第8話(準備)
誰ともわからぬ人から教わった例のサロンは、前評判通りプレゼンツに配慮された店だった。予約は偽名が使え、店長であるスタイリストが一人で運営しているから、他の客とバッティングすることはない。店はビルの2階で外から見えないし、ビルには他のテナントも入っているから、出入りを気にする必要もない。店長は既婚の男性テイカーで、ギフトの奥さんが受付のアシスタントをしていた。
俺の地毛は元々真っ黒だったけど、すでに銀色に近い色に変わってしまっていた。そのせいで、真っ黒に戻すと伸びた時に逆に境目が目立ってしまうらしく、色選びは難航した。結局は現在の髪色に少し近づけてアッシュブラックという色になった。染髪していることは明らかだけど、この程度であればおしゃれで済まされる範囲だろうということだった。ただ、どうしたって頻繁な染髪は必要になる。それは仕方がないことだった。店長からはどこかのタイミングで逆に今の銀髪に染めたという体にして自然に戻した方がいいと言われたけど、隠キャオタクの一年生が夏休み明けに実行するにはやや難易度が高い挑戦だった。
瞳に関してはコンタクトをつけることで簡単に解決した。つけはじめは目に異物が入ることにかなり抵抗感があったけど、慣れれば大した労力ではなかった。
しかも、染髪とコンタクトでバイト代が飛ぶ!と騒いでいたら、親が援助してくれることになった。
ゲームセンターに行った日から、公人と直哉とは会っていなかったけど、その後二人にあった時には髪を少し染めてみたとだけ言った。二人には、なんで?とか、推しにあわせた?とか、キャラ変?とか、果てはほとんど変わらないのにお金が勿体ないとからかわれたけど、似合わないとは言われなかったし、それ以上不審がられる様子もなかった。また、念には念を入れ、外出の際はかならず帽子を被るようにしたし、自分にあった度なしの伊達眼鏡もかった。兄や姉がそれに合わせて服も見繕ってくれたから、前より少しおしゃれになったよう気がしたのが唯一喜ばしいことだった。
染髪から数日後、夏休みが終わり学校が始まった。休み明けで何か異変に気づかれたりしないかとさすがに緊張して登校したけど、俺以外にも染髪やらピアスやら諸々だいぶ様相の変わった奴が他に複数いたおかげで、元々目立たない立ち位置にいた俺の変化に気づくクラスメートは誰もいなかった。校則の緩い学校で本当に救われた。
保健の小松先生には一番に報告をしたけど、やはり在学中にここまで急な変化があった生徒ははじめてだと言っていた。ただ、染髪やカラコンのおかげもあって、言われなければ気づかないとも言ってもらえた。
それならばと、俺は今までと変わらない生活を続けることにした。目立つクラスメートとは関わらないようにして、ヒエラルキーの下っ端らしく目立たない静かなオタクとしてやっていこうと決めた。
一方で、学校生活で面倒なことが一つだけ増えた。外での体育の前に日焼け止めを塗らなければいけなくなったことだ。最初はあまり目立たなかったけど、俺の肌は徐々に色素が抜けるというか、芦澤先生の言ったように色白になっていた。そのせいか、元々あまり日焼けとは縁のないタイプではあったけど、それ以上に日焼けに弱くなってしまった。強い日差しにあたっていると、すぐに赤くなってしまうのだ。だから、長時間外にいるときには日焼け止めを塗ったり、くそ暑いなかジャージを着ないといけなくなった。それが地味にきつかった。
夏休みがあけると、うちの学校はすぐに学園祭の準備が始まる。クラスの出し物は、お化け屋敷や出店等の候補が上がるなか、早々に縁日に決まった。というのも、他の学年の出し物との兼ね合いで、一年生が選べる物は限られているからだ。一年のどこかのクラスが縁日をやるのは、学校のお決まりのようなものだった。
縁日は準備する道具が少なく、当日の分担もシフト制になるはずだから、部活の展示に力をいれたい俺としては非常にありがたかった。パソコン部では、毎年各々の部員がゲームを作成し、来校者に遊んでもらっていた。正直学校にあるパソコンのスペックでは作れるものに限界はあるし、決して人気のある展示ではない。割り振られた部屋も校舎の端であまりよくはないけど、毎年楽しみに来てくれる人がポツポツいるらしい。
ゲーム作成の準備は夏休み中から始めていて、当日は部屋にパソコンをおいて遊んでもらう。部員の役割は受付や解説、なにかエラーが出たときの対処だけだ。部員が少ないから、クラスのシフトに入っていない時間のほとんどは部活の展示に張り付きになるだろう。ただ、そもそも俺はあまり人混みにいたくないから、最低限昼飯が食べられれば、他の出し物や出店にはあまり興味がなかった。展示部屋には、備品等をおいておくために来場者から中が見えないよう机を重ねて布を被せた待機スペースを作ることが許されている。裏方に徹したい俺は、ずっとそこにいてもいいかなと思っていた。
学園祭は九月の終わりにあり、準備が始まると学校全体はバタバタと慌ただしくなった。普段は週数回の活動頻度のパソコン部も、ほぼ毎日部室に集まることになった。とはいえ、ずっとパソコンにかじりついているわけではないし、先輩や公人や直哉としゃべったり遊んでる時間も多い。そういう時間も含めて、学園祭は楽しいのかもしれないけど、作業は残念ながらあまり進まなかった。
「陽生、俺そろそろ帰るけどどうする?」
直哉の声で時計に目をやると、十八時を少しすぎていた。先輩たちはすでに塾があると帰った後で、公人はクラスの準備に駆り出されていて、部室には俺と直哉しかいなかった。俺はちょうど切りの悪い状態で、もう少し残ると伝えると、直哉は「じゃ、また明日」とだけ言って部室を後にした。それからしばらく、俺はエアコンが切られ、窓を開けていても蒸し暑い部室で作業を続けた。どうしても納得のいくところまで作業を進めてしまいたくて、珍しく時間を忘れてパソコンに集中していた。
そして、漸く一段落ついたころには、見回りの来る十九時をすぎてしまっていた。学校は届け出の出していない生徒の十九時時以降の居残りを禁止している。俺は慌てて作成中のデータを保存し、パソコンをシャットアウトした。ずっと画面を見ていたせいで凝った肩をほぐすように肩を大きく回し、瞬きを数度した。それがいけなかった。すっかり目が乾いていたせいで、左目からコンタクトが落ちてしまったのだ。
度は入っていないから、落としたコンタクトはすぐに見つかったけど、一度床に張り付いたコンタクトを再度目に入れ直すことはできない。コンタクトが外れるということを全く想定していなかったから、替えのコンタクトや眼鏡も持ってきていなかった。視力的には問題ないけど、目を開ければ銀と黒のオッドアイの状態になっていて、銀色の目が余計に目立った。
暫くどうしたものかと思案してみたけど、どうせ外は暗くなっているし、登下校は幸い自転車だ。部室の鍵は保健室で小松先生に渡せば職員室に返してくれるだろう。そうすれば、他に誰とも会わずに駐輪場まで行けさえすれば問題はない。校内もほとんど電気は消されていて暗くなっている。
俺は急いで部室の窓を閉め、鞄と部室の鍵をひっつかむと部屋を出ることにした。その時、ドアの向こう側から「まだ誰か残ってるのか?」という声が聞こえた。俺は急いで「すぐに帰ります」と答えようとしたが、俺が返事をするよりも早く、目の前のドアがガラッと開いてしまった。
そこには、見回りをしていたであろう、矢場先輩と大野先輩が立っていた。
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