない。俺は慌てて、「一人でいけます」と断ったけど、残念なことにうちの生徒会長は噂通り男女にかかわらず、とても、とても親切らしかった。
「この時間はもう廊下も消灯するから、その目では見にくいだろう」
「でも」
「君、会長の言う通りにした方がいい。そもそも下校時刻を過ぎてるんだ、一人で校内をうろうろされても困る」
なおも俺が断ろうとすると、今度は大野先輩が少しイライラした様子で口を挟む。下校時刻を過ぎた今、このやり取り自体が時間の無駄なのだ。もしかしたら、まだ見回りも途中なのかもしれない。きっとそのあとに職員への報告もあるのだろう。俺は仕方なく、「わかりました」と答えるしかなかった。
鞄を持ち、部室の鍵締めを大野先輩に任せた後、俺と矢場先輩は暗くなった廊下をゆっくりと歩いていた。矢場先輩は俺の片目がよく見えていないと思い込んでいるようだった。隣にいると、さすが会長と言うべきか、歩き方までしゃんとしている人だなと感心してしまう。背筋が延びていて、廊下を歩いているだけなのになんとなく堂々として見えた。しっかりと整えられた制服には一日の終わりだと言うのに、乱れがない。ただ、ちらりと横を見たときに髪の間から覗く耳元に光るものがあって、こんな会長でもピアスなんてするんだなと思った。はやく駐輪場までつかないものか、そんなことを思いながら無言で先歩いていると、唐突に矢場先輩の声が頭の上から降ってきた。
「ちゃんと髪を染めたんだな」
一瞬何を言われているのかわからなくて、言葉に詰まった。矢場先輩は俺より身長が高いから、俺があえて顔をあげない限り、この暗い中で目元は見えないはずだ。俺が「なんのことですか?」と返すと、先輩はやはり今までと同じ穏やかな口調で話し始めた。
「さっき部室でパソコンに向かってるとき、生え際が明るいなと思ったんだ。部室に入ったときに目もちらっと見えたけど、見間違えかと思っていたらそんなことになっているからさすがに驚いた」
矢場先輩は本当に驚いたのだろうかと疑問に思うくらい淡々と話を進めた。俺の心臓は壊れるのではないかと思うくらいドキドキと音を鳴らし、暑さのせいか冷や汗か首にじっとり汗をかいていた。
「銀髪は珍しいし目立つから、ちゃんと染めてくれて良かった。でも、まだ少しつめが甘いかな」
俺は何も言えないまま先輩の話を聞き続けた。さらりと流してしまったけど、染めてくれてよかったということは、以前モールで話しかけてきた男性は矢場先輩ということなんだろうか。喉が張り付いて、それすらも聞くことができなかった。
「その目も、カラコンの替えをもってきていないんだろう?」
声は優しいのに、俺はまるで叱られているような気持ちになって、プルプルと首を縦に降った。横で先輩が一言、「だろうね」とだけ言う。
「高校生活は長い。君がどんな立ち位置を望んでいるかはわからないけど、その様子だとメイカーとして過ごすつもりなんだろう。なら、もう少し警戒心をもって自衛したほうがいい」
そういわれて、肩をポンと叩かれた。漸く駐輪場にたどり着いたのだ。このまま逃げるように自転車に乗って帰ることもできた。でも俺はひとつだけ聞きたくて、踵を返そうとしていた先輩を呼び止めた。
「この前、モールで声をかけてくれたのは先輩ですか」
駐輪場は外にあるから、辺りは街頭の光だけでほぼ真っ暗だ。先輩は躊躇う様子もなく、すぐに「そうだよ」と答えた。そして、「なんで?」と言いかけた俺の言葉を遮って言った。
「君がギフトだということは誰にも言わないから、そこは安心してほしい」
矢場先輩の言葉に、自分でも緊張の糸が少し緩んだのがわかった。万人にばれること、それが俺の一番避けたいことだ。俺は暗がりの中、顔をあげてまっすぐ先輩を見据えた。生憎先輩の表情はよくわからなかったけど、先輩が続けて言った言葉ははっきりと聞こえた。
「ただ、俺は君がギフトであることを知っていて、そして、それを忘れることはない。それもよく覚えていてほしい」
そう告げると、先輩は今度こそ俺の返事を待たずに薄暗い校舎へと姿を消した。俺は先輩の後ろ姿が見えなくなるのを待って、駐輪場に数台残っていた自転車の中から自分のものを見つけると、それに乗ることはなくとぼとぼと押して歩いた。漕いで帰る気分ではなかったし、夜の少し涼しくなった風にあたりたかったのもあった。校舎を振り替えると、職員室以外の教室の明かりはすべて消え、運動部のグラウンドだけが煌々と照らされていた。
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